批評家の若松英輔さんが説く、河合隼雄と「たましい」
記事:平凡社
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独創的な思想家には、その思想、哲学を読み解く鍵になる言葉が存在する。思想家がそれを意識的に用いる場合もあるのだが、多くの場合、それはどこからか湧き上がるようにしてその思想家を訪れる。河合隼雄にとって、それは「たましい」だった。
「魂」と漢字で書くことがないのではない。しかし河合は、最初の著作である『ユング心理学入門』のときからすでに、「たましい」とあえてひらがなで書いている。漢字の「魂」には彼が意図しない意味の歴史が強く刻印されているというのである。
先の大戦のとき「魂」という言葉が、この国のゆくえを大きく狂わせた。目に見えず、手にふれることのできない「魂」という言葉は、ときに用いる人によって色合いを変える。「魂」ではなく「たましい」と書くことで河合は、その呪縛を解き放とうとする。
そもそも心理学の原語であるpsychologyは“psyche”「たましい」を意味する。心理学は「たましいの学」だったはずが、いつの間にか「意識」の学になっていった。意識だけでなく、無意識を語ったとしても、意識を包むような「たましい」のはたらきに沈黙するようになっていったことは否めない。河合が「たましい」という言葉を自身の鍵語として用いるのも、考えてみれば驚くべきことではない。彼は「心理学」をめぐる思索をその原点に立ち戻って行おうとしているだけなのである。「たましいとは、心と体を切断して考える近代自我を超える存在として仮定されるのである」(「『心』の科学」)と河合はいう。
「たましい」が心と体をつなぐ。確かに人は、心と体がそれぞれの独立性を保ちながら、一なるものとして存在している。もしも、心と体が完全に一つになっているとしたら、体のどこかが傷つけられることは必ず、心のどこかを損なうことになる。それだけでなく、身体的存在の消滅はそのまま存在の消滅につながる。だが、ユングはそう考えなかった。『ユング自伝』にあるように、「死者」は、ユングにとって、その存在を否むことのできない実在だった。
だが、「たましい」の存在をいわゆる幽霊とのみ結びつけると、ユングや河合が提示した問いの本質を見失うことになる。「たましい」は死者にのみあるのではなく、生者においても存在し、むしろ、そのはたらきによって人は、自己というものを確認していくからである。
心理療法家は、心的症状を緩和することだけが役割なのではない。「たましい」の存在を認識し、その経験を深めていくことでもある、と河合は考えていた。彼は「割り切りを許さず、生命力の源泉とも言えるのだが、そのもの自体を直接に把握することができないもの、それを『たましい』と呼んでみてはどうだろう」と述べたあと、こう続けている。
たましいのはたらきは、人間の生きている上に常に関連している。しかし、それ抜きで考えていても、普通はあまり困ることはない。ところが、そんなものはない、とあまりにも強く断定したため、困った状況に陥った人が、私のところに相談に来ることが多いのではなかろうか。そこではその人と共に、たましいのはたらきを認められるようになるのを待つ仕事をしている、と言えそうである。(「物語とたましい」)
健康であるときは、体を格別に意識することが少ないように、精神の平常時では「たましい」をことさらに感じることもない。だが、ある出来事、ある人生の季節にあるとき、人は「たましい」と向き合うことを強く求められる。きっかけになるのは、自らの身に起こることとは限らない。大切な人に何かが起こることも「たましい」と向き合うべき契機になる。
「たましい」の軌跡を語るのは容易ではない。そこで遭遇する事象は、しばしば言説の範囲を超えている。「たましい」の現実は、語り得ない出来事の連続だといってもよい。
語り得ないものを語ろうとすること、ここに文学の原点がある。誰でもが確かめ得ることを残すのは記録の仕事だか、真の意味における文学はこれまで、それとは異なる役割を担ってきた。言葉によって語ることで、言葉たり得ないことを分かちあおうとすること、それが広い意味での文学者の挑戦だった。
ここでいう文学者とは、世に詩人や小説家として認められた者だけを指すのではない。『万葉集』の時代からすでに「よみ人しらず」の歌があるように、それは現代人が考えるような職業の名称ではなく、語り得ないものを語ろうとする実存的態度の呼称にほかならない。人は誰も内なる詩人、内なる語り部を宿している。
「たましい」は「物語られる」とき、その存在を顕わにすることがある、と河合はいう。「ユング心理学を通じて、物語の重要さを知り、自分の日々の臨床経験を基にしてわかってきたことは、物語こそ『人間のたましい』に深くかかわるものだ、ということであった」(同前)と河合は書いている。ユング心理学は「物語の心理学」だといってもよい。それほど、ユングは――もちろん河合も――「物語」の意味を重んじた。河合の主著に『昔話の深層』や『昔話と日本人の心』があるのは偶然ではない。
河合が物語を好んだのは心理療法家になったからではなかった。幼い頃から彼は物語に魅了されていた。だが、思想家として思索を深めていった彼が出会ったのは、むしろ、「たましい」への関心が物語へと自分を導いていたのではないかという実感だった。
「たましい」と物語をめぐる分かちがたい関係をめぐって、河合は次にようにも語っている。
私が子どものころ、西洋の物語に心を奪われたのは、「たましい」というもののとらえ難い感じが、自分にはどうしても手の届かないこととして語られていることに、よく呼応していたからだと思う。(同前)
心理療法家とは、終わりなき「たましい」の探究者の異名なのだろう。その謎にふれたくて河合は心理療法の道に進んだともいえるが、彼の「たましい」がそれを強く促していた、という方が現実に近いのではないだろうか。
( STANDARD BOOKS 『河合隼雄 物語とたましい』付録冊子より転載)
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