哲学ワンダーランド・古代ギリシア 「入門」からその先へ 紀伊國屋書店員さんおすすめの本
記事:じんぶん堂企画室
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マイケル・サンデル教授の「白熱教室」を皮切りに、いわゆる哲学ブームが起こって約10年。ベストセラーに哲学・思想書が定期的にランクインする程には、哲学は日本にとっても馴染みの深いものになったのではないでしょうか。
実際に書店の棚を見ても、平易な哲学入門書が数多く取りそろえられており、既に「入門」には事欠かない状況です。ところがそういった書物においては、有名な哲学者や思想についてせいぜい2~3ページ程度でまとめられているため、読みやすい反面、より深い知識欲を満たすには、やや不十分と捉える向きもあります。
哲学者自身が書いた著作そのものにトライすることももちろん可能ですが、それらを読みこなすには、その哲学者の置かれている時代状況や、問いの文脈といったものを理解し、自身も問われている問題に対して、ある程度の洞察や知見・見解を持っている必要があり、さらにどういうわけか、哲学者といういきものは、軒並み文体が特殊かつ内容も難解なため、「入門」してきたばかりの読者にとっては、到底歯が立たない代物であることは間違いありません。
そのような「入門」してきたばかりの方には、《古代ギリシア哲学》こそが次のステップであると断言します。20世紀イギリスの哲学者・ホワイトヘッドは、「西洋の哲学的伝統についての最も穏当な一般的特徴づけは、それがプラトンへの一連の脚注からなっている、というものである」と言いました。
西洋哲学全体が、その問いの体系や諸観念を、古代哲学者の一人であるプラトンに負っているという意味です。古代ギリシア哲学は、ホワイトヘッド程ではなくとも、西洋哲学者たちにとってひときわ特別な地位を与えられており、汲めども尽きない問いの源泉である、とみなされてきました。だからこそ、「入門」の次のステップとして古代ギリシア哲学は最適であり、なおかつ現代思想などに比較すれば、思想の意味も理解しやすいのではないかと思います。
古代ギリシア哲学を学ぶ上でとっつきやすく、かつ優れた記述によって、更なるステップを踏みやすい、おすすめの本を3冊ご紹介します。
一冊目は『西洋哲学史』(岩崎武雄、有斐閣)。筆者が大学の哲学科に編入する際、テキストのひとつにしたこともあり、個人的に思い入れの深い一冊です。著者自身は、カントを専門とする東京大学文学部名誉教授。本書ではギリシア哲学以降、ハイデガーまで哲学史を解説していますが、古代ギリシア哲学で生み出された問いが、どのようにして後世に継承されていったのかを概観するのにうってつけです。一見"お堅そう"な本に見えますが、語り口は極めて平易。初読者でも問題なく理解でき、本編は290ページ程度なので読破も容易です。もっとも、本書の本領はあくまでカントやヘーゲルなどの近世哲学にあるので、あくまでギリシア哲学以降も含めて深く掘り下げたい、という方におすすめです。
二冊目は『ギリシア哲学入門』(岩田靖夫、ちくま新書)。本書は、著者による講演や研究発表の集成です。実を言うと、本書は「入門」とは言い難い高度な議論によって構成されており、この場でお勧めするのはややためらいました。しかしながら、本書はソクラテス・プラトン・アリストテレスという三大哲人の思想に依拠しながら、幸福・正義・戦争・霊性などのテーマを通して、たった一つの問いである「人はいかに生きるべきか」を考える構成となっており、古代哲学の実践として極めて模範的です。網羅的ではないものの、哲学を学んだ後、どのように問いを深めていくかについてのヒントに富んでいます。
最後となる三冊目は、『ギリシア哲学史』(納富信留、筑摩書房)。なかなか分厚いハードカバーですが、読み通す価値のある確かな一冊です。本書最大の特徴は、哲学者個人の列伝体であること。従来の、ミレトス派とかエレア派などといった枠組みを取り外した著述方法は、学派や伝統が前面に出る、インドや中国の思想との相違を浮き彫りにし、より西洋に独特な側面を強調する事に成功しています。各哲学者について、「人物と著作」「思想体系」「受容」という記述になっており、人物像や後世(特に日本社会や思想界)への影響が分かりやすいことも、評価に値します。文体は難解と平易のちょうど中間くらいなので、古代ギリシアから更なるステップを踏むための、良い演習になるでしょう。
さて、以上で3冊紹介し終わった訳ですが、これまでに挙げたのは全て、研究者・専門家による解説書です。哲学者自身の著作が難解なのは分かるけれど、それでもやっぱり原典にあたりたい、という方もいるでしょう。そんな方には、プラトンの『パイドン 魂の不死について』(岩田靖夫訳、岩波文庫)をお勧めします。
おそらく最も有名な哲学者・ソクラテスは、文字というものを信用しておらず、著作を一切残しませんでした。そのためソクラテスの思想は、他の人物の手による記録などでしか、知ることが出来ません。ソクラテスについて書いている人物は何人かいますが、その中心となる人物こそが、プラトンです。プラトンの著作はほぼすべてが対話篇で、ソクラテスとの対話相手の人名が、題に冠されています。本書の場合、パイドンとソクラテスが対話を行い、思索を深めていく過程が描かれています。
最初に読む原典として、筆者が『パイドン』をお勧めする理由は、本書における対話が、ソクラテスの死刑が執行される、まさにその時に行われているからです。ソクラテスは魂の不死という事柄について、死を目前にしてなお、対話を通じて思考する事をやめませんでした。哲学の語源である、《Philosophy=知sophia を 愛するphilein》という事を体現した対話篇として、これ以上ない至上の一冊です。
これから哲学を深く学んでいこうという気概のある方には、ぜひとも本書に挑戦していただき、「哲学する、とはどういうことなのか」を感じ、考えていただければ幸いです。