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『攻殻機動隊』に見たネット革命の夢とその挫折――それでも未来を創造するために(藤田直哉)

記事:作品社

藤田直哉『攻殻機動隊』(作品社、装幀:コバヤシタケシ) 
藤田直哉『攻殻機動隊』(作品社、装幀:コバヤシタケシ) 

ネットに見た夢と、陰惨な現実

 『攻殻機動隊』の最大の特徴は、ネットの現実に影響を与えたことだと思います。ぼく自身も、1995年に自宅にインターネットが開通したのですが、ちょうど同じ年に公開された押井守監督の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の結末で主人公の素子が呟く「ネットは広大だわ」という気分になっていました。〈人形遣い〉と名乗る人工知能と融合(結婚)して、より高次の認識に至った素子の姿にも影響を受けて、インターネットによって何か意識が拡張しより高次の存在になるかのような期待と興奮を抱いていました。

VRグラスの模型
VRグラスの模型

 2002年の神山健治監督のアニメシリーズ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』は、当時話題になっていた2ちゃんねるなどの匿名掲示板を取り入れた作品で、作中に出てくる「スタンドアローンコンプレックス」の概念や「笑い男」のロゴを多くの匿名の人々が使っていたことを思い出します。「スタンドアローンコンプレックス」とは、「組織化されず、司令塔もないまま、それぞれが共感・感応して動き続ける」とでも言うべき組織化のあり方で、後の「アノニマス」などのハクティヴィスト集団の政治行動などにも影響を与えました。アニメが、ネットの人々の自己認識や行動、組織化などに影響し、それは本当に政治的な影響力を持つようになりました。ある時期には、ぼくもこの運動に期待を賭け、参加していたときもありました。

 『攻殻機動隊論』を書いた動機のひとつは、このようなネットに賭けられた夢や期待が、陰惨な現実に帰結しているように思われたことにありました。「スタンドアローンコンプレックス」とは、腐敗した権力の不正に立ち向かう匿名の人々の輝かしい勇気と正義を描いたものだったのですが、現実はどうなったかというと、2ちゃんねるなどは誹謗中傷やヘイトスピーチの温床になりました。匿名の政治はどうかというと、2ちゃんねるやふたばちゃんねるを模したアメリカの4chanなどの掲示板は、トランプ支持者や、Qアノンたち陰謀論者の温床になっていきました。

 これは一体どうしたことだろう、どうしてこのような帰結になってしまったのだろうと、嘆きたい気分がぼくの中にはあります。しかし、嘆くのではなく、どうしてこうなったのかを真剣に考えたい。そのためには、自分だけでなく、おそらくは多くの人々のネットへの夢と期待を育んだ『攻殻機動隊』の歴史と並走するのが有効なのではないかと感じました。というのも、『攻殻機動隊』シリーズは、ネット社会で起こる様々な問題を既に反省的に織り込んでいるからでした。

 たとえば、劇場用パンフレットや、Blu-rayの解説などで関わらせていただいた『攻殻機動隊ARISE』は、一作目が2013年に公開された作品なのですが、既に、今の言葉で言うポストトゥルースやフェイクニュースの問題を全面的に扱った作品でした。この問題が新聞などで大きく議論されるようになったのはここ数年のことですが、アニメの作り手たちはそれよりも遥かに早くその問題に取り組んでいたわけです。

連邦議会議事堂に集まるトランプ支持者たち=2021年1月6日、ワシントン
連邦議会議事堂に集まるトランプ支持者たち=2021年1月6日、ワシントン

 先ほども言いましたが、この本を書き始めたときには、自分がコミットして夢を見たインターネットの「革命」の帰結の陰惨さに相当気が滅入っていました。自分自身も当事者の一人であったインターネットの政治のようなものも、結局のところ、分断と殲滅戦に陥って、非常に殺風景な状況になってしまい、「こういう世界を望んでいたわけではなかったのに」という強い失望と幻滅に悩まされていました。同じ気持ちが、『マトリックス レザレクションズ』の中で描かれているのを見て、ちょっとだけ救われたりもしますが。

