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『ビデオランド』とレンタルビデオをめぐるトークランド 映画と観客はどう変容してきたのか?(生井英考×竹内伸治)後編

記事:作品社

『ビデオランド レンタルビデオともうひとつのアメリカ映画史』(ダニエル・ハーバート著 生井英考、丸山雄生、渡部宏樹訳)
『ビデオランド レンタルビデオともうひとつのアメリカ映画史』(ダニエル・ハーバート著 生井英考、丸山雄生、渡部宏樹訳)

前編はコチラ→『ビデオランド』とレンタルビデオをめぐるトークランド 映画と観客はどう変容してきたのか?(生井英考×竹内伸治)前編

『ビデオランド』という本について

生井 ここまで日本の事情とか興味深い歴史をいろいろうかがってきましたが、そんな竹内さんの目からご覧になって、この『ビデオランド』という本はいかがでしたか。

竹内 大変面白く読みました。最初にシラバスが示されて、さすがに大学教授が書いた本だなと思いました。でも読んでいると、身近にあるレンタルビデオショップのお兄さんやお姉さんも登場する。大学の講義のような形で始まりますが、実際に描かれているのは、映画を勧めてくれるレンタルビデオショップの人びとです。

 すごく身近な、町場のキュレーターというか、町場のソムリエのような人物たちが克明に描かれていますね。

生井 著者のダニエル・ハーバートも学生や大学院生だった時代にずっとビデオ店のセミプロ店員として働いていたそうです。それもマニア向けの店も一般向けの店もあったそうですが、店番してるとお客に「おすすめの映画ない?」とか尋ねられる。それも映画にくわしいお客だけとは限らないわけなので、「前に見たシュワルツェネッガーの映画が面白かったんだけど、次のはない?」なんて訊かれる。その時に、相手の話からどこがこの客の心に刺さったのかを察知して、「だったらこれがいいんじゃない?」と勧める。まさにいま竹内さんがおっしゃったような、キュレーターとかソムリエ的な素質が、自分の学者・研究者としての素養になったと彼も述べています。

竹内 その一方で、ビデオ店の経営者も映画なんて全く知らないオジサン、オバサンが商売でビデオショップを始めたりと、日本にも通じる世界までよく描かれていますね。

生井 ハーバートが聞き取り調査のために田舎のレンタル店を訪ねたら、いきなり経営者から「あんた、この店買わないか」と言われたり(笑)。

竹内 そのようなレンタルビデオショップの登場から段々レンタルビデオが没落していくまでの経過を通して、彼らの人生が垣間見えるところなどは大変面白かったです。

生井 彼が大学院のクラスで議論をしている時も、そういうビデオ店で働いた時期の蓄積があるから、いくらでも豊富に例が出てくるというんですね。セミプロ店員の経験が自分の血となり肉となっているんだと書いています。

レンタルビデオがなければタランティーノは生まれなかった

竹内 クエンティン・タランティーノという監督がいますよね。彼の登場は、レンタルビデオショップがなかったら絶対にあり得なかったと思うんです。彼もレンタルビデオショップの店員としてアジアのカンフー映画や日本のヤクザ映画をたくさん見て、それが彼の血となり肉となって、後に『キル・ビル』のような作品に結実するわけですよね。まさに彼はレンタルビデオショップがアメリカに登場しなければ生まれ得なかった映画監督です。一方で、ハーバートさんのような研究者を生み、一方でタランティーノを生んでいったのがアメリカのレンタルビデオ業界だったんだなと思いました。

生井 お定まりの話ですが、かつてハリウッド映画産業が世界に燦然たる存在感を誇っていたころ、映画の現場は外国映画には無関心で、ハリウッド関係者はまったく観ていなかった。まれに黒澤明が話題になったりすると観るけれども、それ以外は無関心だった。さらに、過去の名作と言われているものも、お蔵入りになっているので全然見ていなかった。

 ところが70年代に登場してくるコッポラやスピルバーグやジョージ・ルーカスなど、大学で映画を勉強した世代は、大学にあったフィルムアーカイブで映画を観ていた。外国の映画も昔の映画も、あらゆる映画を観て、それまでの映画製作の現場、いわゆる叩き上げ世代になかったような視点や知識等を持って新しい映画を作るようになる。この話は教科書に書かれていることですが、さらにその先に、レンタルビデオで世界中のB級、C級の映画まで観ている世代が出てきた。タランティーノはそういう意味でも、スピルバーグたちの後の世代なんですよね。

