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内田樹さんの考える日韓関係 マルクスの受容のされ方をめぐって

『街場の日韓論』(晶文社)

韓国国内では得られない知見

 韓国には戦前日本の治安維持法に類する国家保安法という法律が今も存在する。

 1948年の大韓民国建国直後に制定されたこの法律は北朝鮮と共産主義を賛美する行為及びその兆候を取り締まりの対象としている。李承晩(イスンマン)大統領が南朝鮮労働党や左翼勢力を一掃するために制定した(朴聖焌[パクドンソプ]先生はこの法律によって投獄されたのである)。いくどか改定された後、1980年に全斗煥(チョンドゥファン)政権が従来の反共法をこれに統合して、ほとんどあらゆる反政府的な動きを弾圧できるようになり、実際に濫用された。

 1987年の民主化以後、南北統一機運の高まりにつれて、国内における人権抑圧の法的根拠であった国家保安法の廃棄・改定に対する市民たちからの要求の声が高まったけれども、議会内で保守派が強硬に抵抗しているせいで、今日にいたるまで廃棄されていない。だから、現在でも韓国内でマルクス主義を賛美する行為は処罰の対象となり得るのである。

 この事情を知らないと、韓国内における社会科学系の言説の形成がどういう禁忌や抑制にさらされているのかがわからない。

 マルクス主義の受容において、日韓では大きな、信じられないほど大きな差がある。

 私たちはふだんそのことを意識していない。おそらく、「日韓を反共の砦とする」というアメリカの東西冷戦時の単純なスキームに慣れ過ぎたせいだ。私たちは日本も韓国も、支配層は等しく「マルクス主義に対して敵対的」であり、人々はそのような抑圧の下で思考し、発言してきたと思い込んでいる。だが、それは違う。自分の経験を他人に過剰適用してはいけない。マルクス主義が受けた「抑圧」の質が日韓では違うのである。

マルクスの本を読むインセンティヴが失われた

 日本では、明治維新の後、近代化を急ぐ明治政府によっても、またそれに抗う自由民権運動によっても、欧米の政治理論は旺盛な消化力を駆使して取り込まれてきた。『資本論』の最初の日本語訳は1909年に安部磯雄によってなされたが、マルクス死後わずか四半世紀後のことである。戦前日本のマルクス主義学生運動の拠点であった東大新人会の創建は1921年。日本共産党の創建は1922年である。日本共産党はインドネシア共産党(1920年)、中国共産党(1921年)と並ぶ東アジアの「老舗」なのである。

 1925年制定の治安維持法下で、戦前戦中にマルクス主義者たちは暴力的な弾圧を受けたが、それでも日本におけるマルクス主義の運動と研究は途絶えなかった。

 私のような門外漢が訳知り顔をして『若者よ、マルクスを読もう』というような入門書を書くことができるのは、日本社会に長く厚みのあるマルクス主義の運動と研究の「伝統」が存在しているからである。

 1950年生まれの私たちの世代は「一般教養」として高校生の頃から当然のようにマルクスを読んできたし、そのロジックもレトリックにもなじんでいる。教科書に出ている古典の文言を引用するように、私たちは「ここがロドスだここで跳べ」とか「一度目は悲劇、二度目は笑劇」というようなマルクスのフレーズを引く。たぶん、そういうことができる人は韓国にはきわめて少ないと思う。いや、それらの言葉を知っている知識人はいるだろうが、それを自分の文章の中に引用してみても、それが何の引用かが「わかる」という読者はそう多くないだろう。

 もちろん朝鮮半島にもかつて共産党は存在した。ロシア革命後の1922年に結党された高麗共産党を母体に、25年には朝鮮共産党が結党された。治安維持法下の植民地での活動であるから、当然、日本官憲によって徹底的な弾圧を受けることになった。それでも上海やシベリアに拠点を分散させて、戦前戦中を通じて党組織を維持してきたのである。

