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公正な社会ってなんだろう? 水島治郎さんが語る『公正社会のビジョン』

記事:明石書店

水島治郎・米村千代・小林正弥編『公正社会のビジョン:学際的アプローチによる理論・思想・現状分析』(明石書店)
水島治郎・米村千代・小林正弥編『公正社会のビジョン:学際的アプローチによる理論・思想・現状分析』(明石書店)

「公正な社会」をめざして

 広がる格差、政治不信の高まり、ジェンダー間の不平等、不安定化する雇用。21世紀のグローバル社会にあって、「不公正」な現象は世界各地で拡大を見せている。トマ・ピケティ『21世紀の資本』は、現代社会で進行する格差拡大のロジックを指摘し、強い衝撃を与えた。各国では、繁栄する大都市と取り残された地方の落差が顕在化している。ジェンダーによる格差も厳然として存在する。私たちは、マクロな地球的問題群からミクロな小集団に至るまで、「不公正」な現象に取り巻かれているといえよう。

 特に2020年から本格化した新型コロナウイルスの感染拡大により、世界は一変した。街は閑散とし、国境を越えた人の動きはほぼ途絶した。各国で医療体制は逼迫し、雇用情勢が悪化し、特に若年層や女性、非正規雇用労働者など労働市場で厳しい立場にある人々に重く負担がのしかかっている。このような「不公正」な状況で、どのように社会のあり方を再構築していくべきなのか、課題は山積みである。社会の中でコストをだれがどう負うべきなのか、合意を形成していく困難な営みが課せられている。

 ある憲法学者は、この新型コロナウイルスの感染が広がるなか、特定の人々が犠牲を強いられる「不公正」な状況が生じていることをふまえ、「公正さという価値」を守ることの重要性を訴えている。「共同体の利益」を守るためとして、特段の負担を強いられる人々について、「滅私奉公」を求めるのではなく、「社会全体のために必要な負担」を「できるだけみんなで分かち合」うことが必要であり、そのためになすべきことは、「公正な社会」をめざすための幅広い議論ではないか、というのである(青井未帆「『皆のため犠牲』は公正か」『朝日新聞』東京本社版、2020年6月18日)。

 これまで自明とされてきた社会の秩序が大きく揺らぐなか、既存の社会のあり方を問い直し、「公正な社会」のビジョンを議論し、デザインしていくことが求められているといえよう。

 本書は、以上の状況をふまえながら、「公正」というコンセプトを中核に据え、学際的な検討を行った共同研究の成果である。公正とは何なのか、「公正な社会」とはいかなる社会であるのか。この問題に取り組むべく、法学、政治学、経済学、社会学、国際関係論の専門家が結集し、理論・思想的観点から「公正」概念を論じたうえ、現状の「不公正」社会の実相を分析し、そして21世紀における「公正社会」の展望を行ったものである。「公正」を軸に学問横断的に分析、展開した書籍としては、日本でも例を見ないものではないかと考えている。

常磐炭鉱跡。本書の第5章(水島執筆)では炭鉱の閉山によって失業した人々にどのような支援がなされたかに再注目するなど、さまざまな実例を手がかりに「公正」を探求している。
常磐炭鉱跡。本書の第5章(水島執筆)では炭鉱の閉山によって失業した人々にどのような支援がなされたかに再注目するなど、さまざまな実例を手がかりに「公正」を探求している。

「平等」だけでは十分でない理由

 ところで、なぜここで「公正」を中心的なコンセプトに据えるのだろうか。「公正」より「平等」のほうが適切ではないのか、疑問を持つ方もおられるかもしれない。「格差社会」に抗するには、「平等」を提示することがまず重要であるように見える。しかし私たちは、「平等」を対置するだけでは問題の解決に不十分ではないか、と考えている。それはなぜか。

 そもそも「公正」と「平等」とは、何が違うのか。詳しくは本書の第1部の思想的検討をお読みいただきたいが、「公正」は「平等」を含みつつ、各主体の多様性や異質性をふまえた、より包括的な規範概念である。

 たとえば、同一の労働について同一の賃金を支払うことは「平等」であり「公正」なことであろう。しかし、今後長きにわたって働く若い労働者に資源を投入し、教育訓練を重点的に行うことは、「平等」とはいえなくとも「公正」とはいえるだろう。あるいは、新型コロナウイルスのワクチン接種に際しては、医療従事者や高齢者が優先的に接種を受けるわけだが、これは「平等」ではなくとも、感染リスクや重症化リスクを勘案すると、まさに「公正」な対応といってよい。あるいは国際社会に目を向けると、台頭しつつある非国家主体と国家とは「平等」ではないだろうが、しかし両者の関係は「公正」に律せられることが求められる。

2020年にパンデミック下のイタリアの病院で撮影された、非常に有名な写真。社会全体のために必要な負担を分かち合うことが求められている。
2020年にパンデミック下のイタリアの病院で撮影された、非常に有名な写真。社会全体のために必要な負担を分かち合うことが求められている。

 このようにみると「公正」とは、単なる「平等」ではすくいきることのできない、多様で異質な主体を含むコミュニティや社会における、あるべき状態をめぐる理念であることがわかる。20世紀型社会の念頭に置かれていたのが「同質的で対等な個人」だったとすれば、21世紀型社会の主体は「異質で多様な個人」であり、その相互の関係は「平等」である以上に、「公正」に律されなければならない。そうだとすれば、異質な者が出会い、共存していく現代のグローバル社会において、「公正」を追求することは、特に重要な意味を持つだろう。

 このような「公正」を軸に論じた本書が、さまざまな場にあって「公正」を学び、実践し、構想しようとするすべての方々にとって、意味あるヒントを提供するのであれば幸甚である。

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