1. じんぶん堂TOP
  2. 歴史・社会
  3. 誰も知らない日本人の名字の本当の数 『名字の謎』より

誰も知らない日本人の名字の本当の数 『名字の謎』より

記事:筑摩書房

original image:匠太郎 永井 / stock.adobe.com
original image:匠太郎 永井 / stock.adobe.com

 日本に一体いくつの名字があるのかは、一〇万とも三〇万ともいわれ、はっきりしていません。こういうと、なぜそんな基本的なことがわかっていないのかと不思議がられます。

 たしかに、日本にはしっかりとした戸籍制度がありますから、全国の戸籍をすべて調べれば名字の数などたちどころに判明します。しかし、プライバシーが尊重されている現在、個人で戸籍の調査をすることは不可能です。もし実行できるとしたら、国以外ありません。

 知り合いの新聞記者にこの話をしたら、さっそく総理府(現・内閣府)に質問したそうです。すると「全国の名字の数を調べることで、国の政策に影響がもたらされるとは思えない」とのこと。たしかに名字の数がわかったところで、どんな法律や制度にもまったく関係ありません。税金の無駄づかい、といわれればそれまでですし、今後も国による調査は行われないでしょう。ちなみに、「姓」をとても大事にする韓国では国が調査を行い、名字の数と、その名字を名乗る人口が確定しています。

 かつて戸籍はすべて手書きでした。極端な話、最初に記入した人が、間違って書いてしまうと、そのまま登録され、本来は存在しない不思議な漢字のまま戸籍に載ってしまいます。こうして登録された摩訶不思議な漢字がたくさん存在するようです。自分の戸籍を取ってみて、今まで思っていたのと違う漢字で驚いた、という話も聞きます。

 最近戸籍もコンピュータ化してきました。コンピュータではこうした本来ない漢字は入力できませんから、その部分は手書きとなります。しかし、本人の了承を得て本来の漢字に戻すことも積極的に行われています。

 さて、いくら名字の数が正確に把握できないといっても、一〇万から三〇万ではあまりにも違いすぎます。とても誤差の範囲内とはいえません。どうしてこのような差が出るのでしょうか。一番大きな理由は、名字の考え方と、数え方が違うということです。

 たとえば、日本に学校がいくつあるか、といったとき、まず学校の定義を決めなければいけません。専修学校は含むのか、塾はどうする、などさまざまな考え方があるからです。それともう一つ、数え方の統一も必要です。幼稚園から大学まで同じ敷地内にある学校は一つとするのか、僻地で小学校と中学校とが同居している時はどうする、分校の数え方は……、こちらもいろいろ出てきます。名字の場合もこれとまったく同じです。

 まずは、名字の定義です。名字とはなんでしょう。江戸時代の十返舎一九の十返舎は名字でしょうか。明治の作家二葉亭四迷の二葉亭や、落語家古今亭志ん朝の古今亭は名字といえるのでしょうか。歌手・研ナオコの「研」を名字としてカウントしていいのでしょうか。

 時代的な問題もあります。奈良時代に県犬養橘三千代という人物がいました。人名事典にも載っていて、この人の名字は「県犬養橘(あがたいぬかいたちばな)」です。れっきとした名字であることには間違いありませんが、日本人の名字としてはかなり違和感があります。

 名字を集大成した本のどれを見ても「名字の定義」が書かれていません。そして、収録した名字の数が多いものほど名字の定義の幅が広くなっています。古代人の姓や、筆名、力士のしこ名など、幅広く名字として採用しています。こうして名字は、際限なく増えていくのです。

 正確な数はともかく、日本には、少なくとも一五万種類以上の名字があります。これは世界でもトップクラスの多さといってもいいでしょう。佐藤や鈴木のように二〇〇万人もの人が名乗っている名字から、親戚以外にはまったくいない、という珍しいものまで、いろいろな種類の名字があります。

 お隣の韓国では、名字の数は約二七〇種類。人口が約四八〇〇万ですから、一姓あたりの平均は一八万人となります。しかも、「金(キム)」「朴(パク)」「李(イ)」の三姓が圧倒的に多く、一番多い「金」さんはなんと一〇〇〇万人もいます。この三姓に「崔(チエ)」を加えた四つの名字で、人口の半分以上になってしまいます。そのため、日本のように名字だけでは区別が難しいので、「本貫(ほんがん)」と呼ばれる一族の出身地と一緒に、「慶州の金」などとして区別しています。

 中国の名字の数は、少数民族を除いた数でも二〇〇〇を超え、韓国の約七倍です。しかし、人口が一二億を超しているため、平均で一姓あたり六〇万以上と、同姓がたいへん多いことになります。

 同じ漢字文化圏にありながら、なぜこれほどまでに違うのでしょう。それは、中国や韓国では、「姓は天から与えられたもの」で、変更してはいけないものであるのに対し、日本では本来の出身を表わす姓とは別に、名字をつくり出すことで、同姓内での区別をつけ、やがて姓が忘れられて名字だけが通用していくようになったからです。

 今では本姓などほとんど気にしていませんが、明治時代にはまだ姓の概念がかなり残っていたらしく、伊藤博文は「越智(おち)」、徳富蘇峰は「菅原」などの姓を使用して、「越智宿禰(おちのすくね)博文」「徳富猪一郎菅原正敬」と署名していることがあります。

ページトップに戻る

じんぶん堂は、「人文書」の魅力を伝える
出版社と朝日新聞社の共同プロジェクトです。
「じんぶん堂」とは 加盟社一覧へ