クェンティン・タランティーノ。俺にとっての呪いの言葉。
いくつになっても、聞いただけで全身が硬直してじんわりと嫌な汗が脇の下から滲み出てくる名前ってあるやん? 地元の不良の先輩とか。多感な時期にガツンと一発やられた相手には、一生びびっちゃう烙印を押されてしまう。
クェンティン・タランティーノがまさにそれ。
ああ嫌だ、嫌だ。こうして書いているだけでも、頭がクラクラして気分が悪くなるので、銭湯で身を清めてから生ビールが美味い居酒屋に避難したい。
とにかく二十歳の頃の俺はひねくれ者だった。
今風の言葉で喩えるなら完全に「こじらせている」クソガキ。まともな仕事に就かず、パチプロで小遣いを稼ぎながら、レンタルビデオ店でまとめ借りしてきた映画を朝まで観る毎日を過ごしていた。
まだ何も成し遂げていないくせに批判精神だけは旺盛で、安い焼酎を飲んでは「天才の俺を無視する世間が悪い」と本気で愚痴る。とことん痛く、底抜けの馬鹿だった。
そんな俺の横っ面をガツンとぶん殴った映画が、クェンティン・タランティーノの「パルプ・フィクション」だ。
何だよ、コイツ。レンタルビデオ屋の店員がいきなり出てきてハリウッドの寵児になりやがって。
しかも、映画がメチャクチャおもろいやんけ!
登場人物たちのリズミカルな毒舌。思わず笑ってしまう暴力描写。斬新かつテクニカルなストーリー。そして、何より悪党たちのキャラが立ちまくってる。
大阪の片隅で俺は嫉妬に悶え苦しんだ。
ズルい! 自分のやりたいように作った映画が世界に愛されるなんて!
俺もタランティーノになってやる。
勢いで映画専門学校に入り、講師と喧嘩して辞めて劇団を作り、赤字まみれながらも十年続け、たまたま小説を書いたら小説家になった。
ほんま、人生何が起こるかわからない。
ひとつ言えるのは嫉妬のパワーは凄まじいってこと。若いうちに、悔しさで髪の毛をむしってハゲるほどの相手を見つけたほうがいいのかもしれない。
梅田の映画館で初めてクェンティン・タランティーノと出会ってから十八年後、俺は三人組の銀行強盗を主人公にした小説『サンブンノイチ』の冒頭でこう記した。
Q・Tへ あんたのせいで人生が変わったよ
そして、『サンブンノイチ』は映画化となってスクリーンに流れることになる。大阪の片隅で悔しがっていた映画馬鹿が少しだけ、クェンティン・タランティーノに近づけた。
もちろん、彼への嫉妬は今も続いている。