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翻訳を生きる:3 8月15日は終わって始まった日 韓国文学・斎藤真理子

絵・三溝美知子

 一九四五年五月二十九日の横浜大空襲によって、神奈川新聞社の本社社屋は全焼した。当時そこの記者で、二十五歳だった作家の金達寿(キムダルス)は、もう一人の朝鮮人記者とともに職を失った。そのとき社長が二人を自宅に呼び、日本は負け、朝鮮は独立するだろうと告げたという。

 そして八月十五日、一張羅の背広を着て友人たちとラジオの前に集まった金は、天皇の放送を聞き、「独立するんだ!」と立ち上がって叫んだ。翌日からは在日朝鮮人の自治組織作りに取りかかった。

 だが朝鮮半島は、金が思いもしなかった方向へ引きずられていく。八月二十四日にはソ連軍が平壌に、九月九日にはアメリカ軍がソウルに進駐する。猛烈な、満身創痍(そうい)の混乱期を経て一九四八年、南北に別々の政府が樹立され、やがて朝鮮戦争が始まる。多くの在日コリアンが帰国のタイミングを失った。

希望は苛立ちへ

 『金達寿小説集』には、在日朝鮮人作家の先駆けだった金の三十五年あまりの足跡が収められているが、年ごとに、八月十五日の希望から隔たっていく苛立(いらだ)ちや悲しみが読みとれる。

 「対馬まで」は一九七〇年代に旧友たちと対馬に旅をした記録だ。観光旅行ではない。政治的事情から韓国の故郷に足を踏み入れることができなかった彼らが、対馬から一目釜山を見るための旅だった。薄青い山影を見て、金は思わず「ボヨッター! ボインダー(見えた! 見えるー)」と叫ぶ。

 金は後に故郷訪問を実現し、そのため激しく批判された。このこと自体が、大きく見れば分断の傷口の一つかもしれない。以後、古代日朝関係史の研究と紹介に軸足を移し、日本文化の中の朝鮮を隠蔽(いんぺい)する「帰化人史観」を批判し「日本と朝鮮・日本人と朝鮮人との関係を人間的なものにする」ために尽力した。

38度線の現実

 一九四五年から朝鮮戦争に至るまでをわかりやすく解説した本がないかとよく聞かれるが、意外とない。当時の人々の生活や心情を想像するには、イヒョン『1945,鉄原(チョロン)』が助けになるかもしれない。三十八度線に接する鉄原を舞台としたYA小説で、一九七〇年生まれの作家が多くの資料を読み込んで創作した努力の賜物(たまもの)だ。

 十歳で小間使(こまづか)いになった敬愛(キョンエ)、奴婢(ぬひ)出身の越境請負人斎英(チェヨン)、中学生の基秀(キス)と全く境遇の違う三人のティーンエイジャーが、鉄条網もなく見張りもいない「38th parallel」という札が立っただけの三十八度線を越えてソウルへ行くシーンが印象的だ。それは一九四六年のことで、以後三十八度線をまたぐ往来の取り締まりは厳しさを増し、三人の運命も激しく変わる。

 チョン・セランの青春小説『アンダー、サンダー、テンダー』は、そこから約五十年後の若者たちを描いている。やはり三十八度線に近く、市内に非武装地帯のある坡州(パジュ)市が舞台だ。この地方には、朝鮮戦争のときに北から逃げてきてそのまま定着した人々も多く、主人公の祖父もその一人だ。

 二十世紀末の地方都市で生きる高校生の日々が繊細に描き出されるが、前線近くの街ならではの悲劇が彼らを襲う。訓練中に脱走した兵士が銃を隠して逃げ、それを見つけた小学生の男の子が、主人公の恋人を射殺してしまうのだ(兵士自身も大都市のホテルで自殺)。恋人の妹が主人公に「人間は設計が間違ってるのよ」と言う。「大切なものは絶えず失われ、愛した人たちが次々と死んでいなくなってしまうのに、それを耐えられるように設計されてない」

 八月十五日は終わりだっただけでなく、始まりでもあった。三十八度線が一九四五年に引かれて七十六年。今もその現実とともに人々は生きている。=朝日新聞2021年8月14日掲載