福岡自然農法は問い続ける緑の思想 世界20数カ国で翻訳された『わら一本の革命』
記事:春秋社
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福岡さんが亡くなられてもう12年になる。正真正銘の「気骨」の人だった。
24歳で自然農法を始め、試行錯誤を繰り返し、10年後、本格的に自然農法一筋の人生がはじまった。45歳で自費出版になる『百姓夜話』(のちの『無』の三部作の基点になった書)で考えをまとめ、62歳にして『自然農法 わら一本の革命』が上梓される。自然を相手に土塊となって自らの言葉を紡いで得た独自の思想の書にほかならない。着飾った抽象論も観念論も空想さえも入り込む余地はなく、目前にある農作業の手応えだけをもとに織りなされた世界である。
福岡哲学のモットー「不耕起・無肥料・無農薬・無除草、それでいて豊かな収穫を得る…」とは、およそ近代農業の通念から逆行するかのように響くが、その実、人為への警告を発することで見えてくる農のありようは、現代生活の見直しを迫る。ややもすれば、こうした単純明快な営みを忘れ、やみくもに多収穫を志向してきたのが人間の姿である。
「(科学者が)どこまで自然を研究していっても、いかに完全無欠なものであるかということを知るにしかすぎない。研究すればするほど、神秘な世界であることがわかってくる。だから、それをまねして、人間がそれ以上のものを作れると思ったりしたら、とんでもないまちがいでもあるし、一つの悲劇の材料を作ったにすぎない。人間は、神さまの愛っていうか、自然の偉大さを知るがために苦闘しているにすぎないんだと思います。だから、百姓が仕事をするという場合、自然に仕えてさえおればいいんです」(129頁、要約)
人間は大自然を相手に格闘してきた歴史がある。あくなき技術と知識の集積。しかし、本来の自然の姿からはかけ離れていくばかりだ。
人は、自然を完全に知りつくすことはできない。だから余計なことはしない。しかし、放任することは違う。自然は怠情な百姓に甘くない。…そんなことを福岡さんは声を大にして言い続けてきた。大自然の循環サイクルで、生かされている存在としての人間のありようをしきりに問う。
「自然農法を人間生活の起点にして、はじめて本当の人類の幸福、未来の展望が開かれてくると思うんです。私は山小屋に、正食、正行、正覚という言葉を落書しておりますが、この三つは、きりはなすことのできないものであります。どの一つが欠けても、何一つ達成できない。その一つができれば、すべてのことができる。そして、この三つを達成する、その第一の出発点、誰でもができる、しかも実行可能な出発点が、自然食と、この自然農法だと思っているわけなんです。しかし、その前途は多難で、絶望的だとも言えます」(147頁)
福岡農法の発祥の地、愛媛県伊予市の広大な農園「福岡正信自然農園」。いまや世界各国から多くの人たちが来訪しているという。
ここで福岡家三代にわたるユニークな農の営みがいまも続いている。福岡大樹氏は祖父と同じように、日々自然と対話しながら、その思いを守り続けている。
「祖父には、自ら得た真理を支えにして、昼寝をして暮らす仙人のような人生を選ぶこともあったはずですが、そうではなく、確固たる信念のもとに、人の生きるべき道を声を大にして伝えたかったのではないかと思われます。いくら過去の哲学や宗教をもってしても解決には至らないほんとうの生活の営みを希求して、人間にとっていちばん最適な、食糧を自分で確保できる百姓という切り口で表現することに費やしたのではないでしょうか」(福岡正信『百姓夜話 自然農法の道』[新版に寄せて「祖父の思い出」)
だれしも農民=耕す人という見方をするだろう。ところが、「不耕起」とは…。常識を根底から覆すようにして、自然に還れと福岡さんは力説してきた。『わら一本の革命』で語られている一語一語には、自然とどう関わっていくか、農を実践してきた熱い経験の言葉が散りばめられている。それゆえ今なお、私たちの心の道標として息づいている。