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【特別寄稿】スピノザは二度、日本を語る。 ピエール=フランソワ・モローさん(哲学史家)

記事:白水社

伝説ぬきのスピノザ像が、早わかり! ピエール=フランソワ・モロー著『スピノザ入門[改訂新版]』(白水社刊)は、17世紀オランダの偉大な哲学者をめぐる評伝の決定版です。[original image : Gordon Johnson]
伝説ぬきのスピノザ像が、早わかり! ピエール=フランソワ・モロー著『スピノザ入門[改訂新版]』(白水社刊)は、17世紀オランダの偉大な哲学者をめぐる評伝の決定版です。[original image : Gordon Johnson]


【著者の担当した仏訳『エチカ』紹介動画 Pierre-François Moreau présente "Oeuvres. Volume 4, Ethica = Ethique"(フランス語) 右下の歯車アイコンをクリックすると字幕が自動生成されます。】

 

暴露するものとしての日本

 スピノザが日本について書いているのは彼の全著作のなかで二度だけである。しかしそれは、宗教と国家の関係という決定的な問題を論じているところである。より正確に言えば、それは、国家・市民・宗教・他国〔という4項間〕の関係という問題である。そして、2つではなく4つの関係項を取り上げているということが、彼の政治・宗教的な主張にはっきりとした陰影を与えている。

Benedictus de Spinoza(1632~77)。オランダの哲学者。
Benedictus de Spinoza(1632~77)。オランダの哲学者。

 〔2箇所のうちの〕最初の箇所は、『神学・政治論』の第5章、すなわちこの著作の「神学的」部分にある。そこでスピノザは、宗教的儀礼(この場合はキリスト教の儀礼)がけっして幸福に寄与するものではなくそれ自体としては道徳的な力も持っていない、と述べている。それらは単なる印である。それらはそもそも国家によって定められたものでも国家のために定められたものでもなく、「社会全体にとって」有用なものなのである。

 〔宗教的儀礼の〕すぐれて社会的なこの性格から彼は2つの結論を引き出す。すなわち、第一に、人間は、もし1人で生きるならば宗教的儀礼に縛られることはない(しかし、ここで読者は、どんな人間が1人で生きるのかと訝しく思うかもしれない。人間はつねにすでに社会的であるのだから)。第二に、キリスト教が禁止されている国家で生活する者は〔キリスト教の〕宗教的儀礼を控えざるを得ないが、だからといって幸福になることが妨げられるわけではない。

 まさにここで事例が登場する。

「日本という王国がその事例となる。そこではキリスト教が禁じられており、そこに暮らすオランダ人たちは東インド会社の命令により、あらゆる外的な礼拝を控えるように義務付けられているのである」(第13節)。

 この事例は経験の次元に属しており、そして経験の役割は、推論がたったいま導き出したことがらを確証することにある。

 〔キリスト教の宗教的〕儀礼が国家の利益のために作り出されたのではない、と言えば、次のような事実に思い当たることになる。すなわち、キリスト教は(ヘブライ人の宗教あるいは古典古代の宗教とは異なり)当初、単なる個々人の宗教だったのであり、のちになって民衆全体がそれを採択したという事実、それゆえ、〔宗教の〕戒律は、近代国家にとっての法律を構成──イェルサレムやローマで妥当したような意味での構成──してはいない、という事実である。

 そうすると、それらの戒律が定める〔宗教的〕儀礼がまさに社会全体にとって有用である、という言明はどのような意味でなされているのであろうか。

 それらの儀礼は「普遍的教会の印」であるが、この「普遍的教会」に対してスピノザは制度的な価値をなんら認めない。ここで〔社会全体に有用なものとして〕考えられているのは、明らかに、ローマ=カトリック教会のことでも、国家に圧力をかけ得るようないかなるもののことでもない。したがって、考えられているのは、キリスト(および彼以前のヘブライ人の預言者たち)の教えに含まれているメッセージ──すなわち、正義と愛──以外にはあり得ない。

 これらが市民どうしの平和と調和に寄与する限りにおいて、人は、いかなる意味で〔宗教的〕儀礼が社会全体に役立つのかを理解できるし(すなわち、その役割はこの〔正義と愛の〕必要性を間接的に思い出させることにある)、したがって、国家が儀礼を定めたわけでもなく国家のために儀礼が定められたわけでもないにもかかわらず、なにゆえに国家がそれを肯定的に捉え得るのかを理解することもできる。