イベント当日の様子。竹内伸治さん(上)と生井英考さん(下)。
イベント当日の様子。竹内伸治さん(上)と生井英考さん(下)。

配信時代の映画

生井 いまは配信の時代になって、新作映画も普通に配信されていますね。竹内さんはこれをどうご覧になってますか。

竹内 映画は、生まれてからというもの、音が付き、画面が広がったり色が付いたり、いろいろと進化してきましたね。最近の大きな進化は、アナログからデジタルになったことです。これによって映画の概念も変わった。いままでは光の影だったものが、いわゆる光の記号に変わりました。この時点で映画の性質がまったく変わったと言えると思います。映画が進化してくる間に第二次産業としてテレビジョンができ、そこで多くの映画が消費されるようになり、初めて映画館以外の収入を得ることになります。そして80年代になってレンタルビデオが登場し、CS、衛星放送、DVD、そしていま配信の時代になって、完全にデジタル配信になった。

 その中で新たな映画製作のかたちとして、配信会社が作る映画が既に一つの潮流として出来ていますね。映画自体は歴史が浅く、まだ130年くらいだと思いますが、その短い歴史の中でもこれほどの変遷を遂げました。ですが僕は、人間の進化と共に、人間が暮らしている日常の変化によって映画は変わってきたものだと思っています。ですから映画の変化と言うより、人間の文化の変化と考えた方が合っているような気がします。

リストがなくなり、「俯瞰」の文化が失われた

竹内 配信の時代とはデジタルの時代ですが、そこで変わったのが「俯瞰の文化」がなくなってきていることだと思うんです。いままでは、たとえばレンタルビデオ店に行くと、全部が目で見えたわけです。アメリカのブロックバスターみたいな大規模店は、まさに可視化された俯瞰を提供していた。ところが、いま配信が当たり前になると、上から降ってくる、与えられる文化だけで人間が過ごし始めるようになっている。

お目当ての作品以外も「俯瞰」することができたレンタルショップ(Photo by Arne Müseler/ CC BY-SA 3.0 de)
お目当ての作品以外も「俯瞰」することができたレンタルショップ(Photo by Arne Müseler/ CC BY-SA 3.0 de)

 最近気づいたんですが、ネットフリックスには配信されている映画のリストがないんですね。一本の映画を観ると、「あなたにはこれがオススメ」というリコメンドが出てくるだけ。自分が観たい映画を探そうと思ったら、検索してどこの配信会社で観られるのかを調べないとならない。俯瞰された文化が僕らから奪われて、与えられる文化しかなくなっているという状況が、デジタル文化だと思うんです。

 これは映画の問題ではなく、人間の文化の問題ですね。アナログからデジタルに変わるという大きな潮流の変化が生んだものなので、今後の予測はなかなか難しいと思います。

生井 いまおっしゃった「俯瞰」というのは、図書館でいうと開架式の書棚ということですね。開架式は本がずらりと並んでいて、閲覧者はその前で自分の求める本を探しながら、ついでにほかの本を総覧しているわけですね。すると、自分の知らなかった面白そうな本が見つかって、「へえ、こんなのがあるのか」と手に取ったりする。そういう経験の積み重ねが「全体を見渡す」目を養うわけですね。まさに竹内さんのおっしゃる「俯瞰の文化」です。レンタルビデオ屋さんでも、ずらりとパッケージが並んでいる様子に触れることでそれを自然に教わっていたわけですね。

竹内 そうなんです。それがいま、なくなりつつあるんです。本屋さんに行くと興味がなかったものまで買ったり、レンタルビデオ屋さんに行くと興味がなかった新しいタイトルを見つけたりできました。これは「俯瞰の文化」だったからだと思うんです。ところがいま、デジタルが人間から俯瞰を取り上げている状況があると思います。ぼくは生井先生と同じで映画館でしか映画を観ないタイプなので、配信会社にリストがないということに驚愕したんです。リストがないってどういうことなの? 上から降ってくる文化がデジタルの文化なんだとつくづく感じました。

生井 その「俯瞰の文化」の意味を、レンタルビデオという事例をとおして改めて実感させてくれる。その時代を知らない若い世代には、具体的に教えてくれる。そういう本が『ビデオランド』です・・・・というと訳者の手前味噌になりますが(笑)。今日は楽しかったです。聴衆のみなさまも含めて、長い時間どうもありがとうございました。

竹内 ぼくも大変楽しかったです。見て頂いた方たちが面白いと思って頂ければうれしいです。

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