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阿部大樹×斎藤真理子 「あるいはこうも生きられる」 『ヒッピーのはじまり』刊行記念対談〈後編〉

記事:作品社

『ヒッピーのはじまり』(作品社)書影
『ヒッピーのはじまり』(作品社)書影

※対談の前半はこちら→阿部大樹×斎藤真理子 「あるいはこうも生きられる」 『ヒッピーのはじまり』刊行記念対談〈前編〉

ヒッピーと道徳

斎藤 ヒッピーは新潟にもいたし、富山にも福井にもいたはずなんです。何故あんなにたくさんいたのかな、と思うけど……。いわゆるヒッピーの恰好をすると自分たちは違うということを示せたんだと思います。

 彼らは食習慣から都市環境やヨガ思想まで、たくさんの考え方の変革をしたけれど、一方で「性が乱れている」って括られることもあった。揶揄する視点です。ペリーさんはそういう揶揄全体に対して、自分は大人として観察してこう思った、ということを是非言っておきたかったんだろうと思うんですね。

阿部 これは翻訳者というより精神科医としての見方ですが、人間をすごく大まかに考えたとき、みんなと同じであることに落ち着くというタイプと、人と一緒だと居心地が悪くなるタイプの2つに分けることができますね。そのとき、じゃあ後者は独りで生活したいのかというと、それはまたちょっと違う。

 このことはヒッピー・ムーブメントが大きくなれたことと関係しているように思います。同じじゃないことをやりたい、という点でたくさんの人間が協力できたのは、いまの社会思想の源流の一つになりました。

当日の斎藤さん(左)と阿部さん(右)
当日の斎藤さん(左)と阿部さん(右)

斎藤 この本では度々モラルという言葉を使っていて、それを阿部さんはすべて「道徳」というカチッとした言葉で訳されています。すごくいいなと思ったんです。ヒッピーと道徳という言葉がこのように並ぶと思わなかったのでびっくりした面もありましたが。しかもそれが花に象徴される。「花のサンフランシスコ」をもう一度聴き直さなければならないと思って、今朝聴いてきたんですが、いい曲でした。

阿部 著者のように、第二次大戦の前に青春時代を送った女性が道徳というとき、それは50年代のビート的なものと比べてのモラルだと思うんです。ビート文学は社交的なものから距離を置こうとしました。

 そしてヒッピーは白人中産階級の50年代の芸術運動から変わろうとしました。その点で、白人中心のヒッピーでしたが、バス・ボイコットなどをした黒人公民権運動により多くを学んでいたというべきだと思います。

斎藤 彼らが道徳性を獲得した時、その多くを黒人たちに学んだと書かれていますね。その辺りは大事だと思います。

阿部 『Bop Apocalipse』という面白い本があって、大麻がアメリカの中産階級の文化のなかに浸透していったのは50年代であると書かれています。このころに始まった交流が60年代に花開いた、という風に著者は考えていますね。

巨大な部室、ゴールデンゲートパーク

斎藤 『ヒッピーのはじまり』というタイトルは日本版のオリジナルですよね。

阿部 はい、原書のタイトルは「ヒューマン・ビー・イン」という、本のクライマックスになるイベント名ですが、それをカタカナで記しても……ということで。

斎藤 ヒューマン・ビー・インというのは何をするんですか?

阿部 「~・イン」というのは、60年代に流行った言葉遣いで「~だけする」という意味です。有名なところはジョン・レノンとオノ・ヨーコの「ベッド・イン」ですよね。「チョーク・イン」は、みんなでチョークで反戦メッセージを書く。「シット・イン」は今でも使いますね。
 みんなでする、それだけをする。ヒューマン・ビーイングというのが人類全体ですから、ヒューマン・ビー・イン、この日は広場に集まってただ人類それ自体であろうとする、まぁ一種の言葉遊びですが。

斎藤 「今日はヒューマン・ビー・インの日だよ」と老若男女が出掛けていく、というくだりがあります。そこにただ行って楽しい気持ちでただ帰ってくる。何をするわけでもないけど。ペリーさんも十分楽しんで帰ってきたようですね。その一日がタイトルになるくらい、意味があったんですね。

ヒッピー・ヒルに集まる人々(San Francisco History Center, SF Public Library: CC-BY-SA 3.0)
ヒッピー・ヒルに集まる人々(San Francisco History Center, SF Public Library: CC-BY-SA 3.0)

阿部 小学生の友達同士みたいな、なにも理由がなくても一緒にいる、それで居心地が悪くもない、そういうのが一番幸せな形でしょうけど、そういう心地よさを感じられるかどうか。あるいはもう少し大きくなって、居心地のいい部室を一年間経験できたというのは、その後の一生をすごく安定したものにする気がするんです。

斎藤 そう言われると、私は幸せだったと思います。高校では部室を持ちませんでしたが、大学は部室に通学してたようなもので、友達ができた。部室はすごく居心地がよかったです。会議があるからと集まるのではなくて、ただいるだけなんですよね。行くと友達がいる、それが心地いい。確かにありましたね。

阿部 『ヒッピーのはじまり』でも、巨大な部室としてゴールデンゲートパークがあったという感じじゃないかな。

斎藤 巨大な部室感は、昔は「街頭」と言ったかもしれませんね。私はこの言葉が好きなんですが、翻訳で使ったことはないです。韓国語だと「コリ」というのかなあ、通りでもあり街でもあり、でも完全にぴったりする言葉がないんだけど、人が通る場所であり集まる場所であるわけです。それこそヒッピーの時代は、例えば日本にも新宿西口公園があったでしょ。私は先輩たちから聞いただけですが、そこに行くと誰かがいて、初めて会った人とも話ができたっていいますよね。それは拡張版の部室ですよね。そこに行ったら安心して他者と出会える。

阿部 文学フリマ は、ちょっとそういう雰囲気がありますね。

斎藤 いい部室があると安定するというのは正しいように思います(笑)。信頼する気持ちを養えるから。

 今、思い出しましたが、こんな体験がありました。ある日、私の部室仲間と下北沢をぶらぶらと歩いて新しいお店に入ったらヒッピーがいたんです。80年代初めの下北沢にはヒッピーの残党みたいな人がいて、長い髪をして、タブラを叩いていたりシタールを弾いていたり、インドカレー屋をやっていたり。

 私たちが入った店には、私が思うヒッピーの中のヒッピーというような人たちがいて、すごく優しくしてくれたんです。店を出ると、部室仲間の男の子がそのお店のオーナーのお姉さんのことを、「あの人すごくキレイだった」と言ったのね。今急に思い出したけど、それは本当のヒッピーと交流した思い出なんです。そのお店の人たちは、多分、伊豆が拠点だったと思うんですよね。魚をとったり、魚と一緒に泳ぐとすごく楽しいという話をしてくれて。でもお説教なんかしないし、威張ったりもしない人たちだった。そこで無添加の石鹸を買った記憶がある。急に思い出したけど、それって部室の延長ですよね。

阿部 下北沢だと「気流舎」「ありしあ」とかに、どことなくヒッピーの香りを感じる気がします。

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