デザインは日常の延長線上に 元木大輔『工夫の連続』
記事:晶文社
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建築家になりたい、デザイナーになりたい、という強い意志があったわけではなく、単純にものづくりが好きで考えるのが楽しかった結果、建築家やデザイナーと呼ばれる仕事をしている。デザインとは「何かをよりよくする工夫そのもの」だと思う。今ある現状が少しでもよくなるように考えをめぐらせ、工夫すること、その行為自体がデザインだ。そして、ものづくりを仕事にしているということは、「世界はすべて今よりよくするためのもの」であって、つまり「世界は全てプログラマブルである」と認識できるということだ。
なので建築や生活にまつわるものづくりを仕事にしていて、ラッキーだなと思うことがある。箸置きや椅子のような小さなものから、キッチンやリビングといったもう少し広げた空間、さらに広げて地域や街という領域までが考える対象だからだ。
僕が興味があったのは、どちらかというと知ることそのもの、考えることそのもの、情報そのものだった。だから、ドアの寸法から壁紙の色、街との関わりから、風景まで考えなくてはならない、建築や空間のデザインは楽しい。考えることの対象があまりにも多いからだ。あらゆる対象を知り、考えることができるという意味で、もし生まれ変わることができるのだとしたら、(今からでも遅くないかもしれないけど)映画監督や編集者になってみたいと思うことがある。
情報そのものに興味があると書いた。情報はその時点ではただの情報だけど、どの視点から物語として切り取るかによって意味や感じ方がまったく変わってくる。「桃太郎」を桃太郎の視点から描くのか、鬼の視点から描くのか。ほかにも、きびだんごの視点、たまたま通りかかっただけの人の視点、桃を拾ったおばあちゃんの視点がある。僕はひとつのものの見方によらないで、できるだけ多角的、多義的、多様な視点を発見し、目の前にあるすべてのものをフラットに捉えたい。赤提灯の居酒屋とミシュラン星付きのレストランはどちらも楽しく、おいしい。2つの間に優劣はなくそこには視点や考え方、つまりコンセプトの違いがあるだけだ。
そして、僕たちの仕事はコンセプトを立ててものをつくっていくことだ。そのときに、コンセプトごとの違いを発見したり、いろいろな可能性がつねにあるということを意識したい。
コンセプトは、機能や要望などに基づく必然性からくるものだけではなく、単純な興味や美しさといった数字にすることができない私小説的な動機であってもいいと思う。大事なのは、どう切り取るか、どう語るか、どう描くか、という視点やレトリックやディテールだ。
デザインという作業にはコスト、クライアントの要望、敷地の条件、法規など、とても複雑な条件がついてまわる。その複雑な条件を相応しいコンセプトで切ると、あざやかにデザインが浮かび上がってくるのだ。
最初にデザインは工夫そのものだ、と書いたことには理由がある。デザインと書くと特殊技術のように思われてしまうけれど、「工夫」は極めて日常的な行いだからだ。確かにデザインは技術としての側面があって、上手なデザインと下手なデザインがあるとも思う。ただ、その本質は今ある状況を観察し、気づき、改善するプロセスそのものだ。
だから、デザインはだれもが行っている日々の工夫の延長線上にある言葉だと思う。輸入概念であったデザインはしばしば「応用美術」や「設計」と日本語で訳されたことで、だいぶ曲解されてしまったように思う。
デザインとは、現状をよりよく変えようとするための一連の行為だ。デザインは工夫そのものなのだ。そして、今まで気にしていなかった考え方や作り方を知れば、もう少し詳細に言うと物事の捉え方や観察の仕方に気づけば、あらゆるものは工夫することができる、つまり改変可能な素材として見えてくる。
この本はあらゆるものを「世界はすべて今よりよくするために改変可能なもの」=「プログラマブルである」と認識し、編集するためのガイドブックだ。ペン立てのような小物、スツールのような家具から、大きな屋根やパヴィリオンのように空間を感じるもの、さらに広げて劇場や歩道のように、大人数で楽しめる場所を、できるだけ簡単に作り実践するための方法を紹介している。
世界はすでにもので溢れている。これ以上新しい物を作ることが必要なのか?という気持ちと、ものづくりは楽しい、というアンビバレンツを、僕はある意味で楽しみながらデザインの仕事をしている。なので、この本に載せたプロジェクトは、ゼロから新しいものを作るのではなく、既存のものや空間や街といった、すでにある世界をよりよくするために、編集し、改変し、工夫をするためのちょっと変わった方法でできている。
目の前にある物や風景そのものを素材や材料としてフラットに捉えることができる眼差しを獲得すると、それだけで世界の見方や捉え方が変わる。少しだけ視点をずらすことで、さっきまではなんの変哲もない普通の風景と認識していたものが、編集可能な材料として浮かび上がってくる。そんなふうに街やモノを楽しみ直すきっかけになれば嬉しい。
(元木大輔『工夫の連続』より抜粋)