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学派による効果の違いはない――ではセラピーには何が重要なのか:『「深い関係性」がなぜ人を癒すのか』

記事:創元社

『「深い関係性(リレイショナル・デプス)」がなぜ人を癒すのか』書影
『「深い関係性(リレイショナル・デプス)」がなぜ人を癒すのか』書影

パーソン・センタード・セラピーとは?

 心理療法・カウンセリングと言えば現在は認知行動療法が有名である。本書は認知行動療法の本ではない。認知行動療法によって隅に追いやられているパーソン・センタード・セラピー(PCT)の本である。共感や受容が今や教育、医療、看護など、どんな対人援助職でも聞かれるようになったのは、カール・ロジャーズという米国の心理学者が、 共感や受容が心理療法で何よりも重要だ、と言い出したことに始まる。彼が創設した心理療法がPCTである。

 今、心理療法の業界を席巻している認知行動療法は、学習によって不適応行動が起こるのだから学習し直そうという行動療法と、不合理な物の見方を変えようという認知療法の2つが合併したものである。もう一つの有力な心理療法である精神分析は、人は無意識に支配されており、それが症状を生み出すので、その無意識を外科手術のように深く洞察することで、無意識からどう支配されているかの洞察が起きる、と考えるのである。それに対してPCTは、人は真に受容され、共感されることで本来の自分を取り戻す、と考える。

 これだけ読むと「精神分析や認知行動療法は専門的だが、なんだ、PCTってそれだけか。そんなことで人は治るのか?」と思う人がいるだろう。また、セラピストが頷いてクライエントの言葉を繰り返すことがPCTの技法だ、という誤解がロジャーズの時代から広がり続けているので、「シンプルで学びやすい」と思われた半面、「その程度でいいと考える余りにも楽観的な学派」の烙印を押されてしまった。学派による効果の違いがないことが研究者によって示されているにも拘らず、である。そして、今もその誤解を大真面目に教える先生が沢山いるために、その誤解の感染は新型コロナウィルスのように広がっている。

両学派の異なる考え方

 ところが話を熱心に聴くだけでクライエントは人生に前向きになり、治っていく。今も残っているロジャーズのビデオや文献からは、ほんの20~30分でも、クライエントが変化し始めるのが分かる。「カウンセリングの神様」と言われるゆえんである。受容・共感が決定的に重要だったのである。そのことは当時から今に至るまでデータでも示されている。そのため、認知行動療法も精神分析も、受容と共感を取り入れざるを得なくなった。いまや認知行動療法学派は受容と共感を取り入れた療法を展開している。とはいっても受容と共感だけはなく、それを基盤にして認知行動療法の技法を行うのである。

 その点、PCTはそのような技法を用いず、受容と共感だけでクライエントの話を傾聴する。クライエントは病気や問題を治すというよりも、病気や問題とどう向き合うかを考える。病気や問題をきっかけに自分の人生を深く振り返るのである。「私はこの病気のおかげで、自分と向き合い、本来の自分を見出すことが出来ました」という感想になる。その結果、その病気は治癒、問題は好転ということが起こる。その点、認知行動療法は薬物のように技法を用いる。両者は考え方が全く異なるのである。その認知行動療法が日本でも世界でも採用されるのは、医療と考え方が近く、扱い易いからであろう。昨今の公認心理師制度下でも認知行動療法が主軸になっている。

 しかし、人間の心にはそのような医療的なアプローチではどうにもならない問題はいくらでもある。例えばウソつきを治す薬などはないし、人生が有限であることの苦しみを癒す薬もない。逆に、病気や不適応のように見えたりする行動が実は本人の豊かな自己実現傾向の現れ、ということは少なくない。PCTは人間のそのような側面にアプローチする。

“私が私自身になれるのは、1か月に1回、先生とのこの50分のカウンセリングの空間だけなんです”
“私が私自身になれるのは、1か月に1回、先生とのこの50分のカウンセリングの空間だけなんです”

人はなぜ癒されるのか

 そのためPCTの受容・共感は、他学派が自分たちの療法に取り入れた受容・共感とは質が違う。PCTで生まれる人間関係は、言葉で説明するのが余りにも難しく深い質感を伴うものであった。そのため、PCTの誰も十分に言語化してこなかった。本書は、メアンズという世界的なPCTの重鎮が自分のセラピーを失敗も含めて赤裸々に語り、それをクーパーというやはりPCTの論客がデータで裏付けることで、PCTの「深い関係性」を描き出している。その事例の何と強烈なことか。アルコール依存の人がもつ底知れぬ孤独と悲しみ、戦争による心的外傷ストレス障害の患者が抱える凍りつくような心的世界に、セラピストがただ一人の人間として寄り添うことで、クライエント/患者の心が動き始める。私は訳出中、そこを読むたびに目頭が熱くなった。また、人はなぜ関係性で癒されるのか/なぜ関係性でしか癒されないのかを、データと理論で示した分厚い論述も心理療法に携わる人には必読である。

 ネットやテクノロジーの発達で人が繋がることが難しくなった現代、本書で展開されるような関係性こそ復活すべきと思うのだが、読者はどう思われるだろうか? 残念なことに、世の中は反対の方向に展開し、心理職の訓練も形式的でメカニカルな学びにシフトしている。

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