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砂漠は「不毛」ではなく、海や熱帯雨林を肥やす自然界に必要な存在 『Our Planet』より

記事:筑摩書房

original image: carrottomato / stock.adobe.com
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 アフリカ南西部のナミブ砂漠は世界最古の砂漠だ。5000万年以上も昔から乾燥した世界が広がっている。この砂漠と比べたら、6000年前にはみずみずしい緑に覆われていたサハラ砂漠など、新参者のように思える。ナミブ砂漠は極限の世界でもある。気温は60°Cに達し、砂丘の高さは300メートルを超える。生息しているのはこの世界に適した生物だ。ナミブ砂漠の植物3500種のうち、半分はここでしか見られない。ウェルウィッチアという低木には葉が2枚しかないが、1000年も生きることができ、たまに雨が降ると勢いよく生長する。

 ナミブ砂漠には、ヘビからシマウマ、ノガン、そして乾いた砂を泳ぐように進むチチュウカイモグラに至るまで、あらゆる動物の砂漠バージョンが生息している。大型のレイヨウであるオリックスは、体温45度まで耐えられる。全身に細い血管が巡り、脳に向かう血液が冷やされるなど、生理的にも行動面でも暑さに適応しているからだ。

 砂漠に生息しているゾウの個体群は、足がとても大きいという特徴がある。砂地を歩くために適応したのだろう。水気の多い植物を求め、何日も水を飲まずに歩ける。砂漠のゾウは賢い。家族単位は平均より小さく、母親は干上がった河床の下に隠れている水の見つけ方や、食べられる植物が生えている遠い場所などを子どもに教える。こうした文化知識があるからこそ、この個体群は砂漠で生き延びていけるのだ。

 ナミブ砂漠には甲虫もたくさんいる。何千万年も前からある砂漠だけに、甲虫の多くは大西洋沖で発生して流れてくる海霧から水分を得られるよう適応した。湿った空気を察知すると砂丘のてっぺんに駆け上がり、結露した水が体を伝って口に入るよう逆立ちのような姿勢を取る。なかには結露を最大にすべく進化し、体の隆起部に幾何学模様をつけたものもいる。科学者はこの模様を真似て、水を捕らえる素材を人間のために開発している。

 では、砂漠は保護すべきなのだろうか? 私たちは砂漠の拡大を食い止めることに気を取られがちだ。乾燥地の管理の失敗と気候変動が相まって、メキシコからモンゴルまで、サハラ砂漠南端のサヘルからインドのタール砂漠まで、砂漠化への懸念が生じている。中国の中央にあるゴビ砂漠は、毎年ロンドンの2倍以上の面積を吞み込んでいるという。国連の推測によると、世界の乾燥地の5分の1が植物の消失や土壌劣化の危険にさらされている──米国に匹敵する面積だ。

 だが、砂漠化の進行は食い止めたいとしても、今ある砂漠は大切に育んでいく必要がある。ほとんどの砂漠は、生物のいない不毛な地とはほど遠い。独自の生態系を持ち、他の地域では見られない特殊な適応を果たした動植物を擁している。植物は水を蓄えられるよう茎が膨らみ、根系も特殊なものに進化した。小動物は暑さを避けるため、地下に潜るか夜間のみ行動する。

 チリ北部のアタカマ砂漠には、何十年も雨が一滴も降らない地域がある。だが、雨が降ったときは数時間で種子が芽を出す。2017年の降雨の後、アタカマ砂漠には200種を越える植物がいっせいに花開き、色とりどりの万華鏡のような景色を見に、世界中から植物学者が駆けつけた。

 また、砂漠は外部からやって来る生物種にとって安全な避難所となる。アラビア半島のみに生息する絶滅危惧種のペルシャウは、ペルシャ湾やアラビア海に浮かぶ砂漠のような島々に巨大なコロニーを作る。ヒナのために毎日海まで魚を捕りに行かねばならないが、その苦労は報われている。捕食者は島の環境では生きられないため、ヒナは安全なのだ。

 砂漠は世界に対し、驚くべき機能も果たしている。砂漠の砂嵐は、痩せた土が大地から吹き上げられ、まるで自然のメルトダウンのように見えるが、生命に恵みをもたらしている。砂漠のミネラルが遠い熱帯雨林を肥やしているのだ。リンの豊富なサハラ砂漠の砂塵は、毎年数億トンも風に運ばれて大西洋を越え、その多くがアマゾン流域に落ちる。アマゾンの森には植物の生育に欠かせないリンが不足している。サハラの砂塵がなくなっても、この世界最大の熱帯雨林は生き残れるだろうか? おそらく無理だろう。

