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佐藤優氏が読み解く! 21世紀の奇書『異端 モンタノス派』

記事:平凡社

阿部重夫著『異端 モンタノス派』カバーより「マルシュアスの皮剝ぎ」(部分)
阿部重夫著『異端 モンタノス派』カバーより「マルシュアスの皮剝ぎ」(部分)

モンタノス派の眼で歴史と世界を読み解く

 21世紀の奇書といえる素晴らしい作品だ。圧倒された。

 キリスト教は一神教と言われているが、厳密に言うとそれは間違いだ。キリスト教は、父、子、聖霊からなる三一(三位一体)の神を信じる宗教だ。父なる神はユダヤ教と共通のヤーウェだ。子なる神はイエス・キリストである。そして最後が聖霊なる神であるが、これが何であるかが実にわかりにくい。既成の教会は、聖霊を組織内に閉じ込めることに腐心してきた。しかし、キリスト教史では繰り返し、聖霊の自由な働きを重視するグループが出てくる。そのようなグループは、大抵の場合、「異端」として切り捨てられてきた。

 2世紀に小アジア西部フリュギア地方でイエス・キリストの再臨が近いと強い終末論を伴う預言者活動を行ったのがモンタノスだ。キリスト教史では、3世紀の初め、これまで正統派教会で護教活動を中心的に展開していたテルトゥリアノスが晩年にモンタノス派に転向したことで知られているくらいで、詳しい情報がない。阿部重夫氏は、日本ではあまり知られていないタバニーの名著『預言者と墓石』の精読を通じてモンタノス派の精神をとらえる。ただし、本書はモンタノス派についての学術的研究とは本質的に異なる。モンタノス派の眼で、阿部氏が歴史と世界を見直すのである。

 コンスタンティヌス帝のキリスト教公認によって、国家とは異なる位相に存在していたキリスト教は制度化された宗教に変質した。そしてできあがったのは、ヘブライズム(ユダヤ教の一神教)、ヘレニズム(ギリシア古典哲学)、ラティニズム(ローマ法)の合金であるヨーロッパのキリスト教世界だ。この型に嵌まった窮屈な世界から人間を解放しようとした一人がモンタノスである。

阿部重夫著『異端 モンタノス派――初期キリスト教 封印された聖霊』(2022年3月平凡社刊)
阿部重夫著『異端 モンタノス派――初期キリスト教 封印された聖霊』(2022年3月平凡社刊)

 阿部氏は、田川建三やブルトマンの聖書研究、吉本隆明の共同幻想論、ドストエフスキーの『罪と罰』、幸徳秋水の『基督抹殺論』、北一輝の『国体論及び純正社会主義』などのさまざまなテキストと格闘しながら、人間が作ってきた歴史を読み直す。そして個人の死を超えた先にある世界を描き出す。〈個人が死ねば、魂の行方はたいがい因果応報とされるが、キリスト教はその間に「この世の終わり」という中二階を挟む。再臨したイエスとともに、復活した義人が地上を1000年統治したのち、最後の審判で人を天国か地獄かに振り分けることになっている。モンタノスが預言した新エルサレムのペプーザ降臨は、黙示録の「千年王国」を再起動させたものに違いない。〉(177頁)。千年王国の思想は、人間の努力によって理想的な社会を構築することができるとする革命思想とは根本的に異なる。人間の努力で千年王国を作ることはできない。千年王国は到来するのである。それはある日、突然、やってくる。その日に備え、人間は、待ちつつ急がなくてはならないのである。

 しかし、待つことができないのが人間の性だ。革命を創り出そうとして、かつての革命家であった明治維新の元老に殺された北一輝の例をあげる。〈維新革命未だ成らず──天皇制無化を含む第二維新を考えた北は、山縣が操るこの擬制を早くから討とうとしていた。それを資本制社会から取り残された村落共同体や下町共同体の常民の土俗的な欲求を人類史的普遍性に止揚しようとした「コミューン主義」だというのが渡辺京二の見立てである。しかしこのコミューンは、1848年に「一個の怪物がヨーロッパを徘徊している」(堺枯川・幸徳秋水共訳)と誇大に宣言された前衛党のコミュニズムではない。毛沢東のような東洋的デスポットに拝跪し、収奪者かつメシアという双面神に従わざるをえないから、むしろ万象同帰の「社稷」の別名であったに違いない。〉(275頁)

 前衛党により導かれたソ連型共産主義がもたらしたのは、人間の解放とはほど遠い収容所群島だった。東西冷戦での資本主義陣営の勝利をフランシス・フクヤマのような新ヘーゲル主義者は「歴史の終わり」が到来したと勘違いした。しかし、歴史は終わらなかった。自由、民主主義、市場経済というような原理は、普遍性を帯びておらず、アメリカ帝国に都合がよいローカル・ルールに過ぎなかったことが中国の台頭によって明らかになった。普遍的な価値観というのは、単一のカトリック教会が全世界のキリスト教徒を糾合できるというのと同様、幻想に過ぎない。この幻想に足を掬われないようにするためにはモンタノス派の眼が必要になる。

 阿部氏は、日本経済新聞の記者、『選択』や『FACTA』の編集部で日本と世界の表と裏を見てきた。その過程で、知らず知らずのうちにモンタノス派の目を持つようになった。「異端」としてこの世界から消し去られたことになっているモンタノス派の聖霊が、さまざまな出来事に目に見えない形で組み込まれており、阿部氏はその感化を無意識のうちに受けたのだと思う。モンタノスの眼を持つ阿部氏には、この世の終わりの日が見え始めた。本書はその中間報告なのだ。

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