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『戦争と平和』の貴族の令嬢ナターシャは、なぜ農民の踊りを踊れてしまうのか?

記事:白水社

1703年のピョートル大帝による新都建設から、1962年のストラヴィンスキーの演説まで──ロシア文化をめぐる250年を超える時空間の旅! オーランドー・ファイジズ著『ナターシャの踊り──ロシア文化史』上・下(白水社刊)。
1703年のピョートル大帝による新都建設から、1962年のストラヴィンスキーの演説まで──ロシア文化をめぐる250年を超える時空間の旅! オーランドー・ファイジズ著『ナターシャの踊り──ロシア文化史』上・下(白水社刊)。

 「ロシア文化史」という副題がついた『ナターシャの踊り』の幕開けは、1703年、ピョートル1世が後に新都サンクトペテルブルクが築かれる海辺の土地にたどり着く場面で、幕切れは1962年、亡命先から帰還中のストラヴィンスキーが宴席でショスタコーヴィチと言葉をかわし演説を行う場面である。時間の流れが前後する箇所もときおり見受けられるものの、全体として見れば物語はおおむね年代順に進んでいく。そして原著にして700ページを超えるこの長大な作品には、著名な文学者、音楽家、美術家を含むおびただしい数の人物、およびその作品の名前が登場する。読者は本書を通して、この途方もなく豊饒な250年あまりのロシア文化の流れを一望することになる。

地図1 サンクトペテルブルクとその近郊[オーランドー・ファイジズ『ナターシャの踊り――ロシア文化史』(白水社)より]
地図1 サンクトペテルブルクとその近郊[オーランドー・ファイジズ『ナターシャの踊り――ロシア文化史』(白水社)より]

 そんな本書の特徴としてまず挙げられるのは、その活き活きとした語りである。著者ファイジズはプロの歴史研究者だが、本書は学術書ではなくあくまで一般の読者に向けた啓蒙書として書かれており、読み物としての面白さが強く意識されている。本書を通読する読者は、さまざまな人物の波乱万丈のエピソードに次から次へと惹きつけられ、あたかも大河小説を読んだかのような読後感を得るだろう。一方でそれらの物語は、ピョートル改革、ナポレオン戦争、デカブリストの乱、農奴解放、ロシア革命、独ソ戦など、登場人物たちを翻弄する歴史上の大事件とも緊密に結びついている。国家や社会を主体とするマクロな歴史を縦糸、個人の生に関わるミクロな歴史を横糸とした織物のようなこの構成は、『囁きと密告』などファイジズの他の著作とも共通する特徴である。

地図2 モスクワとその近郊 / 地図3 ヨーロッパ・アジア[オーランドー・ファイジズ『ナターシャの踊り――ロシア文化史』(白水社)より]
地図2 モスクワとその近郊 / 地図3 ヨーロッパ・アジア[オーランドー・ファイジズ『ナターシャの踊り――ロシア文化史』(白水社)より]

 しかしながら、本書の独自性は、ロシアの文化や歴史についての既に知られたストーリーをそのように面白く語り直した点に尽きるわけではない。本書がロシア文化史を扱う本としてユニークな存在であるのは、一般読者向けに書かれていながら、「ロシア文化」という概念そのものの自明性を問い直し、その概念が作られてきたメカニズムに意識的に焦点を当てているからである。

 


【トム・ハーパー監督『戦争と平和』予告編:War & Peace: Trailer - BBC One】

 

「ナターシャの踊り」が意味するもの

 「ナターシャの踊り」という、想像をかき立てる本書の標題は、トルストイの小説『戦争と平和』の有名な一場面に由来している。

 小説の主人公の一人、貴族ロストフ家の令嬢ナターシャが、猟のあとで森の中にある「おじさん」の丸太小屋を訪れる。バラライカの音色や民謡の調べを耳にした彼女は、「おじさん」に促されると農民のような身のこなしで踊り出す。むろん、伯爵家に生まれ育った彼女がそんな踊りを習い覚える機会など、それまでにあったはずがない。では「どうしてナターシャは踊りのリズムをこれほど直感的にわがものとすることができたのか? どうして彼女は社会階層によっても教育によっても自分から隔たっている農村文化に、これほどたやすく入り込むことができたのか? ロシアのような国は生まれながらの感性という目に見えない糸でひとつにまとまっているのかもしれないと考えるべきなのか?」(本書17頁)。

