1. じんぶん堂TOP
  2. 哲学・思想
  3. 心を乱される動物倫理学という学問 紀伊國屋書店員さんおすすめの本

心を乱される動物倫理学という学問 紀伊國屋書店員さんおすすめの本

記事:じんぶん堂企画室

人間と動物の関係を倫理的に考えるとは
人間と動物の関係を倫理的に考えるとは

 動物倫理学は、功利主義哲学者ピーター・シンガーの動物解放論を嚆矢とする若い学問である。

 1975年に初版が刊行されたシンガーの主著『動物の解放』(人文書院)は、動物の権利運動のバイブルとして広く知られている。同書刊行以降、多くの議論が積み重ねられ、理論的にも実践的にも豊かな成果を生み出してきた。

 ここでは、動物倫理学の概要をまとめた、2021年春にほぼ同時に刊行された入門書の紹介から始めたい。

 しかし、あらかじめ断っておかねばならない。あなたが読書に求めるのが心の安寧や単に知識欲を満たすことであるのならば、今回紹介する本はそれに適さないかもしれない、ということを。多くの読者は、なるほど知識の幅は広がるだろうが、心を乱される(強烈な拒否反応すらあり得る)ことが必至であるからだ。

 動物倫理学はことほどさように「不穏」な学問なのである。

新書で読める入門書

 田上孝一『はじめての動物倫理学』(集英社新書)は、新書としては本邦初の動物倫理学入門書であり、とりわけその思想・理論を背景から丁寧に説明している点に特徴がある。

 まず、第一章「なぜ動物倫理なのか」では、動物倫理がなぜ論点となっているのかについてダイバーシティをキーワードとして素描し、続いて動物倫理学を理解するために最低限必要な倫理学の知識、つまり倫理学の区分(規範倫理学、応用倫理学)や規範倫理学の主要学説(功利主義、義務論、徳倫理)を説明している。このような説明は類書では省かれていることも多く、有益である。

 第二章「動物倫理とは何か」および第三章「動物とどう付き合うべきか」(後述)は、本書の中心部分である。

 第二章は、まず動物倫理学の前史として、カントやデカルトなどを軸に伝統的な動物観(それは単に伝統的なだけではなくいまも一般的な常識なのだ)を論じている。

 なかでも現代的動物観の先駆者(同時代的には異端)というべきルイス・ゴンペルツやヘンリー・S・ソルトの思想は大変興味深い。

 続いて、動物倫理学の学問としての「本史」をスタートさせた哲学者としてピーター・シンガー、そしてシンガーをしてなお本格的には対応できていなかった「動物の権利」を厳密に基礎付ける著作をものしたトム・レーガンの理論が詳細に論じられている。本書の理論的ハイライトであり、何度も読み返したい部分だ。

 第四章「人間中心主義を問い質す」、第五章「環境倫理学の展開」、第六章「マルクスの動物と環境観」では、それぞれ動物倫理学と関連するテーマやその広がりなどを知ることができる。

 全体をこのようにまとめてしまうと、本書は純粋な理論書と思われてしまうかもしれないが、そうではない。序文からして「現在の人類による動物利用は、不正だが仕方のない必要悪ではなく、単なる悪に成り下がってしまったのである」となかなかに不穏である。ぜひご期待いただきたい。

動物権利論を前提に考えると

 浅野幸治『ベジタリアン哲学者の動物倫理入門』(ナカニシヤ出版)も動物倫理学の入門書ではあるが、その思想的・理論的背景の説明は最低限にとどめ(特に本文では哲学者などにほとんど言及していない)、動物権利論を前提として、動物倫理にかかわる個別の論点を具体的に、平易なですます調で縦横に論じている。

 各章のおわりに「まとめ」がおかれているのも親切だ。『はじめての動物倫理学』の第三章と重なるテーマ(畜産動物・肉食、実験動物、伴侶動物など)も多いが、議論や結論は必ずしも一致するわけではないので、あわせて読むと問題がよく理解できるだろう。

 例として、畜産動物・肉食について、本書の第2章「動物権利論と飼育動物の問題 その一 ――畜産動物、実験動物」の「まとめ」を見てみよう。

 一、動物には三つの基本的動物権があるので、動物を人間による虐殺、虐待、監禁から解放する必要があります。
 二、動物を殺して食べることは道徳的不正なので、私たちは肉食を止めて、畜産業を廃止すべきです。
 三、ただし酪農と採卵は、よほど動物の権利を尊重すれば、道徳的に許されるかもしれません。
(P. 70)

 対して『はじめての動物倫理学』では、「肉食は環境からも動物倫理からしても正当化されない」(P. 124)だけではなく、CAFO(工場畜産)下では「卵も牛乳も、基本的には肉と同じであって、肉よりも大いにましとは到底いえず、その生みだす悪の差は誤差の範囲だといわざるをえなくなっている」(P. 128)と、前提が異なるとはいえ、酪農・採卵にも否定的である。他の論点についてもぜひ確かめてみて欲しい。

 この2冊を熟読した結果、基本的な論点(肉食の否定など)については、実践的にどうするかはともかくとして、倫理的・論理的には否定・反論できない、と考えている。しかし、伴侶動物・介助動物についての議論には、いずれも動物権利論からは、ニュアンスは異なるものの、総じて否定的であり、違和感がある。動物権利論からはそうかもしれない、けれども、人間と動物の関係をそれ以外から、しかし倫理的に考えることはできないのだろうか。

動物の解放と障害者の解放の交差

 障害当事者であり動物解放運動の担い手でもあるスナウラ・テイラーによってものされた『荷を引く獣たち 動物の解放と障害者の解放』(洛北出版)は、副題にある通り、動物の解放と障害者の解放をテーマとし、それらを対立するものではなく交差するものとして考える、稀有なテクストである。

 健常者中心主義(ableism)と種差別主義(speciesism)をキーワードとして、動物と障害の、しばしば対立する場合もある、さまざま論点を考察している(ピーター・シンガーとの会話も示唆に富む)。それらは、しかし、明確な答えを導き出すものではなく、むしろ問いを増幅させ、時に読者を困惑させるかもしれない。しかし、優れた人文書とは、そういうものではあるまいか。

 さて、先の問いへの「回答」ではないが、少なくともヒントが本書にはある。第5部「相互依存」の、第18章「サービス・ドッグ」(著者がシェルターから引き取った「介助犬」ベイリーを意味する。かれは、数年前、椎間板ヘルニアを患い、足が不自由になった)からの長い引用をお許しいただきたい。

 けれども大部分、不具(かたわ)で、依存的で、効率が悪く、無能な人間が、効率が悪くて依存的な不具の犬を支え、また同時に、支えられているということには、ある意味適切で、実のところ、うつくしいなにかがある――傷つきやすく、種を異にした二匹の相互依存的な存在が、相手に必要なものが何なのかを理解しようと手さぐりしている姿には。ぎこちなく、そして不完全に、わたしたちは、互いに互いの、世話をみる。(P. 370)

ページトップに戻る

じんぶん堂は、「人文書」の魅力を伝える
出版社と朝日新聞社の共同プロジェクトです。
「じんぶん堂」とは 加盟社一覧へ