予期せぬ災害時に最善の行動をとれるように 教師と教職を志す学生のための学校防災
記事:朝倉書店
記事:朝倉書店
東日本大震災のあの日に何が起こったか、旧・仙台市立荒浜小学校の経験をたどってみます。
大震災をもたらした東北地方太平洋沖地震が発生したのは、2011年3月11日の14時46分でした。この日は平日、金曜日。学校には教職員が勤務しており、まだ学校にいた子どももいれば既に下校した子どももいた時間帯でした。地震発生後、周辺の住民を含め多くの人たちが荒浜小学校へ避難してきました。海から約700 m、海抜約1.5 mに位置するこの学校は、海岸の松林の背後に形成された集落唯一の頑丈な4階建ての建物です。教員たちは学校に残っていた子どもを含む避難者とともに、迷わず校舎の屋上へと避難しました。
その前年まで、災害時のマニュアルでは、地震発生時は体育館に避難すると定められていたのですが、2010年2月に南米チリ沖で発生した遠地地震により、東北の太平洋岸に津波が到達したときの経験などをふまえて、地震・津波の場合は、直接校舎に避難すると地域住民たちと方針を変更し、合意しておいたのです。
3月11日に、津波が学校を襲ったのは地震発生から約1時間後でした。津波により、学校周辺はどこが海か陸かもわからない状態になりました。携帯電話は基地局の破損や発信規制などでほとんどつながらず、ちょうどその頃導入された移動系の防災行政無線を屋上に持って行き、バッテリーで動作させ救助を要請しました。無線機は、320人もの避難者の救助要請をするための唯一の連絡手段として有効活用できました。
災害時、学校は保護者から預かっている子どもの命を守る重責を負っています。特に小・中学校は義務教育のため、保護者は子どもを通学させなければなりません。公立であれば原則、住民票を置く自治体が指定する学校に子どもを通わせることが定められており、保護者は学校や教員を選ぶことができません。どの学校に預けても安全は一様に確保されている、という信頼のもとに公教育は成り立っていると言えるためです。
また学校は、子どもたちが生涯にわたって自らや大切な人の命を守れる力を身に付ける場でもあります。さらに、地域防災計画(災害対策基本法に基づいて各自治体が定める)によって学校は避難場所とされることが多いため、災害時に地域住民が頼る拠りどころとしての役割も期待されています。
学校運営では日ごろからの「防災管理」、そして教育の場として、子どもに防災の知識・技能を身に付けさせる「防災教育」が柱となります。さらに、学校・家庭・地域で連携して「組織活動」を行う必要があります。
予期せぬ災害時に最善の行動をとれるよう、学校では避難訓練を工夫して実施することが重要でしょう。そのためには綿密な避難訓練計画を立てられるようになる必要があります。また、子どもを保護者へ引き渡す訓練も実施しておくべきでしょう。学校周辺地理のハザードマップを読み解く能力も求められます。そのための知見が本書にまとめられています。