 砂塵には鉄も含まれている。鉄は遠洋のプランクトンの成長に欠かせない。大西洋に含まれる鉄の4分の3はサハラ由来だという。砂漠の砂嵐がなければ、海の一部はまさに砂漠と化すだろう。このように砂漠は貴重なものだが、他の生態系と同じく、人間の愚かな活動のために存続が危ぶまれている。クウェートなど湾岸諸国では、都市基盤が砂漠に広がり、砂丘システムを破壊している。

 アメリカでは、オフロード車が同じことをしている。他の砂漠では、環境への影響などほとんど考えず、砂漠の下に眠る鉄鉱石やリン、ウラン、ダイヤモンドの巨大な露天採掘場が作られている。しかも、どの砂漠でも農民が入り込む危険がある。

 一部の砂漠、とくにサハラ砂漠とアラビア砂漠では、砂地の下に莫大な量の水が眠っている。乾燥していなかった時代の名残だ。この水が地表に出ている場所には天然のオアシスがあり、砂漠の豊かな生態系を支えている。だが、サウジアラビア、リビア、ヨルダンその他の国々は砂漠に灌漑農場を作り、送水ポンプでこの地下水を汲み上げており、オアシスは干上がりつつある。

 砂漠の端では、最大の環境破壊は農民によってもたらされることが多い。生き延びることが大変な環境下で、自然の脆弱な生態系を破壊するリスクのある農法が採用されている。だが、そんな農法に頼る必要はないのだ。人口過密な世界では、自然保護のために土地を手放せるとは限らないが、砂漠の端であれば、もっと良い方法がある──自然と折り合いをつけ、ダメージをこれ以上与えないようにし、生態系の回復を可能にする方法が。

 20年前、サハラ砂漠の端に位置するニジェールでは、多くの地域が砂漠に吞み込まれると見なされていた。作物の収穫量は減少し、農民は土地を手放しつつあった。だが、その後ニジェールの風景は一変した。政府の専門家は、畑に生える木は抜くようにと長年助言してきたが、地元の農民がこれを無視し、木々を育て始めたことが変化をもたらしたのだ。

それは偶然の出来事だった。1980年代半ば、外国で働いていた若者たちがニジェール南部のマラディ州ダン・サガ村に戻ってきた。キビの植え付けの時期がもう終わりかけていたため、彼らは畑に生えている木々を抜かず、大急ぎで植え付けをした。驚いたことに、彼らのキビは木々を抜いた隣人たちの畑のよりも生育が良かった。翌年も同じ結果となったため、村人たちは畑に残る切り株から生えてくる芽を育てた。畑の木々は浸食を減らし、その落ち葉は土を肥やし、土壌水分の維持にも役立った。やがて木々は薪や家畜の飼料その他にも利用され、さらには作物に木陰を提供し、村を風や日射しから守る働きもするようになった。

 この話が伝わり、まもなく何百もの村々が同じことを始め、かつての不毛な地に2億本ほどの木が植えられた。木々はキビやソルガムの収穫量を増やし、炭素を捕捉し、砂漠の侵入を防ぐ。だが、何よりも重要なのは、人々が絶望から立ち直ったことだろう。より良い方法はあるものだ。砂漠の進行はもはや不可避とは言えまい。

 不可能と思われるものを可能にしたのはニジェールの農民だけではない。20世紀半ば、ケニア中部のマチャコス地区は砂漠化の寸前にあり、手を打つすべはないと考えられていた。宗主国であったイギリスの統治者は、この地区は環境劣化の「悲惨な例」であり、「急速に岩と石と砂ばかりの乾ききった砂漠になっていく」と述べたほどだった。

 だが、その当時から地元のアカムバ族は丘陵に段々畑を作って土壌を守り、雨水を集めて農業用溜池に貯留し、植樹を行ってきた。マチャコスの人口は5倍、農業生産性は10倍となったが、町は砂漠になるどころか、以前よりも緑が増している。アカムバ族が人口統計学など信じなかったからこそ、このような結果を得たのだとイギリスの地理学者マイケル・モーティモアは言う。環境を破壊するのではなく、より多くの人々が土地を改良する努力を惜しまなかった。これは、まさにアフリカが必要とする手作りの緑の革命だった。栄えるチャンスを自然に与えつつ人も生活していくとなれば、このような方法はうってつけなのだ。(北川玲訳)

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