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韓国で真のフェミ本と話題沸騰! マンスプレイニングに“優雅に”応答する方法

記事:白水社

キム・ホンビ著『女の答えはピッチにある──女子サッカーが私に教えてくれたこと』(白水社刊)は、韓国で多くの読者から熱烈に支持され、YES24主催の「今年の本」に選出! 女の現状を嘆くのではなく、どう連帯するかについてサッカーを通じて軽妙に語る本から、フェミニズムの先にある希望を読者は見出せるだろう。
キム・ホンビ著『女の答えはピッチにある──女子サッカーが私に教えてくれたこと』(白水社刊)は、韓国で多くの読者から熱烈に支持され、YES24主催の「今年の本」に選出! 女の現状を嘆くのではなく、どう連帯するかについてサッカーを通じて軽妙に語る本から、フェミニズムの先にある希望を読者は見出せるだろう。

津村記久子氏も絶賛! 「無類におもしろく、最高に生き生きとした実感が溢れている。本書には、サッカーをプレーするさまざまな年齢とカテゴリの〈普通〉の女性たちの喜びと輝きが凝縮されている。いつまでもホンビさんの話を聞いていたかった。」(キム・ホンビ著『女の答えはピッチにある──女子サッカーが私に教えてくれたこと』(白水社刊)帯より)
津村記久子氏も絶賛! 「無類におもしろく、最高に生き生きとした実感が溢れている。本書には、サッカーをプレーするさまざまな年齢とカテゴリの〈普通〉の女性たちの喜びと輝きが凝縮されている。いつまでもホンビさんの話を聞いていたかった。」(キム・ホンビ著『女の答えはピッチにある──女子サッカーが私に教えてくれたこと』(白水社刊)帯より)

女性サッカーファン、ややこしくなったり不快になったり

 世の中の女性サッカーファンには二種類いる。ファンであることを明かす女と、隠す女。なんでわざわざファンであることを隠さなければならないのかと思うだろうが、なんにでもそれなりの理由があるのだ。サッカーファンだという正体を明かした瞬間から、よろしくない事態に巻き込まれるのがオチだから。だいたい次の二つのうちのどちらかだ。ややこしくなるか、不快になるか。

 二〇一五年、レベッカ・ソルニットの『男はしきりに私に教えたがる』という本が韓国で翻訳出版された(原書は二〇一四年刊。邦訳『説教したがる男たち』ハーン小路恭子訳、左右社、二〇一八年)。この本の核となるキーワード「マンスプレイン(mansplain)」は『ニューヨーク・タイムズ』紙の二〇一〇年度「今年の言葉」に選ばれ、二〇一四年には『オックスフォード英語辞典』オンライン版に追加されたほどホットな単語である。男性(man)と説明(explain)の合成語で、動名詞のマンスプレイニングを直訳すれば「男の説明」となる。だが、男性がする説明すべてを指すわけではない。ソルニット自身本のなかで「この単語は男の生来の欠陥だと主張しているみたいに受け取られるかもしれないが、実際は男のごく一部に、説明できもしないことを説明しようとし、聞くべきことを聞かない人がいるだけ。(中略)私だって、関心はあるけどよくわかっていないという事柄についてよく知っている誰かから説明してもらうのは好きだ」と言っている。つまりマンスプレイニングとは中立的な態度での説明のことではなく、「女はこんなこと知らないだろ?」「お前はわかんないよな、女だから!」というジェンダー的偏見に端を発した、傲慢や無視がベースにある説明をいうのだ。

 マンスプレイニングという、わりとそのまんまな感じの単語をはじめて聞いたとき、スポーツファンの女たちこそピンときて膝を叩くだろうと確信した。マンスプレイニングを口にするその「一部」の男が「多数派」になりがちな場所といえばつまり、社会通念上男の領域とみなされているところだ。自動車、コンピューター、ゲーム、建築、機械などなど。そこに「スポーツ」が入っていないはずがない。

 一度くらい見聞きしたことはないだろうか。長いことファンだと女の側が言っているのに、「もしかしたら知らないかと思って」、ご親切に野球のインフィールドフライについて、サッカーのオフサイドについて、バスケットボールのバイオレーションについて、隣で説明する男たちのことを。私はある男性から「ゴールキーパーだけはボールを手で触っていいんですよ」と大真面目に説明されたことがある。彼はそのとき、私がサッカーファン歴三年であることを知っていた。いったい、私が三年間何を見てきたと思っていたのだろう。

 韓国サッカーはその傾向が強い。「女はサッカーをまともにやったことがまったく(ほとんど)ない」という否定できない事実に「女だからスポーツがよくわからないはず」という偏見が加わり、余計マンスプレインが堅固になる。もちろんサッカー好きだと明かすと、自分はよく知らないから教えてほしいと疑問をぶつけてくる男性もいるし、自分も好きだからうれしいと一緒に盛り上がる男性だってたくさんいる。私にだってそんなふうにサッカーネタで楽しく話せる夫や男友達がいることはいる。だが現実は、そうでない男のほうがはるかに多い。残念ながら。