 そして、大戦後の1945年に党は再建された。しかし、それまでの活動拠点と支援している外国の違いによって、延安派、ソ連派、満州派、国内派などに分裂してヘゲモニー闘争が展開した。そして、南北で統一した党組織をめざす一派と、ソ連統治下の北部に独立した党を立てようとする一派の抗争の後、党は南北に分裂し、それぞれが「労働党」を名乗ることになった。1949年に、南朝鮮労働党は北朝鮮労働党に吸収合併され、半島における共産主義勢力は金日成(キムイルソン)の指導する朝鮮労働党に一元化された。こうして、朝鮮半島は共産主義を国是とする国とマルクス主義者が法理上存在してはならない国に分裂したのである。

 高麗共産党以来の党史は、1919年の3・1運動以来、日本官憲による弾圧、米軍による弾圧、韓国政府による弾圧と息つく暇のない、血なまぐさい受難の記録で埋め尽くされている。何よりも朝鮮半島におけるマルクス主義の不幸は、最終的に金日成が自身の派閥である満州派以外の、延安派、ソ連派、国内派のすべてを粛清して、個人崇拝に基づく彼の「王国」を建設してしまったことである。

 多くの朝鮮人労働者・学生・知識人がその人生を捧げ、投獄や拷問の苦痛に耐え、生命がけで受け継いできた朝鮮半島におけるマルクス主義運動30年の苦闘の到達点が北朝鮮だったという事実は人々のマルクスを読むインセンティヴを大きく損なったと思う。

 だが、マルクスの書物を読むインセンティヴが欠落しているということはそれだけでは済まされない。マルクスやエンゲルスやレーニンについての書物的知識が欠如していると、20世紀のヨーロッパ思想の多くについて、理解が困難なものとなるからである。

 例えば、私の専門である20世紀のフランス思想は、マルクス抜きで理解することが難しい。アンドレ・ブルトン、ジャン=ポール・サルトル、モーリス・メルロー=ポンティ、アルベール・カミュ、クロード・レヴィ=ストロース、ロラン・バルト……といった人たちはみな一時期マルクス主義の思想と運動に何らかのかたちでコミットした。彼らの多くは最終的には党の硬直性やあるいは過激派の暴力性に失望して運動から離れたが、マルクスとの出会いの経験は間違いなく彼らのものの考え方に決定的な影響を及ぼした。

 私の師匠であるエマニュエル・レヴィナスはかつて「私はマルクシスト(marxiste)ではなく、マルクシアン(marxien)である」と語ったことがある。「それはどういう意味ですか?」と訊ねると、レヴィナス先生は「マルクスの思想をマルクスの用語で語るのが『マルクシスト』であり、マルクスの思想を自分の言葉で語るのが『マルクシアン』だ」という個人的な定義を教えてくれた。

 マルクス主義の運動や組織を離れた後も「マルクシアン」であり続けた人はヨーロッパには多く存在したのだと思う(レヴィナスはマルクス主義の運動にコミットしたことはなかったが、マルクス主義者たちの理想に対しては控えめな敬意を抱いていた)。

マルクスを自由に読み、自由に解釈することのできる国は案外少ない

 ある国におけるマルクス主義の受容の深度は「マルクシアン」という層がどれほど国民のうちに存在するかによって計量できるのではないかと私は考えている。個人的な思いつきだから、一般性を要求する気はないが、何となくそんな気がする。

 例えば、中国には「マルクシスト」を名乗る人は多数いるが、「マルクシアン」はほとんどいない(と思う)。マルクスをどう読み、どう解釈するかの権限が専一的に中国共産党に属しており、国民が自由な仕方でマルクスを読み、その思想を自分の言葉で言い換えることにつよい抑制がある社会に「マルクシアン」は生まれようがない。それはベトナム共産党独裁のベトナムでも事情は変わらないだろう。また、かつてクメール・ルージュが大量粛清を行ったカンボジアや、逆に共産党員が大量粛清されたインドネシアや、共産党が「国際テロ組織」認定されているフィリピンでは、「マルクシスト」や「マルクシアン」という名乗りをなすこと自体が身体的な危険を意味している。

 ということは、今の東アジアで「マルクスを自由に読み、自由に解釈する」ことができる国というのはきわめて限定されているということである。100年の運動と研究の蓄積を持っている日本はこの件については実は東アジアではほぼ唯一の例外なのである。

 日本特異論者は「四季」とか「おもてなし」とか、いろいろなものを自慢するが、寡聞にして「日本はマルクス受容の深度において卓越している」という事実を「日本スゴイ」のリストにあげる人のあることを知らない。でも、そうなのである。