 しかし、それらの儀礼はそれ自体では正義でも愛でもなく、それらの印にすぎないのであって、そしてもちろん、印はそれに意味を与える文脈においてのみ価値を有する。

 そういうわけで、国家が儀礼を肯定的に捉えることができるのは、儀礼が、正義・愛・調和という価値を効果的に思い出させるような文脈において執り行なわれる場合、そしてそのような場合のみであって、逆に、それ以外の文脈においては儀礼を奨励する理由はないのである。

ピエール=フランソワ・モロー『スピノザ入門[改訂新版]』とその原書
ピエール=フランソワ・モロー『スピノザ入門[改訂新版]』とその原書

 さて、キリスト教が存在せず、それどころか禁止されている国においては、〔宗教儀礼という〕この印は意味を失い、調和よりもむしろ不和をもたらす危険性さえある。したがって、これらの国に生きる個人はそれらを行なうことを控えねばならず、そうすることによって彼は、みずからの安寧を危うきものとせず──なぜならば、安寧というものは外的儀式に依存しないから──、また、居住する国の市民的平和を危険にさらすこともないのである。

 しかしながら、〔日本の〕この事例が、その直前に位置する推論と完全に同じことを述べているわけではないということには注意せねばならない。その推論が語っていたのは、しかじかの儀式を行なう義務がある(あるいは義務がない)個人(「…する者」)についてであり、彼らは自分で決断を下すということが想定されていた。

 他方、この事例が語っているのは、特定の国〔=オランダ〕からやってきた個人に対して命令を下すその国の商社〔=東インド会社〕についてである。スピノザがここでオランダという国家にはっきりとは言及していないということには注意すべきである。たとえオランダと東インド会社との緊密な関係について読者が知らないと想定されているわけではないのだとしても、スピノザは、あたかも、政治的機構からはさしあたり距離を取っているかのように見えるのである。

 要するに、神学的な問題に充てられている『神学・政治論』の最初の数章においては、人間社会についての言及は〔政治的よりも〕むしろ人類学的あるいは人性学的な次元に属しており、政治はいわば手つかずのままにされているのである。政治が〔後の議論において〕どの場所に挿入されるかについては目印がつけられてはいるものの、政治は〔この段階では〕直接的な分析対象とはなっていない。また同様に、言及されている他国(「日本という王国」)も、この段階では演者というよりもむしろ舞台装置として登場している。

 すなわち、キリスト教の禁止は1つの〔背景的〕事実として確認されているわけなのである。

『スピノザ入門』[改訂新版]目次1
『スピノザ入門』[改訂新版]目次1

 2番目の箇所は、最初の箇所をはっきりと参照するものではあるが、それとは対照的に、同じ論考の政治的部分──より正確には第16章の最後の数行──に位置する。この章でスピノザは「国家体制の基礎」を確立した。

 彼の論法は、自然権および社会契約の理論のそれに似たものではあるものの、実のところ過激な自然主義によって変容されたものである。その論法を用いて彼は、諸個人の権利──言い換えれば諸個人の能力──をもとに国家の主権を演繹し、そして、この主権が実効的なものであるためにはそれは分割されてはならないということを指摘した。

 そこから明らかに帰結することは、人は主権者のこの権利に対して、宗教に由来するとされる権利を対立させることはできない、ということである。なぜならば、そのような場合、各人は啓示を言い訳にして自分の意のままに国家に背いたり破壊したりしかねないからである。

 したがって、国家は教会のもろもろの要求から市民を防御し、また国家自身を防御しなければならない。それゆえ国家は、その本来的な使命の名の下に、聖職者の活動に介入しそれを管理できるのであり、人は、個人的なものであれ集団的なものであれ信仰を国家に対立させることはできないのである。

 聖書そのものが、もし人がそれを正確に解釈するならば、以下のことを示している。すなわち、国家への服従は、そこに暮らす市民の義務なのであって、このことは国家の統治者たちの宗教がいかなるものであれ、また彼らが宗教に関して下す決定がいかなるものであれ、変わらないのである。

