なぜ、琉球は独立をめざすのか――「居酒屋独立論」から「科学的独立論」へ
記事:明石書店
記事:明石書店
「日本とはちがう?」
旅行などではじめて沖縄を訪れた「本土」の日本人は、口ぐちに「やはり日本とはちがう」と口にする。とくに悪気があってそう発言しているようには思えない。むしろ率直な感想を述べているのだろう。そういう経験をもつ人は多いだろう。
では、沖縄のなにがちがうと思うのか。言葉なのか、食べ物なのか、習慣や暮らしなのか、建物か……。その多くが、たとえば東京と大阪のあいだのちがい以上のものを感じるのだろう。
日本国(じつはこの名称も不可思議だ、共和制なのか君主制なのかもよくわからない)の一部に沖縄が属するという前提で、戦後長い期間アメリカが占領していた状態から1972年に沖縄は本土に「復帰」したし、いまでも日本の領土だとされている。
この本は、その前提が本当に正しいのかという疑問からはじまる。歴史・文化・人びとのいずれから考えても、琉球と日本は別々の由来をもっているのではないか。そもそも「沖縄」という呼称自体が、日本がこの地域に名づけた地名であって、地域の人びとは、歴史的には「琉球」と名乗り、国際的にもそう呼ばれていた。日本が明治維新を迎えたときには、この地域には琉球王国という別の国があった。その証拠に、浦賀にやってきた黒船は琉球にもやってきて、琉球国王とのあいだで条約を締結している。つまり、条約を交換するべき国(独立国)として認識されていたことを意味する。かつては日琉同祖といわれ、日本語の祖型といわれた琉球諸語は、いまでは日本語とはちがう言葉とも考えられるようになってきている。
では、異なる歴史・文化をもった国が、なぜ日本の一部になっているのか。とりもなおさず、日本の一部にされたからだ。明治維新によって、1871年に、江戸時代に日本各地に置かれていた藩を廃止し、新たに県をつくる廃藩置県が実施された。しかし、藩ではなかった琉球では複雑な過程をたどる。1871年にいったん鹿児島県の管轄に置かれ、72年に王朝は廃止され琉球藩になり、外国(とくに清国との朝貢関係)との交渉を禁止された。79年、明治政府は軍隊を送り、首里城に乗り込み沖縄県が設置され、琉球王国の歴史は、強制的に幕を閉ざされた。この一連の過程は「琉球処分」と呼ばれている。
この一連の過程は、後に実行される朝鮮の植民地化とよく似ている。①日本政府の影響力を内部に浸透させ、②他国との交渉を禁止する、③その後、日本に編入する。つまり「琉球処分」とは、琉球に対する日本の強制併合、併呑ではなかったのか。「沖縄」は日本に併呑された植民地だったと考えれば、沖縄県の翁長雄志前知事が呼んだ「沖縄差別」の構造的な意味が理解されるだろう。
なぜ、いまでも在日米軍の70パーセントが沖縄に集中しているのか。それどころか、新基地建設によってさらに強化されようとすらしている。日本が抱える矛盾を沖縄に押しつけているからにほかならない。これは、沖縄の人びとを力で押さえつけられる(場合によっては金の力で)と日本政府が思っているからだろう。こうした態度は、権力をもった人間が植民地を見る態度であることは、これまでのあまたの歴史が物語っている。
かつて琉球独立論は、酒がはいって元気になったときの議論だといわれ「居酒屋独立論」の異名で呼ばれたこともあった。しかし、現在では、国連人権委員会でも琉球人は先住民族だと認められ、国際的な認知も進んでいる。
民族、言語、歴史、文化……、それらが日本とは大きく異なる琉球が、科学的な知見から新しい独立への模索をはじめている。本書はそうした知見をめぐって5人の論者が、対談・鼎談をつうじてさまざまな角度から光をあてた。
かつて琉球人やアイヌ人の遺骨は、帝国日本の人類学研究のために盗掘された。こうした遺骨の返還に応じない日本の大学は、いまだに「知の植民地主義」に毒されている。
旧〇〇領だった太平洋の多くの島々の独立は、現在進行形で進んでいる。現在もフランス領ニューカレドニアの独立運動は勢いをましており、本書でもふれられる。こうした島嶼国の独立の運動、形式、経験は琉球独立にも大きな影響を与えるだろう。
血統による国籍制度、家族制度を中心にする日本の生きづらさ、排外的な社会とはちがうどのような国籍制度をめざすのか。「出会えば、きょうだい」を標榜する琉球共和国の憲法は何をめざすのか。
本書は、ヘイトスピーチが横行し、権力が私物化されている、そんな今の日本をとらえなおす鏡ともいえるだろう。