 私は『寝ながら学べる構造主義』や『若者よ、マルクスを読もう』や『私家版・ユダヤ文化論』の韓国語訳が立て続けに出た時に、どうして「こんな本」に対する需要が韓国に存在するのか頭を悩ましたあげくに、それは「私がマルクシアンであるから」という説明を得て、とりあえず納得した。韓国にも「北朝鮮を賛美する共産主義者」はいるだろう。けれども、「北朝鮮を賛美しないけれど、マルクスの知見に深い敬意を持つ人(私はそうである)」には居場所がないのである。そして、「そういうもの」がなくては済まされないということに韓国の人たちは気づきつつあるのだと思う。

40年の空白

 朴東燮先生は過去7年間、私の韓国における講演のすべてで通訳をしているばかりか、私の本をすでに20冊ほど韓国語訳してくれている。自らTatsuruianと称するこの篤学の独立研究者の超人的な仕事ぶりがなければ私の本がこれほど韓国で読まれるようなことにはなっていないだろう。その点についてはほんとうに感謝する以外にないのだが、それでも私の業績に対する彼の評価の高さは時々私を落ち着きのない気持ちさせる。しかし、それは私がマルクシアンであるという補助線を引くと少し納得できるのである。

 現代韓国の知識人は1945年の「解放」から1987年の民主化までの40年間、マルクス主義に涵養された欧米の社会学系諸学にリアルタイムでは接触した経験がない。つまり、ルカーチのマルクス主義、フランツ・ファノンの民族解放論、サルトルの実存主義、バルトの記号論、フーコーの知の考古学、レヴィ=ストロースの構造人類学、ラカン派精神分析、レヴィナスの他者論、デリダの脱構築……などの知見がにぎやかに知のパラダイムを形成していたまさにその時期に、国家保安法下にある韓国の知識人や学生たちは、それらの一冊ずつについて「これは共産主義と関係のある学術ではないか?」という点検の作業を余儀なくされていた。官憲が「これは共産主義を賛美するものだ」と認定すれば、手に取っただけでまだ開いてもいなくても、そのまま投獄されるリスクがあったのである。

 この「40年間のブランク」を埋めることが韓国の社会科学・人文科学の急務なのではないかと私は思う。もちろん、民主化以降の30年については、最新の学術情報を潤沢に韓国の知識人たちは享受しているはずである。けれども、それ以前については経験上の空白がある。情報上の空白ではなく、経験上の空白である。

 かつて、おのれがどれほどマルクス主義者として過激であるかを若者たちが競っていたことや、実存主義の言葉づかいに習熟することに知的威信がかかっていたことや、構造主義の嵐が先行する知的権威を粉みじんにしたことや、ポストモダニズムが「大きな物語」を全否定したことや、あらゆる言語活動についてジェンダー・バイアスがまず考量されるようになったことなどなどを私たちは目の当たりにしてきた。そのつど前世代の知的威信が滅びてゆく「諸行無常」のありさまを見て来た。「新しい学知」が鮮烈に登場してきた時の高揚感と、それが次の思潮によってあっさり「乗り越えられて」ゆくときの失望を味わってきた。この興奮と幻滅を韓国知識人たちはリアルタイムでは経験していない。

 国家保安法は法制の問題であり、マルクス主義や構造主義やポストモダニズムの学知の受容は文化の問題である。その間にもちろん直接の関係はない。けれども、ある種の学知の習得を権力が禁圧したという事実は結果的には韓国の知性の歴史に回復することの難しい深い傷を残したと私は思う。

 その空白を今韓国の人たちは必死で埋めようとしている。「溺れるものは藁をもつかむ」ということがなければ、私の書くものがこれほど短期間に集中的に訳されるということはあり得ない。でも、そういう仕方であっても隣国の人たちの役に立てられるのだとしたら、私はそれを光栄なことだと思う。別に謙遜しているわけではない(繰り返し言うが、私は謙遜とまったく無縁な人間である)。私はただわが身に起きた「不思議な出来事」の意味を知りたいと願っているだけである。

(『街場の日韓論』所収、内田樹「二人の朴先生のこと」より抜粋)