外国人の“心の内”を聞く――中島弘象さん・評『ルポ コロナ禍の移民たち』
記事:明石書店
記事:明石書店
僕の妻はフィリピン人だ。今から10年前、僕が大学院生だったときにフィリピンパブで出会って恋に落ち、2015年に結婚した。現在は2人の子供と4人で暮らしている。そんな僕たち国際結婚家族にもコロナの影響は少なからず出た。
2020年4月下旬、初めての緊急事態宣言の真っ只中で妻は第2子を出産した。出産の立会は禁止され、面会も1日1回1時間だけ。日本語での日常会話にはさほど困らない妻でも、1人で出産し、入院生活を送るのは大変だった。
ちょうどその頃、「国民全員に10万円を給付する」という話が出ていた。僕の友人や職場の同僚は「10万円もらえたら助かる」と言っていたが、僕はどうしても気になることがあった。それは「国民」の中に外国籍の妻は含まれるのだろうか、という点である。
日本で結婚して、子供を産み、生活していても、外国籍である妻が日本で暮らすためには在留資格が必要である。外国籍の妻が日本人と結婚したからといって、無条件に日本で住むことを許可されるわけではない。在留資格の申請をし、審査に通らなければならないし、その後も定期的に更新しなければならない。
日本のさまざまな制度に、外国籍である妻が含まれるかはいつも気にしなければならないのだ。だから給付金が無事にもらえると決まった時は、夫婦揃ってホッとした。
ワクチン接種の優先順位についての議論が始まると、今度は「ここは日本だから、日本人が優先されるべき」という声も身近で聞こえたりした。外国人の妻を持つ身としたら、心にグサッと刺さる言葉である。
そんな言葉を聞くたびに、身近な存在として外国人がいなければ、自分とは無関係な人たちと考えてしまうのだろう、と思った。外国人が日本になぜ来て、どのような生活をしているかを知る機会は少ない。こんな非常時の中ではなおさら、彼らがどういった状況で生活し、どんな思いで日本にいるかはわからない。
本書『ルポ コロナ禍の移民たち』は、著者自らさまざまな国籍や在留資格を持つ外国人たちの所に出向いて、表に出てこない彼らの声を直接聞き、読者に伝えてくれる。だからこそ、データや資料を集めただけでなく、「弱くてかわいそうな外国人」や「困難な中たくましく生きる外国人」というステレオタイプではない、等身大の姿を見ることができる。
国際結婚をした身として、本書を読んでいると「そうだな」と共感することがある。それは母国への送金だ。僕の妻もそうだが、経済的に母国の家族を支えるために、日本に働きに来る外国人は多い。特に僕が妻と出会った、フィリピンパブに働きに来るフィリピン女性はかなりの数がそうだ。
僕と妻は本書にも出てくる名古屋市中区栄4丁目のフィリピンパブで出会った。妻は第1子の妊娠を機にパブ勤めを辞めたが、今でも妻の知り合いがたくさんフィリピンパブで働いている。
けれどもコロナの感染が拡大してから、「夜の街」が感染拡大の温床になっていると連日報道され、フィリピンパブに来る客は減った。
「家族に感染させたくないから夜の仕事を辞めた」
「店が休業になって働けなくなった」
「介護の仕事に移った」
といった声が僕の耳にも届くようになった。夜の仕事の収入が減り、母国の家族に送金ができなくなったフィリピン人もいた。
フィリピンでもコロナは猛威をふるい、日本よりも厳しい外出制限措置がとられ、母国の家族が失業した人もいる。日本での生活も大変だが、母国の家族のほうがもっと大変な状況にある。だから10万円の給付金が出たとき、日本での生活よりも優先して、フィリピンに送ったなんて話も聞く。
僕も妻と出会ってから、フィリピンへの送金を間近で見てきた。毎月数万円から多いときで数十万円を送るときもあった。それに加え、病院代、学費、誕生日など急な送金もある。フィリピンでの生活費はすべて日本からの送金だけ、というときもあった。
日本で大変な思いや、辛い思いをしても、家族に心配をかけたくないと、辛い姿は見せない。そのため、フィリピンの家族も日本で「成功している」と思い、送金を期待する。そんな期待に応えるために、お金が無いときでも、自分の欲しいものは我慢し、ネックレスやバッグを売り、友人にお金を借りるなどして送金することもあった。
それらに対して、僕は「ちょっとおかしいんじゃないか」と思うのだが、フィリピンの家族を支えているフィリピン女性は送金を優先する。結婚して子供ができた今でも、我が家では日本とフィリピンの家族観の違いでぶつかることが多い(これについて語り出すと長くなるのでここまでにするが)。
妻を見ていると、外国人が日本で生活するのは大変だと思う。だが、日本で生きていくためには、ある程度の日本語も覚えなければならないし、日本のルールも理解しなければならない。「大変だと思うが、日本で子供を育てるんだから、子供の通う幼稚園の先生と自分で話してほしい」と妻に言うこともある。
はじめから完璧にはできない。もちろん周りの助けも欠かせない。だが本人が努力をしなければ、いつまでも日本社会に溶け込むことは難しい。本書でも、日本社会に溶け込む努力をしない外国人について言及している箇所がある。
異国の地で暮らす大変さは、当人にしかわからない。だから、努力不足などと安易に評価してはならない。それでも、外国人と日本人が共に暮らしていくためには、お互いに理解し合おうとする姿勢が必要だということを見過ごすことはできない。
日本人も海外に出れば「外国人」だ。誰でも「外国人」になる可能性はある。
著者はタイで10年ほど「外国人」として暮らしていた。自身の経験を振り返り、異国の地で疎外感、心細さなどを感じ、それを埋めるために日本人同士で集まり、互いに助け合ったという。それは今、日本で外国人として暮らす人たちと同じ姿なのだ。
こうした経験がある著者だからこそ、日本で外国人として生きる人たちの抱えている辛さや悩み、また楽しさなどといった心の内を聞き出せている。そうした感情を知ることで、外国人も私たちと変わらない存在なのだということを気づかせてくれる。
異国の地・日本で、外国人として生きる彼らから、困難な時代の中、私たちも前向きに生きていくヒントを得ることができる一冊だ。