自然主義者としてのニーチェ――21世紀のニーチェ研究最前線(後編)
記事:春秋社
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ライターによるニーチェ解釈の軸は自然主義です。まずはこの自然主義について一般的に説明しましょう。
ここでの自然主義というのは、環境意識が高く自然保護運動を訴える立場といったような意味ではありません。哲学における自然主義は、論者によってさまざまな意味が与えられていますが、基本的には、神などの自然を超えたものの存在を否定したり、哲学的な探究を科学と密接に結びつけようとしたりする立場のことと考えてよいでしょう。一般に、前者は存在論的自然主義と呼ばれ、後者は方法論的自然主義と呼ばれます(ただし、この二つは互いに排他的なわけではなく、同時に両方の立場をとることも可能です)。これらはさらに細かく区分されるものなのですが、さしあたりは、それぞれ、超自然的なものは存在しないとする立場、そして哲学的な探究は科学の手法や成果を踏襲すべきだとする立場と理解していただければと思います(詳しくは本書の第1章「イントロダクション ニーチェは自然主義者かポストモダニストか」やあとがき「ニーチェの自然主義再訪」をご覧ください)。
この自然主義というのはなにも近年新たに生み出された立場というわけではありません。むしろ自然主義は長い歴史をもつ由緒ある立場で、ソクラテス以前の哲学者たちやアリストテレス、スピノザ、ヒュームなどといった大哲学者たちもなんらかの意味での自然主義者だと考えられます。つい最近ではますます多くの哲学者が自然主義の立場をとるようになっており、たとえばダニエル・デネットやチャーチランド夫妻、日本人では戸田山和久や植原亮といった哲学者が自然主義者(あるいはより強く狭い意味で唯物論者ないし物理主義者)としてよく知られています。
前置きが少し長くなりましたが、ライターは、『道徳の系譜学』(1887年)を含む著作を執筆した成熟期のニーチェを、まさしくこの自然主義の伝統のうちに位置づけているのです(なお、基本的に本書および本記事の主題はこの成熟した中・後期ニーチェだという点にご留意ください)。ライターによれば、ニーチェは存在論的自然主義と方法論的自然主義の両方の立場をとっています。本書でライターはとくに後者を重点的に扱っており、ニーチェは当時の生理学といった科学の成果を頼りとするだけでなく、科学の方法にならい、道徳などの人間的現象に対して因果的な説明を、すなわち人間の生理や心理にまつわる自然的事実に訴えた説明を与えようとしていたと論じます。そしてその根拠となるテクストが豊富に引証され、当時流行していたドイツ唯物論といった思想史的な背景にも目を配った解釈が展開されていくのです。
では、この自然主義的なニーチェ読解のどこが画期的で意義深いのでしょうか。ここでは二点だけ指摘しておきましょう。
一つ目は、ポストモダン的なニーチェ理解が退けられているという点です。より正確にいえば、ライターは自然主義的なニーチェ解釈を展開するにあたって、ポストモダン風の懐疑主義的なニーチェ読解は文字どおりの誤読にすぎないということを示しているのです。その読解というのは、平たくいうと、「いかなる真理や事実も一切存在せず、すべては解釈にすぎない」というのがニーチェの中核的な主張だとする読みを指しています。
これは長年にわたってニーチェに関する定説とまで考えられていたため、ニーチェ哲学と聞けばまずこれをイメージする方も多いのではないのでしょうか。しかしながら、この説は、著者のライターをはじめとする、事実や科学を重視する自然主義的立場をニーチェに帰属させる研究者たちから徹底的な批判を加えられており、現在ではそれを留保なく簡単にニーチェの公式の立場と認めるのは難しいという状況になっています(詳しい議論は本書の第1章と第8章でご確認ください)。たしかに周知のようにニーチェは真理を批判しています。けれども、ニーチェはどんな真理も全く存在しないといいたかったわけではなく、真理や真理探究に至上の価値を置くことに反対していただけだというのが、(少なくとも分析系の解釈者のあいだでは)今のスタンダードな理解になっていると思われます。このようにして従来のニーチェ解釈を転換させた点、そこに自然主義的読解の大きな意義が見出せるでしょう。ちなみに、前編のリード文で、私のニーチェ観は本書を読んで一変したと述べましたが、それは主にこの点に関してのことです。
さて、二つ目の重要性は、自然主義が積極的にはニーチェ解釈でどう活きるかという部分に関わります。この自然主義を主軸にした解釈には、ニーチェにおける道徳哲学はもちろんのこと、その行為論や心の哲学、そしてなにより『系譜学』という著作そのものが明瞭かつ一貫した仕方で理解できるようになるという利点があるのです。
ここでは、自然主義の立場から見れば、『系譜学』においてニーチェがなにをしようとしているのか、その見通しがよくなるという点をごく簡単に紹介しましょう。『系譜学』という本は三つの論文で構成されているのですが、これらは主題・問題意識の面だけでなく、方法論的な面からも統一されているとライターは論じます。そしてその方法論こそが自然主義的なものなのです。つまり『系譜学』においてニーチェは道徳の起源を、神などの超自然的な原因に訴えるのではなく、「自然主義的な観点から、特に私たちのような生物の内に見られる自然に生じる心理メカニズム――ルサンチマン(『系譜学』第一論文)、内面化された残酷さ(『系譜学』第二論文)、力への意志(『系譜学』第三論文) ――に訴えることで説明しようとしている」(p. 261)というふうに整理できるわけです。このように、ニーチェの利用する系譜学なる手法が際立って自然主義的な性質のものであるということが判明し、彼の主著『系譜学』が明快なかたちで読み解けるようになるのです。(なお、『系譜学』における道徳の起源の探究、ひいてはニーチェの自然主義は、道徳的諸価値の価値の批判、すなわち「諸価値の価値転換」なる独自のプロジェクトを達成するための手段として援用されている、というライターの解釈もきわめて重要なのですが、この点の詳細はみなさんのお楽しみにとっておきたいと思います。)
以上、本書で展開されているニーチェ解釈の要点をご紹介しました。ですが、当然ながら、ここではライターの解釈のエッセンスに絞った話をざっくりと述べたまでで、より精密な議論や多岐にわたる細かいトピックについては触れられませんでした。前編で述べたとおり、分析哲学的な解釈アプローチでは厳密な議論展開が重視されているため、読者のみなさんには、さまざまな論点に関する細部までよく練られたニーチェ読解をぜひご自身の目で確かめていただければと思います。本記事をきっかけに、少しでも多くの方にこの最前線のニーチェ研究書に興味をもっていただけましたら、訳者として望外の喜びです。