 彼らは通常、目の前にいる女性がサッカー好きであると知ると、たとえ彼女がどれほど長くサッカーを観戦していようが(ひどいとその男性よりしょっちゅう、長い間観戦していようが!)必ず、教えようとする。サッカーのルールでも、サッカーの常識でも、なんでも。よくある質問の「オフサイドってどういう意味か知ってます?」に始まって、突然ソクラテスの霊でも取りつくのか、「お前が知と思いこんでいるものは実は真の知ではないと気づかせてやろう」といった哲学的な情熱で産婆術式にしつこく問いを投げかけようともする。サッカーをテーマに深い話がしたいわけではない。恐れ多くも男の領域に入ってこようとしているこの女、はたしてここがどこかわかっていて足を踏み入れているのか、本当に足は入っているのかと一種の住民調査を繰り広げるわけだ。

 やがて弱点でも見つかろうものならすぐに食いつき、「ほーら、やっぱりよく知らないんだろ」という表情で、喜びを隠しきれない状態で、説明にとりかかる。逆に、当然無知であるべき女が思った以上に(ひどい場合、自分より)物知りだとわかると困惑し、妙に長話をしたり、「おお、なかなかやるじゃないか!」と、教師が教え子をいい子いい子するみたいに褒めたりもする。それで終わりではない。「サッカーに詳しいフリする女は、男にとってプレッシャーだからモテないぞ。もうちょっと男を立てなきゃ」とか、それとは正反対の「男にモテたくてサッカーを見てるんだな?」というセリフを同時に聞かされることもある。頼むから意見の統一ぐらいしてくれよ。

キム・ホンビ著『女の答えはピッチにある──女子サッカーが私に教えてくれたこと』(白水社刊)P.026─027より
キム・ホンビ著『女の答えはピッチにある──女子サッカーが私に教えてくれたこと』(白水社刊)P.026─027より

 FCバルセロナみたいな有名チーム、メッシのような有名選手を好きな場合、事態はさらに深刻だ。好きな選手がたまたまイケメンだったらそれこそ最悪。マンスプレイニングを楽しんでいる一部の男たちは、女性サッカーファンのことを俗にいう〝オルパ〟(顔重視のファン)〔オルグル(顔)+パスニ(追っかけ)の造語〕と断定する傾向も強いからである。彼らには、女が男と同じ理由でサッカーやサッカー選手を好きになるということがイメージできない。理由を情緒的、審美的なものに矮小化してようやく受け入れることができるらしい。あのさ、私もあの選手のキレのある動きや視野の広いところが好きなんだってば。あんたと同じようにね。それにイケメン好きでなぜ悪い? イケメン好きだとサッカーがわからないとどうして勝手に決めつけて説教したがる?

 そんなわけで、私がたとえベッカム好きだとしても、よそでベッカムが好きと言うのは控えるだろう。ベッカムはサッカーファンでなくても誰でも知っている有名人であり、おまけにイケメンだからだ。ベッカム、と口にした瞬間、相手の顔に安堵の色みたいなものが浮かび、「だろ、やっぱ顔で選ぶんだろ?」プラス「どっかでベッカムがうまいって聞いてきたんだな?」の二つの表情が交錯する。クリスティアーノ・ロナウド? いっしょいっしょ。メッシ? 栄えあるバロンドール〔欧州プロサッカー界の最優秀選手に贈られる賞。メッシは二〇一九年も受賞して計六回の受賞となった〕六回受賞のサッカーの天才の名は、ますます口にしづらい。十中八九無視され、でもえんえんとマンスプレイニングを聞かされるのがオチだからだ。

 それがあんまり大変なので、多くの女性ファンはただもうややこしいことにならないように、不快にならなくてすむように、「マンスプレイニング予防用『好きな選手』」を別途用意しているほどだ。普段は安全でそれらしい答えのほうを使う。たとえば、ベッカムが好きでもベロンやガリー・ネヴィルが好きだと言い、クリスティアーノ・ロナウドやメッシが好きでもトニ・クロースやアグエロがいいと答える方法である。ポップスでたとえるならジェニファー・ロペスやブリトニー・スピアーズが好きでもシャルロット・ゲンズブールと答えておく感じ? 推理小説でいえばアガサ・クリスティーやコナン・ドイルが好きでもルース・レンデルと答えるような?