『スピノザ入門』[改訂新版]目次2
『スピノザ入門』[改訂新版]目次2

 スピノザは、歴史上の事例を引き合いに出したのちに、同時代へと論及する。

「以上のことは日頃の経験によっても確かめられる。キリスト教国の主権者たちは、みずからの安全を高めるためなら、異教徒たちやトルコ人たちと同盟を結ぶことをためらわないし、また、これらの地に滞在しようと赴く臣民たちに、次のことを禁じることもためらわない。すなわち、人事であろうが神事であろうが、〔両国間の〕協定がはっきりと想定しているか相手国が容認している以上のことがらを遠慮なく行なうこと──これである。今述べたことは、われわれが先に言及した、オランダ人と日本人との協定のうちにはっきりと見て取れるのである」(第22節)。

 このようにわれわれは第5章と同じ主張を見出すのだが、その表現は変容されている。第一に、日本はこの箇所ではトルコなどすべての非キリスト教国のうちの一つとして登場している。すなわち、〔第5章における〕最初の言及を読むときには日本には例外的な性格があると受け取られる可能性があったが、〔ここでは〕日本はそのような性格を失っている。第二に、ここでは東インド会社は問題になっておらず、オランダ市民は言及もされておらず、いまや、協定を交わし合っている主権者と主権者、すなわち国家と国家のレベルが問題となっている。ここでは北部7州〔=オランダ〕と日本が舞台の演者なのである。

 したがって、問題は国際法──あるいは、スピノザの場合はむしろ、国際法の代わりをする最小限のもの、すなわち、主権者どうしの現実主義的かつ明確な合意によって補完された、自国領土に対する各主権者の揺るぎない権力──の領域に属しているのである。

 そういうわけで、問題の角度は変化している。すなわち、個人にどのような義務があるか、ということはもはや問われておらず、〔代わりに〕国家の利害が問われているのである。議論は、人類学的なレベルからはっきりと離れ、政治的な段階に到達している。

 しかし、ここには同時に次のような1つの現実が姿を現わしている。それは、自然権の理論がめったに考慮しない1つの現実であり、スピノザ自身も少なくともこのような観点からは通常ほとんど言及しない現実である。

 それは、人間というものはある領土から別の領土へと往来する、という現実である。その場合、彼らに対して権力をもつのは誰なのか。もしも彼らが、自分たちがもはや居住していない国の市民ないし臣民にとどまるのならば、彼らは〔現在〕居住している国に対して何をしなければならないのか。

 ここでのパラドックスは、彼らの主権者は彼らに対して次のような命令を下すしかないように思われるということである──すなわち、〈他国の主権者に服従しなさい〉という厳命である。

『スピノザ入門』[改訂新版]目次3
『スピノザ入門』[改訂新版]目次3

 実のところ、事態はもっと複雑である。というのも、単一の空間における主権者と市民(臣民)のあいだの関係しか考慮に入れない通常の法的・政治的な言説は、市民がある国から別の国へと教育・商売・亡命・諜報・共謀のために往来するということを度外視するからである。

 最初の〔社会〕契約に基づくものとして国家を描き出すことは、個人のこのような流動性を無視しているが、もろもろの国家が実際に行なっている慣行は、そのような流動性を活用すると同時に警戒もしている。そして、国家の慣行は〔他国との〕協約に明記されていることがらに必ずしも制限されるわけではないのである。

 個人の移動というこの問題について、『神学・政治論』の2つのとらえ方(すなわち、人類学的および政治的なとらえ方)を比較することは、次のような一連の問題を浮かびあがらせる。すなわち、17世紀にすでに存在しており、そして21世紀の今もわれわれが直面している、亡命・移民・脱出という問題である。

 17世紀、ヨーロッパのいたるところで、オランダ人と日本人の合意は周知のことがらであった。北部7州〔=オランダ〕の敵たちは、その政治を攻撃するための論拠をその合意のうちに見出した。ところがスピノザは、これを逆手に活用し、それを自分自身の議論のなかに嵌め込んだ。そして日本はスピノザにとって、自然権の理論の機能不全を暴露する──あるいは少なくとも垣間見させる──ものとしての役割を果たしたのである。

 

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