人文書売り場における「プロレス」的エッセイたち 紀伊國屋書店員さんおすすめの本
記事:じんぶん堂企画室
記事:じんぶん堂企画室
本屋には、立地や客層により「売れるジャンル」というものがある。
新宿本店でよく売れている(と私が思っている)のは「映画」、「ヤクザ」、「プロレス」の本だ。前の2つは新宿という立地から、売れる理由がある程度想像がつくのだが、「プロレス」がどうして売れるのかはよくわからない(近くにプロレス会場やプロレス居酒屋があるからなのだろうか)。理由を考え続けているうち、自分が担当している人文書売場にも「プロレス」に関する本がいくつかあることに気づいた。
そもそも人文学は人間について研究する学問なので、人間の文化のひとつである「プロレス」に関する人文書があっても不思議ではないのだが、「プロレス」をメインテーマにした本は(たとえ学者による専門書であっても)「プロレスの本」としてスポーツ・格闘技のコーナーに陳列している。人文書売場にあるのは「プロレス」の関連本ではあるけれど、(メインテーマが)「プロレス」ではない本だ。今回はそんな本をいくつか紹介したいと思う。
1冊目は『神話作用』(ロラン・バルト著、篠沢秀夫訳、現代思潮社)だ。
フランスの思想家ロラン・バルトが1954年から1956年にかけて書いた日常生活についてのエッセイで、日本では1967年に翻訳・出版されている(訳者は「篠沢教授に全部!」のあの篠沢秀夫氏である)。
本書に収録されている「レッスルする世界」はプロレス論の古典として有名で、50年以上前のフランスで書かれたにもかかわらず、現代の日本のプロレス論としても十分読める内容となっている。本書における「神話」というのは意味の伝達手段としての「ことば」のことであり、「プロレス」も(観客に向けた興行という点で)その一つであるとされる。「プロレス」は比喩として「やらせ」や「八百長」的な意味で使用されることがあるが、それに対する回答としても読めるのではないだろうか。
また、「プロレス」以外にも「火星人」、「占星術」、「映画におけるローマ人」といった様々な題材について書かれており、67年出版にもかかわらず、いまだに売れているのも納得の内容となっている。偶然、現代思潮社の営業担当の方にお会いし目にかかったので聞いてみたところ、2021年になってから本書の売上はむしろ増えているそうだ。
なお、現在は品切れのようだが、完訳版が『現代社会の神話』として2005年にみすず書房から出版されている。完訳版との比較も含めた評論が『「プロレス」という文化』(岡村正史著、ミネルヴァ書房)に収録されているので興味がある人はこちらもチェックしてほしい。
2冊目は『人生ミスっても自殺しないで、旅』(諸隈元著、晶文社)だ。
著者の諸隈元氏は「日本で一番ではないかと思われるヴィトゲンシュタインマニア小説家」で、慶應大学プロレス研究会(KWA)終身名誉顧問でもある。本書は著者の2009年の旅行体験をもとにした哲学的紀行エッセイだ。
私は偶然、本書の発売前から著者の諸隈元氏のTwitterアカウント(@moroQma)を知っていたが、つぶやきの多くはヴィトゲンシュタインに関する内容である。他の話題は、著者の「プロレス」の試合や時事ネタ、稲垣吾郎さん、ピザ、ラーメン二郎などであるが、本書にはその著者の嗜好が反映されヴィトゲンシュタインに関する記述が262回でてくるという (著者ツイッターより)。
ある程度「プロレス」に関する話題もでてくるのではと読み進めていると、果たして何回か見受けられた(たぶん4、5回ぐらい)。だが、私が本書で一番「プロレス」を感じたのは本の内容ではなく、本書の「著者が読者を楽しませようとする姿勢」であった。
例えば、ヴィトゲンシュタインの話題にしても、イギリス・アイルランドの前半、ルーマニア・ブルガリア・旧ユーゴ諸国の中盤、オーストリア・ドイツの後半で頻度、濃度が異なっており読者を飽きさせない工夫が凝らされているし、著者にとっては自明であろう単語・用語にも丁寧に解説が入っている。
他にも「1回しか使われないにも関わらず全ページに入っている本文下の余白」、「1文字ずつ減っていく章タイトル」「表紙裏の見返しにまで掲載されている写真(ピンぼけしている写真もある)」や「クセが強すぎて出版社から補足が入った著者プロフィール」などエンターテインメント性が随所に盛り込まれている。「プロレス」が格闘技を基本にしたエンターテインメントであるなら、本書は旅行記を基本にした(哲学的)エンターテインメントなのではないだろうか。
3冊目は『言語学バーリ・トゥード ROUND1 AIは「絶対押すなよ」を理解できるか』(川添愛著、東京大学出版会)だ。
まず、表紙の時点でプロレスラーが多い。さらに、本文開始2行にしてプロレスネタ「時は来た!」(by橋本真也)をキメてくる。そもそもタイトルからして『バーリ・トゥード言語学』ではなく、『言語学バーリ・トゥード』である。この本が「プロレス」の本であるというのは明白であろう。
なので、この本の言語学要素の方を解説したい。表紙の中心に配置され、プロレスラーに囲まれた上にチャンピオンベルトを肩に掛けているのが、”言語学界の力道山”(P.66)「ノーム・チョムスキー」氏である。また、著者の川添愛氏は言語学をテーマに著作活動を行っており、「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトにも参加されていた方で、過去の著作のほとんどは言語学・情報科学の本だ。内容も言語学のネタをもとに非常に面白く、わかりやすく書かれており、かなりオススメの一冊だ。
ちなみに、偶然お会いした出版社の営業担当の方によるとPR誌「UP」での連載がたまったらROUND2が出るそうなのだが、かなり後になるそうなので、待ちきれない方は「UP」本誌をチェックしてみよう。
ここでは書ききれなかったが、他にも人文書売場にある「プロレス」の関連本としては、
・入不二基義氏の『足の裏に影はあるか?ないか?』(付論に「『ほんとうの本物』の問題としてのプロレス」を収録)
・千葉雅也氏の『意味がない無意味』(最終章に「力の放課後──プロレス試論」を収録)
がある。
また、プロレスではないが入不二基義氏は自身でレスリングをされており、その体験をまとめた本が『51歳でレスリングを始めた哲学者が10年間で考えたこと』としてぷねうま舎から出版される予定である。偶然、ぷねうま舎に電話をかける機会があったのでいつ出版されるのか聞いてみたところ、2022年中には出版される予定とのことだ。こちらも是非楽しみにしておいてほしい。