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ホメロスは実在したか? エリック・H・クライン『トロイア戦争 歴史・文学・考古学』

記事:白水社

古典文学に伝えられる「伝説の戦争」は現実にあったのか、あったとすればその実態は? エリック・H・クライン著『トロイア戦争 歴史・文学・考古学』(白水社刊)は、最新の研究成果をふまえて総合的な解答をわかりやすく語る入門書。
古典文学に伝えられる「伝説の戦争」は現実にあったのか、あったとすればその実態は? エリック・H・クライン著『トロイア戦争 歴史・文学・考古学』(白水社刊)は、最新の研究成果をふまえて総合的な解答をわかりやすく語る入門書。

 トロイア戦争の裏づけとなるギリシア文学の証拠を研究する現代の学者はたいてい、「ホメロス問題」として知られるものに関心を寄せている。これは実際には、より小さなたくさんの問題からなる。そのうち最も重要な問いは「ホメロスは実在したか?」、そして「ホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』の中の情報は、青銅器時代(トロイア戦争が起こったとされる時代)か、鉄器時代(ホメロスが生きていた時代)か、あるいはその中間のどこかを反映しているのか?」である。この2つの問いはいずれも重要だとはいえ、トロイア戦争の研究ないしトロイアの遺物の発掘に携わるか、もしくは、エーゲ海および東地中海における青銅器時代の世界の再現を試みる学者にとっては、後の問いのほうが意義が高い。

エリック・H・クライン『トロイア戦争 歴史・文学・考古学』(白水社)P.8─9より
エリック・H・クライン『トロイア戦争 歴史・文学・考古学』(白水社)P.8─9より

ホメロス

 ホメロスとその生涯については実際のところ、あまりよくわかっていない。古代人はホメロスを、口誦詩人──過ぎ去った時代の英雄の事績を歌いながら各地を旅する吟遊詩人──としてきわめて高く評価した。そしてホメロスは今なお、ギリシアの叙事詩人たちのうちで最初の、そしておそらく最も偉大な詩人だと見なされている。言い伝えによると、彼の天賦の才はトロイア戦争の物語(物語群)の編集・結合に、そしておそらく、それを最終的に書き記したことにあった。バリー・パウエルというひとりの学者がかなり変わった提言をしている。ギリシア語のアルファベットは叙事詩を書き記せるよう発明されたのであり、アルファベットは「ただひとりの人物によって発明された……それはわれわれがホメロスと呼んでいる詩人によるギリシア語の長短格六脚韻を記録するためであった」というのだ。他の学者たちは、ホメロスは両叙事詩を創作したかもしれないが、それ以前の叙事詩と同じように口伝を意図したもので、現在『イリアス』と『オデュッセイア』として知られるものが最終的に書き記されたのは、おそらく前6世紀、あるいはさらに後になってからのことだとしている。

 ホメロスが実在の人物で、両叙事詩の著者だと仮定すれば──どちらも疑問の余地のある仮定だが──、彼はいつ、どこで生きていたのか? ヘロドトスは、ホメロスは自分の時代からだいたい400年くらい前に生きたと考え、「ヘシオドスやホメロスにしても私よりせいぜい400年前の人たちで、それより古くはないと見られる」と述べた(『歴史』第2巻53)。ヘロドトスは紀元前450年頃の人なので、ホメロスは紀元前9世紀中葉つまり同850年頃の人ということになるだろう。ただし、何十年にもわたる学界での議論の末、現在ホメロスの年代は一般に約1世紀遅らせて紀元前750年頃とされている。それはひとつには、ホメロスに学んだ詩人のひとりであるミレトスのアルクティノス(『アイティオピス』と『イリオンの陥落』の作者)が紀元前744年生まれと言われるからである(アレクサンドレイアのクレメンス『雑録』第1巻131・6を参照のこと)。

 アリストテレスとピンダロスを含む、古代ギリシアの学者や作家や詩人たちはホメロスの出自について論じた。ホメロスはアナトリア西海岸のスミュルナ(現トルコのイズミル)の出身で、長年キオス島で働いたと考える人もいれば、キオス島かイオス島生まれだと言う人もいる。要するに、彼の出自について大筋で一致したことはなかったのである。実際のところ、ホメロスは実在しなかった、少なくとも一般に言われているような人としては実在しなかったと主張する学者は大勢いる。

 他方、ホメロスは単一の個人ではなく少なくとも2人いたとも提唱されてきた。実際、『イリアス』と『オデュッセイア』を書いた人はそれぞれ別々だったと、とくにドイツの学者たち(なかでも1795年にフリードリヒ・アウグスト・ヴォルフ)によって、長年考えられていた。ひところ、両詩のテクストのコンピュータによる文体分析がこの結論を裏づけると思われたが、これまでのところ全般的な合意にはいたっていない。ホメロスは男性ではなく女性だったと提案されたこともある。近年、この仮説を擁護する論拠が調査されているが、初めてこれを提唱したのは1世紀以上も前にさかのぼる、サミュエル・バトラーの1897年の著作である。

 おそらく最もおもしろく、きわめて妥当でもあるのは、ホメロスとは特定の個人ではなく、なんと専門職のことだったという提唱である。すなわち、「ホメロス」という名の人物がいたのではなく、生活のためにトロイア戦争の叙事詩を歌いながら各地を旅する口誦詩人が「ホメロス」だったというものである。もしそうだとすれば、紀元前8世紀に新しい書字体系が広く使えるようになったときに、ひとり以上のこういう専門職の口誦詩人がこの物語の口誦版を書き記したのかもしれない。全般的に見れば、ホメロスについての提唱と書物には事欠かない。それでも簡潔な答えは、私たちは彼についてほとんど何も知らないということである。なにより重要なことには、一般に彼の作とされる『イリアス』と『オデュッセイア』の2篇を実際に彼が書いたかどうかについて、ほぼ皆目わからないということなのである。

【エリック・H・クライン『トロイア戦争 歴史・文学・考古学』「第3章ホメロス問題──ホメロスは実在したか? 『イリアス』は正しいか?」より】

エリック・H・クライン『トロイア戦争 歴史・文学・考古学』(白水社)目次より
エリック・H・クライン『トロイア戦争 歴史・文学・考古学』(白水社)目次より

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