フリーランスでテレワークする自由 著者が語る『「3密」から「3疎」への社会戦略』
記事:明石書店
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師走の京都・清水寺で「今年の漢字」として「密」が発表されたほか、コロナ禍に終始した今年の新語・流行語大賞には「3密」が選ばれた。「3密」は新型コロナウイルスの感染拡大を避けるために、厚生労働省が作ったらしい。いまさら解説は必要ないだろう。
「密」について少し分析的に考えてみた。この漢字はぎっしり詰まった画数で構成され、どの辞書で調べても言葉の意味は「ぎっしりと隙間がない様子」というものである。そこでこの漢字を3つに分解してみた。「うかんむり」「必」「山」である。これはどういう組み合わせなのだろうか。
「うかんむり」は、もともと山の形をした屋根の形象らしい。この「つくり」は「家の中にいる」ということを表しているようだ。「室」も似たような感じである。緊急事態宣言下では外出が自粛され、テレワークが本格的に導入され、大学では現在でもオンライン授業が多い。私たちは自宅にいることを強いられた。なるほど、と思う。
「必」は杭(くい)が折れないように紐で締めているさまを表しているらしい。「山」はもちろん山のことである。まとめて、私はこう解釈した。「大都会を離れ、山の中で家に閉じこもってテレワークし、一人でもしっかりと暮らしていこう」ということか。昔からの知恵なのか、「密」の文字の中にそんなことが隠されていたとは……この文字の「秘密」を読み解いた気がして私は小さくガッツポーズをした。
さて話は変わるが、東京の下町に30年ほど住んでいたわが家では、年末年始の恒例行事として『男はつらいよ』=寅さんの映画をよく観ていた。フーテンというのは「定職を持たず街中などをふらつくこと」であるが、気楽に全国を行商して素敵な人に出会い、何度も恋をすることのできる身分に、誰もが一度は憧れたことがあるのではなかろうか。寅さんの甥の満男もそのひとりである。
車寅次郎の働き方は現代の言葉で言い換えれば、ノマドのフリーランサーである。もし寅さんがこの現代に生きていたら、はたしてスマートフォンを使いこなしていただろうか? 寅さんが瀬戸内海の島で、タブレットで注文をとってデリバリーしていたら、四角い顔が四角いキャリーバックを背負っていたら……と想像してみると笑い話ではないか。
でも、この時代に「勉強しないで遊んでばかりいると、寅さんのようになってしまうぞ」というのはもはや悪い意味には使われないのではないか。「3密」の大都会のオフィスであくせく働くことのない「フーテンの寅さん」こそ、実は先駆的な生き方だったのではないだろうか?
昨年上映された久々の新作では現在の「くるまや」の人々が描かれていたが、そこでは寅さんの甥の満男はサラリーマンを辞めて作家になっている。作家は首都圏在住でない人も結構いて、地方で在宅労働しながら執筆作業をこなすことのできるフリーランサーの典型である。つまり満男は寅さんから「フリーランサー稼業」を立派に引き継いだのだ。
本書では、「朝は釣りをして、昼は島の現代アートを鑑賞し、夕方から夜にかけてオンラインで短時間だけ働く」という「自由の王国」の実現形としての「中心のない社会的空間モデル」を描いている。この理想が実現されるためには、テレワークとフリーランスを使いこなし、「病理的資本主義」を飼いならして克服することが必要になってくる。これは感染症を克服する生き方でもあるし、その学問的な背景と根拠については本書の中でこれでもかというほど詳しく、できるかぎりやさしく書いた。
本書で提示した「自由の王国」の発想の源泉は「寅さん」ではなく、何を隠そう「私自身」にある。東京から移住し、週3~4日は出勤しつつ、研究資料と研究への刺激を求めて洛中のギャラリー、古本屋やカフェをめぐったあと研究論文をモバイルに書き上げるという、研究者としての私自身である。
このような私自身の周りには、多くの人はまだ知らない「ユートピア社会空間」が確実に形成されつつある。だからこそ一人でも多くの人に早くこの空間を体験してほしい、との願いからこの本を書いた。伝えたいメッセージは以下である。
「定年まで企業に雇われ、夜遅くまで残業をし、電車で通勤して巨大なビルで仕事をしていた変な時代があった」と昔話に感心するような時代はそう遠くないうちに必ず訪れる。(本書127-128頁)