ロボット研究者が語る「人間らしい」未来の生き方とは? 石黒浩『僕がロボットをつくる理由』
記事:世界思想社
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――石黒先生は、これから何をやりたいと考えていますか。
やりたいことは山盛りありますけど、今いちばん力を入れているのは、第4章(「想像する」)でも話した、意図や欲求を持つロボット、これをつくりたいんですよね。なぜかというと、意図や欲求を持たないと、本当の友達、ともに生きる相手にはならないからです。第6章(「信じる」)で話した「人の存在感を持つロボット」ですね。今のロボットは、中身がないんです。欲求がなければ感情は生まれないし、ロボットの自律性なんて望めないじゃないですか。
意図とか欲求がちゃんと持てると、ロボットも自然な感情表現ができるようになるし、もう一方で、人間の意図や欲求をロボットが理解できるようになるんですよね。自分が持っていないものは理解できないので。人と話していて「この人はこういう欲求を持ってるなあ」と感じるのは、それが自分の中にあるからでしょ。だから、ロボットが人の意図や欲求を理解しながら、言われたことだけをやるんじゃなくって、「あ、この人はこういうことをやりたいのか。じゃあ、こういうサービスをしてあげよう」と考えられるようになるわけです。そういう人間らしい機能を持つには、意図や欲求は絶対必要なんですよ。
それがもしできたとすると、おそらく強烈に自我や意識を持っているように感じられるロボットになると思うんですよね。つまり、ものに意識を感じる時代になると思います。
そして、本当の意味で、僕らがいちばん知りたいところに近づけるんじゃないかと考えています。今よりももっと深いレベルで「人間とは何か」ということがわかってきて、自分の存在とか生きてる意味とか、この世に存在するということについて、もっと深く考えられる気がするんです。それが、人間らしいロボットをめざす理由ですね。
僕がどういう未来をつくろうとしているのか、極論を言うと、ロボットが人間についていろんなことを教えてくれる社会なんです。第3章(「話す」)で話したとおり、人が考えるには一人ではだめで、それを映す鏡が必要なんですよ。だから、今のでくの坊みたいなロボットじゃなくて、意図や欲求を持ったロボットができたら、生きるとは何かとか、考えるとは何かということを、目の前のロボットから学べるような時代が来るはずなんですね。
今はまだ、技術でお金を稼いで、他国より有利になって、そうすることで経済活動を引き起こすなんていう話をしてますけど、技術によって世界はどんどん平等になっていくと考えています。たとえば、アフリカで電話線がない場所でも、みんなスマホを持っていて、牛を買う決済もスマホで全部やってるんですよ。ようするに、技術はもうどこでも誰でも平等に使えるレベルになってきてるわけですよね。そうすると、人の優位性は、技術だけでは簡単に確保できなくなってきて、お金もそんなに稼げなくなるような時代がくると思います。
そういう社会って、差別のない社会だし、同時に、その技術を通して人って何かということがよく見えるようになる社会なんです。なぜかというと、技術は人間の大事な部分を置き換えたり、拡張したりするものだから。
僕はそういうことが本当の技術の進歩だと考えていて、最終的に技術っていうのは貧富の差をなくして平等な世界をつくるものだと思うんです。そして、技術が進んで飢えなくなると、肉体を維持するための活動なんてあまり意味をなさなくなるわけですよ。
そうすると、人間はさらに高度なことを考えるようになると思います。たんに欲求をもって何かするぐらいのことだったら、ロボットでもできる、じゃあその欲求の上のものって何なのか、より人間らしいものって何なのかを考えるじゃないですか。だからそうやって、人間がより人間らしい、つまり人間にしかできない人間固有の能力を拡張していくんですよ。ようするに精神がもっと重要になるわけですよね。(中略)
人間とは道具を使う猿、つまり技術を使う動物なので、技術で進化していくことは間違いありません。
大昔は、動物的な力で強さが決まっていたけど、その体力に相当するものは技術に置き換えられてきましたよね。速く走る代わりに自動車ができたり。その次に、知能で人の強さが計られるようになる。つまり、賢い人が強くなったんですね。ただしそれも、単純な部分はコンピュータにとってかわられつつあります。たんなる計算や記憶はコンピュータのほうが、絶対に速くて正確です。
それと同じように、人間の機能が技術によって機械化していくことも、すでに起こっています。たとえば、第1章で「食べること」も、技術によって効率化されていくという話をしましたよね。第1章の「着ること」も、肌を人工物で覆ったり、メガネをかけて視力を上げるというのは、まさに部分的な機械化と言えます。その延長線上に、スマホで自分の脳を拡張すること、義手や義足で身体能力を拡張すること、内臓を人工臓器に換えることがある。そしてその先には、身体の完全な機械化が起こる。
力や知能、身体そのものが技術に置き換えられていくと、さっき言ったように、重要になるのは精神です。人間は肉体では定義されなくなって、物事の概念を理解するとか、哲学を持つという精神的な活動が大事になるんです。
有機物じゃなくなるということは、肉体に制約されないということで、今よりももっともっと自由度が増えるんです。今までだって、僕らはどんどん自由度を増やしてきましたよね。自動車や新幹線、飛行機であちこちに行けるようになったし、インターネットやスマホで知識をどんどん取り込めるようになった。
ようするに、肉体の制約を取り払うということは、自分の想像したものに瞬時になれる、ありとあらゆる形態になれる、だから未来は自由なんだよ、という話なんですよ。選択の可能性が無限に増えるんです。完全に機械化する時代までいかなくても、近い未来、僕がつくろうとしてる未来は、選択肢が増える未来なんです。
たとえば、技術が進めば、身体障害者の人は義手や義足、インプラントとかいろんなものを使えるので、物理的な制約がぐっと少なくなります。それから、自閉症の子どもがロボットを使うと、よくしゃべるようになるという実験結果もあります。しゃべりたくてもしゃべれない、だからずーっと頭の中で「しゃべるんだったらこう言おう」って考えていたことを、ロボットを通して伝えられるようになるんです。
――技術が、もっと人間を生きやすくしていく、ということでしょうか。
そうです。障害を持った人だけじゃなくて、誰もがより生きやすくなっていくんです。
技術が進むというのは、仕事が減るとか、コンピュータに乗っ取られちゃうっていう話じゃなくて、生き方に余裕が生まれて、バリエーションが増えることなんです。自分でやりたいことややるべきことをちゃんとやれるようになって、自分で好きな生き方がデザインできる、誰もが人間らしい豊かな生活を楽しむことができる。自分とは何かとか、もっともっと深く自分に関して理解するチャンスが増えてくる。そういうことですね。たんにお金を稼いでごはん食べて寝てるだけの動物的な自分から脱却できるんです、誰もがね。
ロボットを怖いと感じるように、技術を受け入れる人と受け入れない人というのはあるかもしれません。でもそれも選択肢のひとつです。それに、第5章(「働く」)で触れたように、能力の差が出たとしても、教育がちゃんと底上げしてくれますからね。バリエーションが増えるということは、ありとあらゆる人が生きるチャンスを持つということだし、人それぞれ、いろんな生き方ができるっていうことです。
人間というのはこんなに大きな脳を持っているんだから、世の中をちゃんと客観的に理解して生きていけるんです。その中でいちばん理解が難しいのは、自分自身の存在なんですよね。自分自身の存在を理解するということが、人間の生まれながらにして持った宿命なんですよ。今までは哲学者や研究者が追究してきたことを、技術とともに誰もが考えて世界をより良くしていく、もっともっと、みんなが人間らしく過ごせるようになることをめざしていく、それが人間の生きる目的なんです。