ダイナマイトな例文が楽しい語学書 『絵でわかる韓国語の体の慣用表現』
記事:白水社
記事:白水社
日本語と韓国語は、語順が同じで、漢字語が語彙の多くの部分を占めることはよく知られている。ハングルという文字が初めのうちは障壁となるが、それさえ読めるようになれば、簡単な文であれば逐語訳でそのままでもいける。日本語話者にとって、学びやすい語学だ。そのような誘い文句を目にすることがある。そのような側面は確かにあるのだが、実際にはそれほど簡単な話ではない。母音も子音も多様な発音は簡単ではなく、音の変化も複雑だ。
また、たとえば韓国語文を日本語に訳すときも、単語単語は正確に置き換えられたとしても、それだけでは読める訳文にはならないことが少なくない。欧米の言語からの翻訳と同様に、時には前後を入れ替え、訳語を吟味しなければならない。そして、似ていると言われる漢字語の扱いや、英語などからの外来語の違いが、落とし穴になることもある。
「セクハラ/セクシャルハラスメント」は성희롱(ソンフィロン)だが、漢字で表記すれば「性戯弄」となり、おぞましい感じがする。では「パワハラ/パワーハラスメント」はというと、갑질(カプチル)ということが多いようだ。この갑は、契約書の「甲乙」の「甲」を指し、契約においては下請けへの発注をする上位の立場の場合が多く、発注の「甲」の立場から受注者側へ無理難題を押しつけることから生まれたという。
このように、言い方を換えれば、似ているけれども少し違うというのが、この隣国の言葉の学習の醍醐味だとも言える。
さて、今回ご紹介する『絵でわかる韓国語の体の慣用表現』は、体の部位を表す名詞を用いた韓国語の慣用表現の実用的な学習書である。初級から上級までをうたってはいるものの、役立てられるのは中級の学習以上かもしれない。ひそかに面白いのは韓国語と日本語の体に関する感覚の同じようなところや、違いが何となく見えてくるところである。
『絵でわかる韓国語の体の慣用表現』から、「耳に関する慣用表現」(第6章)をひもといてみよう。
귀에 못이 박히다(クィエ モシ パッキダ)という表現がある。直訳では「耳に釘が打たれる、刺される」である。同じことを言われ続けてうんざりすることを表す。「耳にたこができる」である。これなどは、日常的な声のボリュームの違いが背景にあるのかなどと想像することはできるだろう。
귀가 뚫리다(クィガ トゥルリダ)「耳が開く」は、「(外国語や難しい話が)聞いてわかるようになる」ことを意味する。外国語を勉強していて、初めのうちはなかなか聞き取れないのが常であるが、学習の段階が進むと、あるとき意味がわかるようになったという経験を持つ人も多いと思うが、「耳が開く」というのは腑に落ちる言い方ではないだろうか。
一方で、귀가 빠지다(クィガ パッチダ)「耳が抜ける」という表現がある。その意味するのは「生まれる/誕生する」ことだ。助詞を省略して、連体形にして「日」を意味する語をつけた귀빠진 날(クィッパジン ナル)は「誕生日」となる。こうなると、慣用表現としての知識がないと皆目見当がつかないのではないか。初見で意味を言い当てられる人がいたら、そのコツを伝授してほしい。
ちなみに、もう少しべつな面での楽しみを紹介したい。『絵でわかる韓国語の体の慣用表現』は見開き構成で、左側のページには慣用表現と意味そして例文を配置し、右側のページには練習問題を兼ねた対話や少し長めの例文が紹介されているのだが、あるページの例文の訳は以下のとおりである。あまり語学書らしい例文とは言えないかもしれない。
①
A:出世に目がくらんで友だちを裏切るなんて。
B:あなたは愛に目がくらんで私を裏切ったじゃない。
②
A:目がどうにかしてたわ。あんな姿がカッコよく見えてたなんて。
B:だよね。もうちょっと早く気付いてれば人生が変わってたかもね。
③
A:本当に申し訳ございませんが、父が危篤だと連絡がきて急いで行かなければなりません。
B:ぴんぴんしているお父様まで言い訳に使って早く帰る理由は何なの?
会話の場面が目に浮かぶような、パンマル(ため口、目下もしくは対等の関係の口語)によるこのようなやり取りは、韓国ドラマなどでのシーンが思い浮かばないであろうか。
会話においては、一方的に言われたままでいるのではなく、いかに鋭く切り返すかが、韓国語での対話のダイナミズムである。極論すれば、丁々発止とやりあうところに生きがいを見いだしているのではないかとさえ思える。本書では、随所にこの片鱗が見いだされるのである。漏れ出てしまう著者の個性なのかもしれない。
ダイナマイトな例文が楽しい語学書! 400もの慣用表現を、ぜんぶイラストで図解。
ただひたすら慣用表現を覚えるための本としてではなく(第一義的には学習書であることは間違いないのだが……)、いろいろとツッコめる点を見いだしてもらえれば幸いである。
(白水社・堀田真)