 束になって襲ってくるさまざまな種類のマンスプレイニングにいちいち相手をしてヘトヘトになり、ある時点から、そもそもサッカーファンであることを隠して生きるという場合もある。うっかりバレてマンスプレイニングを聞かされても、サッカーのことよく知らないんですう、というフリで適当に相づちを打っておく(そうするとかなりの確率で、さんざん解説を聞かされたあげく「やっぱりボクら、話が合いますね」と言われる)。そんなだから、女が、好きなだけでは止まらず自分でサッカーをやり始めたと明かすのは、どれほど慎重にならざるをえないことか。下手したら心臓の弱い人に大きな負荷をかけることにもなりかねないのだ。

キム・ホンビ著『女の答えはピッチにある──女子サッカーが私に教えてくれたこと』(白水社刊)P.072─073より
キム・ホンビ著『女の答えはピッチにある──女子サッカーが私に教えてくれたこと』(白水社刊)P.072─073より

“説教”界のオフサイド、マンスプレイニング

 サッカーをしにいくと、しょっちゅう男たちと顔を合わせて退屈しない。練習試合の主な相手は女子だが、シニアチームともしょっちゅう対戦するし、たまに三十代から五十代までの男子チームとすることもある。そういう男性陣に私はモテモテである。なぜか? 「ナメてオッケー」な女である上に、ついこないだサッカーを始めたばかりの初心者だから。ひっつかまえて説教したいことがさぞや多いのだろう。練習試合のあいだ、ずっとすみっこでインサイドキックの練習をしていると、ご苦労なことに必ず近づいてきて一言ずつ声をかけていく。試合中に私のところに来られること自体、本人も試合に出られていない人だと思うのだが。選手だけではない。サッカー場をぐるりと囲む陸上競技用トラックをゆっくりウォーキングするおじさんまで、一周ごとに話しかけてくる。

 さらには先輩の息子で、たまに母親についてくる小学生男子までもが私を見ると口数が増える。あるときなど、四年生のボクに二時間びっちりつきまとわれ、インサイドキックやドリブルの姿勢を細かく矯正されたりもした(このちびっ子紳士は別れ際にジュースまでおごってくれ、「今日教えてやったことを忘れないようにな。これからも頑張れよ」と、親切にも私のサッカー人生の幸運まで祈ってくれた)。実際、ここまではわりといい話だ。ソルニットの言い方を借りれば、私も「よくわかっていないという事柄についてよく知っている誰かから説明してもらうのは好き」だし、そうやって聞きかじった言葉が非常に役立つこともあった。まあ、教える人によって言っていることが違い、こんがらがることもあるにはあるのだけど。

 問題は、子供の頃からサッカーをしてきてプロの経験もあるキャリア二〇年の女子サッカー選手にまで、コーチングしたがる男がいるということだ。一〇分プレーを見ただけでも、元選手の女子よりはるかに劣っているのが一目瞭然の、平凡な上にも平凡な実力のくせに、である。元韓国代表の女子選手でさえ、彼らのレーダーを逃れることはできない。世の中には、元ナショナルチームの選手を前にサッカーの基本テクニックを講釈したがる男が実在するのである。

 その日もそうだった。四十代と五十代からなる初対面の男子チームとの練習試合で、私たちのチームは1-0でリードして前半を終えた。あたりまえだが、同年代の女子と男子の試合はスピードやパワーの面で圧倒的に女子の方が不利だ。それでもこの日まずまずの試合運びだったのは、元プロ選手の四人が全員参加しているこちらに対し、相手には中学高校までさかのぼっても選手経験のあるメンバーが一人もいなかったせいだった。うちのチームの「選出」(選手出身の略)はこの平凡な男たちを相手に、安定したボールコントロール、鋭いパス、素早い動きで身体的なハンデをうまくカバーし、最初のゴールを奪った。楽勝の予感がした。

 が、男子チームの選手たちはそうは思っていなかったらしい。ハーフタイムに一息入れていると、四十代そこそこらしい男子一号と男子二号が水筒片手に近寄ってきて「いやあ、みなさん上手ですね。この前近所の女子チームとやったときは、前半からものすごい点差が開いちゃったんですよ。後からホント、申し訳なかったっていうか? 今日もそうなるかと思って、前半みんな遠慮しちゃったんだよね。それがあっというまにゴールとられちゃって、いやあ、こりゃ形無しだ、アハハハハ」と、敬語ともパンマル(親しい間柄で許されるぞんざいな言葉づかい)ともつかない口ぶりで話しかけてきた。

 「それって、前半は大目に見てやったって遠回しにおっしゃってるんですよね? やだなあ、なんでそんなマネするんですか。そうじゃなくてガチンコできてくださいよ。それでこそお互い成長して、タメになるんですから」

 そういう言われっぷりにはとうに慣れっこのキャプテンが適当に笑顔を作ってあしらったが、彼女の目が少しつり上がっていることに私たちメンバーは全員気がついていた。不幸なことに、男子一号と二号のコンビはわからなかったらしいが。

【キム・ホンビ『女の答えはピッチにある──女子サッカーが私に教えてくれたこと』(白水社)「ロビングシュート マンスプレイニングvsウーマンズプレー」より】

キム・ホンビ『女の答えはピッチにある──女子サッカーが私に教えてくれたこと』(白水社)目次より
キム・ホンビ『女の答えはピッチにある──女子サッカーが私に教えてくれたこと』(白水社)目次より

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