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今年もやってきた新米の季節、そして運動会の季節 東海林さだお『ゴハンですよ』

記事:大和書房

『ゴハンですよ』(だいわ文庫)
『ゴハンですよ』(だいわ文庫)

 日曜日の朝の眠りは心地よい。

 ウトウトしながらも、これからまだまだ心ゆくまで眠れると思うと、しあわせいっぱいの気分になる。

 そういうとき、遠くから、ポンポン、ポポン、と打ち上げ花火の音が聞こえてくることがある。

 運動会だ。

 雨戸のすき間からさしこんでくる日の光は、きょうの晴天を物語っている。

 そうか、そうか、運動会か、それはよかった。

 運動会と知って、それはけしからぬ、と思う人は少ない。

 朝の眠りを破られても、運動会なら許してやろうという気持ちになる。

 そうか、そうか、運動会か。

 ウトウトしながらも、昔の運動会の記憶がよみがえってくる。

 抜けるように青い秋空。

 少し冷たく感じられる秋風にはためく、校庭いっぱいの万国旗。

 紅白で飾られた入場門、退場門。

 中央本部のテントの中の来賓席。そこに積みあげられている賞品の山。

 グラウンド一面に、石灰でくっきりと描かれた白いライン。

 縄で仕切られた父兄席のうしろで、秋風にゆれるコスモスの花。

 腕章をつけ、メガホン片手に張りきって走っていく体育の先生。

 いつもの見慣れた校庭が、すっかりはなやぎ、少し緊張につつまれている。

 運動会は、子供にとって、緊張につぐ緊張の一日だった。

 つらい一日だった、ということもできる。

 しかし、そのつらい一日を、十分補って、なお余りあったのが運動会の昼食の時間だった。

 「昼食」の放送と共に、プログラムから解放されて、母親の待つ父兄席に一目散に走っていくときの気持ち、そこで過ごした昼食の一時間は、子供のころの思い出の大きな部分を占めている。

 いまの若い人たちに聞くと、運動会の思い出が実に稀薄である。

 ほとんど思い出がないという。

 運動会の昼食が、給食スタイルになったせいにちがいない。

 これまでの人生の中で、数々の昼食をとってきたが、「運動会の昼食」には特別の深い思い入れがある。

 ぼくらのころの運動会は、服装といえば、頭には紅白のハチマキ、シャツはランニング、キャラコのパンツ、足には運動会用の足袋はだし、というものだった。

 キャラコというのは、そういう名前の布地で、手でもむと白い粉がハラハラ落ちるという粗悪品だった。薄いペラペラの布地を、粉でかためて、かろうじてパンツの形を保たせてあった。

 足袋はだしというのは、外でもはける足袋のことで、運動会用のものを文房具屋などで売っていたような気がする。

緊張のプログラム、高まる昼食への期待

 プログラムは、ガリ版刷りだった。

 このプログラムが、生徒に緊張をもたらす最初のものであった。

 運動会の朝は、プログラムを眺めてはため息ばかりついていた。

 自分たちが出場する競技は、プログラムの何番目か、これが緊張の第一歩であった。

 競技が次々と消化され、自分たちの百メートル競争の番が刻々と近づいてくる。

 あと四、五番目というあたりになると、先生が小腰をかがめて走ってきて、スタートラインへの移動をうながす。

 このあたりで、すでに心臓は早鐘のように高鳴り、足は宙に浮いたようになる。

 スタートラインの後方にしゃがんで待機。この待機が心臓にこたえた。

 あと三番目、あと二番目になると、心臓が口から飛び出るのではないかと思われるほど激しく振動する。

 いまになって考えてみれば、何もそんなに緊張しなくてもよかったのに、それほどの重大事でもなかったのに、と思うが、子供にとってはそれこそ天地がひっくり返るような人生の一大事だったのだ。

 いよいよスタートラインに並んで「ヨーイ」の声を聞いて「ドン」に至るまでは、心臓どころか、体中のあらゆる臓器が口から飛び出すような気がしたものだった。

 十一時を過ぎたあたりになると、生徒の目はしきりに父兄席に向けられるようになる。

 行進をしていても、競技を待っている間も、父兄席の両親の姿をさがすようになる。

 朝、家を出るとき、「鉄棒のそば」と指示されたあたりに、しきりに視線を走らせる。

 いなければたちまち不安になり、いればとたんに満面の笑みとなる。

 友だちに、「きてるぞ、きてるぞ」と突かれると、恥ずかしい理由など一つもないのに何だか恥ずかしく、花嫁のように恥じらってしまう。

 十二時。

 サイレンが鳴って、中央にいた生徒の一団が、周辺の父兄席に一散に散っていく。

 このときの気持ちは、飼い犬が飼い主を見つけて走っていくときのような、何だか切ないような、せっぱつまったものがあって、いま思い出してもなかなか懐かしいものがある。

 両親のところに到着すると、とたんに晴れがましいような気持ちになった。

 何だか誇らしいような、勇ましいことをしてきたような、一言ほめてもらいたいような気持ちになった。

定番だった、いなり寿司とのり巻き

 ぼくらのころの運動会の昼食は、質素そのものだった。

 まだウィンナーソーセージはなく、鶏の唐揚げもなかった。ハムもエビフライもなかった。

 サザエさんの漫画には、そのころの運動会のお弁当を扱ったものがよく出てくる。運動会の前夜、カツオが油揚げを買いに行ったら売り切れだった、とか、サザエさんが干ぴょうを買いにいくと、「あしたは運動会ですね」と言い当てられる、といったものである。

 そう。そのころの運動会のお弁当といえば、いなり寿司とのり巻きに決まっていたのである。

 そしてまた、いなり寿司とのり巻きは青空とよく合う。青空の下だと、いなり寿司とのり巻きは特においしい。

 昔のいなり寿司は、いまのより甘辛の度合いが強かったように思う。そのうえ煮汁がたっぷりだった。
 噛みしめたときの、少しきしむような油揚げの歯ごたえ。油揚げからにじみ出てくる甘辛の煮汁。それがよくしみこんだ酢めし。油揚げの甘辛のきつさが、疲れた体には特においしく感じられた。

 いままで流れていた音楽や鳴りものがやんで、急に静かになった秋の校庭に、小さな団欒のざわめきが、風にのって広がっていくのであった。

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