「韓国たたき」ウイルスに感染しないためのワクチン 『つくられる「嫌韓」世論』
記事:明石書店
記事:明石書店
「韓国は慰安婦問題を解決したくないのでしょう」
慰安婦問題についての日韓合意に対して文政権が見直しを検討しはじめたときに、知り合いから突然そういわれて驚いた。インターネットでつまらない書きこみをつづけているような人ならとくに驚くこともないが、ある出版社の社長だ。
この発言の主語である「韓国」とはなにを指すのか。韓国の政府のことか? もしも、韓国政府を指しているとすれば、日本との関係をむずかしくしている慰安婦問題を早期に解決すべきだと考えるのが合理的だろう。むしろ韓国政府としては、解決に本気でとりくむ意思が日本政府にはないことが最大の壁だと考えているにちがいない。
この国でいま、「韓国は……」といいはじめると、多くの人がまるでネット右翼の言葉にとりつかれたように「嫌韓」「韓国たたき」を言いたててしまう。ネット右翼の言葉が流出して極端なイデオロギーをもたない人たちにも共有されはじめているといえるのかもしれない。
「徴用工問題」の判決をめぐって日本政府は、裁判所の判決受け入れを表明している韓国政府に対して、国際法違反だと追及をやめない。あまつさえ二国間の貿易ルールまで変更して韓国に圧力をかけている。
こうした政府の動向に対して、今や日本のマスコミも、政権に近いといわれる産経新聞から、リベラルといわれる毎日・朝日新聞に至るまで「韓国は、国際的な約束も守ろうとしない特殊な国」という論陣をはっている。インターネットという狭い世界にあふれていた「韓国嫌い」「韓国たたき」の言論がいつのまにかネットをこえてあふれ出し、主要なマスコミにまで浸透する事態に陥ったといえるのかもしれない。
本書の著者はこうして拡大・浸透した「韓国たたき」の実態を、2016年から最近まで、とりわけ平昌オリンピックから韓国市民の日本製品不買運動に至る時期を中心に日本のマスコミに現れた言論をていねいに拾い上げながら読み解いていく。
たとえば、日本の政府もマスコミも、韓国が一方的に日韓の合意を破って行動していると主張する。では、「慰安婦問題」に関する2015年の「慰安婦合意」についてみたときに、「従軍慰安婦問題を巡る日韓合意に関連し、韓国の支援財団が首相に『おわびの手紙』を求めることについて『我々は毛頭考えていない』と否定」(日本経済新聞、2018年10月3日)するような発言は、「慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。安倍内閣総理大臣は、日本国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する」(岸田外相、当時)とした合意の精神にはたして合致しているといえるのか。
日本の政府もマスコミも、「和解・癒やし財団」の解散を決めた韓国政府は声をあわせて合意違反だと批判するが、首相の合意違反に等しい発言を批判する声は少ない。いわば官民挙げた韓国たたきの現象を著者はきめ細かく記録し、そのうえで、こう結論づけている。
菅官房長官がしばしば『韓国はその間、要求する最終目的地(=ゴールポスト)がどこかを明確にせず、国内の状況によって随時変わってきた』が我々は『(合意は)1ミリたりとも動かさない』といい続け、合意内容の追加措置などは絶対に認めないというかたくなな態度だった。だが、そうして言葉のなかに誠実な反省や真実味が感じられるだろうか。『慰安婦』に関連した写真展や芸術作品の展示会、映画上映などに外部からの妨害が行われたり、『政治的意図がある』と判断して会場使用が拒否されたりしてきた現実を思いおこせば、今の日本社会のなかで果たして『日韓合意の精神』が生かされているといえるのか。『日本は日韓合意のもとで約束した措置をすべて実施してきた』と本当に胸を張って断言できるのかが問われる問題だと思われる。『金さえ出せば問題解決』にはならない。
名古屋の河村たかし市長は、「あいちトリエンナーレ2019」(2019年8月)で展示された「平和の少女像」に対して「どう考えても日本人の心を踏みにじるものだ。即刻中止していただきたい」(朝日新聞、2019年8月2日)などと発言し、展示の中止を要求した。河村市長の心は「踏みにじられた」のかもしれないが、それがどうして「日本人」全般の問題にすり替わるのか。出版社社長なら個人の勝手な発言ですむが、政治家が市長という立場を使ってそういいだしたら、権力の濫用にほかならないだろう。
政治家個人の価値判断や好き嫌いが、日本人全体の価値判断や好き嫌いと同様に扱われるような事態を見過ごしていていいのだろうか。インターネットの一部の人たちから、政治家、マスコミにまで蔓延しはじめている「韓国たたき」というウイルスをもう一度冷静にふり返り、振りまわされないためのワクチンとして、本書をおすすめしたい。