 これをちゃんと考え直さないと、自分は立ち直れないだろう、自分自身の間違いも、罪もひっくるめて考えるためには、ネットへの夢や希望や行動のモデルを形作った『攻殻機動隊』を検討するのが良いのではないか、と考えました。様々なことを考え抜いていたであろう作り手たちの思考と葛藤のドラマに寄り添うことで、ぼく自身が新生を迎えたい、その作業を通じて得たものを社会に送ることで、現状のネット社会の問題――分断や、フェイクニュースや、誹謗中傷など――をより良くする一助になりたい。そういう動機で、本書を書きました。

分断を乗り越える「神話」としての「攻殻」

 そのような動機で書いたものですから、ちょっと今までの攻殻機動隊についての論とは違う角度から『攻殻機動隊』の総体の読み直しを行うことになりました。特に、本書が重要視したのが、士郎正宗『攻殻機動隊』『攻殻機動隊2』にある、神道や日本神話やスピリチュアルを引用した部分の読解です。科学や最先端の技術が変えていく社会の話でありながら、どうして宗教にこれほどの力点があるのか? どうして両者の融合したビジョンを描こうとしたのか? たとえば、ネットでは、原発やワクチンを巡って、「科学」と「宗教」のような二項対立や分断が起こっていますが、それを克服する可能性がここにあるかもしれない、などと考えながら読んでいました。

 今では、みんな自分の好きなものをネットで見るのでイデオロギーや世界観ごとに「集団分極化」現象が起こり、分断が起きて互いに対話できない状況になっています。しかし、『攻殻機動隊』は、どちらでもないというか、両方を同時に自分の中に孕もうとしている作品だったりします。今は、ITやAIなどの科学技術の産物が環境を激変させ、それに適応したり、あるいは変わることができなかったり、昔に戻りたいと願ってしまうこともあるかと思います。「日本を取り戻す」と言いたくなってくるかもしれません。いわゆる革新と保守の永遠の論争があるわけですが、『攻殻機動隊』は、「昔の日本」から伝わってきたものを、最先端の科学や技術の環境に活かし直そうとするビジョンを提示しているのが凄いと思ったんですよね。つまり、分断を超えるための「神話」を自らが体現している。

 今後、気候変動や食料危機など、予測が付かない事態に対応するために変わり続けなければいけないわけですが、そのときに古いものに固執し新しいものを否定するのでもなく、新しくなることばかり考えて過去を軽視するのでもなく、連続しながら新しく生き方を創造していく必要があるのだと思います。そのヒントというか、ひとつのモデルを、『攻殻機動隊』は提示しているのだなと感じました。

一人ひとりが未来を「創造」するために

 読者に一番伝えたいことは、未来のことですね。エピグラフに「人々は、大きな手段、小さな手段、のいずれを選ぼうとも、一つの決断をすることを迫られている。人類は、自分の手に成った進歩の重みに、半ば圧し潰されて、呻いている。人類は、自分の未来は、自分次第のものだ、という事を、まだ十分承知していないのである」という、ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』(小林秀雄訳)を引いていますが、まさにこれは現在の人類の姿であろうと感じます。

 気候変動、エネルギーや食料危機、少子高齢化など、未来が明るいように思えないかもしれません。しかし、それでも、未来の可能性を信じて未知の荒野に向かって進み、次々と変わっていく、ベルクソンの言葉で言えば「創造的進化」を遂げていくことを恐れるべきではないのだ、ということを、本書は一番言いたいのかもしれません。

 サブカルチャーやオタク文化も、元々はバカにされ、人間をダメにする、日本の伝統を破壊する文化だと思われていました。戦後の日本社会が、アメリカ化し、科学技術立国化していくことを嘆く人たちもたくさんいました。しかし、戦後に生まれた新しい文化であるサブカルチャーやオタク文化の中には、第二次世界大戦のことを真摯に反省し、新生の誓いの元、未踏の荒野に踏み出し、より良い未来を掴もうとし、新しい文化を生み出す賭けに出た人たちがいっぱいいたわけです。『攻殻機動隊』は、まさにそういう覚悟の作品のひとつです。オタク文化を愛好する人たちは、皆、その継承者なのです。そのことを思い出し、その勇気と覚悟を継承して、この先の未来を一人一人が「創造」していき、より良い世界になる一助になれば、というのが、本書の最大の願いです。

藤田直哉さん
藤田直哉さん

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