 本書の冒頭でこのエピソードが紹介されるのは、ファイジズがそこに本全体のコンセプトと共鳴する象徴的な光景を見ているためである。

 18世紀初頭のピョートル改革をきっかけとして、ロシアではヨーロッパ化したエリートと従来の生活習慣の中にとどまる民衆との文化的な隔絶が決定的となった。トルストイの描く上記の場面で前提とされているのもその点である。一方、そこで問題となるのは、ロシアの社会がそのように分裂を抱えていたのであれば、彼らの文化をまとめて「ロシア文化」と称することがどうして可能なのか、そもそも「ロシア文化」とは誰によって担われていたのか、といった点である。実際、『戦争と平和』が描いた時代の、ヨーロッパ式の教育を受けフランス語を日常語とした首都の上流貴族にとって、自分の領地の農民よりも遠い西欧のエリートの方が文化的に近い存在と感じられても不思議ではなかっただろう。

 ファイジズは本書を通じてそんな根源的な問題に読者の注意を促している。本書が前提とするのは、「ロシア性」というものが決して時代を超えて普遍的に存在する実体ではなく、歴史上の諸局面で人びとの意識の内に「作られてきた」概念である、という認識である。もっとも、著者の狙いはこの概念を虚構に過ぎないとして退けることではない。むしろこの虚構がいかに豊かな文化を生み出してきたか、また逆にこの概念が作られ伝達されるプロセスにおいて文化がいかに重要な役割を担ってきたか。この観点から250年にわたるロシア文化史を描いたのが、本書『ナターシャの踊り』なのである。

 

【『ナターシャの踊り』公開座談動画:#JLF 2013: Natasha's Dance- Adventures with Russian Books】

 

「新しい文化史」を背景としたロシア文化史

 一般に客観的な事実とみなされている事象が、実は社会や文化の中で人為的に創られてきたものであるとみなす立場は「構築主義」と呼ばれ、現代の人文科学を考える上では避けて通れない。そして、ジェンダー研究と並んでこの観点がとりわけ有効とされた領域がナショナリズム研究で、代表的な著作としてはベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』(1983)が知られる。「ネイション」は決して原初より存在するものではなく、近代になって宗教的共同体に代わる新しい共同体として現れた概念、即ち「文化的人造物 cultural artifacts」で、その形成にあたっては新聞をはじめ出版物が重要な役割を果たした、とするその議論はやがて広範囲に影響を及ぼした。

オーランドー・ファイジズ『ナターシャの踊り――ロシア文化史』(白水社)上巻・目次より
オーランドー・ファイジズ『ナターシャの踊り――ロシア文化史』(白水社)上巻・目次より

 この観点は1970年代以降に人文・社会科学研究を席巻した「広義の「文化」への視点」に基づくアプローチの隆盛、いわゆる「文化論的転回」という文脈の上に位置付けることができる。人間が行う世界の解釈や意味付け、象徴体系の構築といった行為を、人類学で行われていたように広く「文化」ととらえることで、それまで文化とは切り離されていた政治から日常生活にいたる人間のさまざまな営みが、新たに文化的視点による分析の対象となった。集団的記憶や象徴の問題と密接に関わるナショナル・アイデンティティの研究は、この「新しい文化史」において中心的テーマのひとつとなる。文化史研究が対象とする範囲も拡大し、いわゆるハイ・カルチャーだけでなく大衆文化や民衆文化、さらには社会慣習のようなものまでその範疇に入れられるようになった。

オーランドー・ファイジズ『ナターシャの踊り――ロシア文化史』(白水社)下巻・目次より
オーランドー・ファイジズ『ナターシャの踊り――ロシア文化史』(白水社)下巻・目次より

 本書『ナターシャの踊り』もこうした文脈を踏まえた著作であり、その基底にはロシアの文化的アイデンティティをめぐる問いがある。また、著者自ら序章で述べるように、「読者がここで出会う文化とは、『戦争と平和』のような偉大で独創的な作品のみによって構成されたものでは」なく、「それは、ナターシャのショールを彩る民芸刺繡から農村歌謡のなかの音楽的な決まり事までも含む、数々の人造物(artefacts)から成り立っている」(17頁)。実際、本書では著名な文学・芸術作品をめぐる記述の間に、「蒸し風呂小屋(バーニャ)の歴史」「乳母の歴史」「食文化の歴史」等々といった広義の「文化」の歴史をめぐるさまざまな物語が挟み込まれ、ロシア文化への理解に奥行きを与えている。

【オーランドー・ファイジズ『ナターシャの踊り――ロシア文化史』(白水社)訳者解説より抜粋】

 

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