世界の中心でも大国でもない、「世界の辺境」としてのアメリカ
記事:明石書店
記事:明石書店
―空を覆う黒い雲と激しい雨の向こうに、白夜の光が見える。
アメリカ本土を巡る旅も、あと南部2州を残すばかりとなった2019年の12月。私たち家族は、アメリカ国内の旅を一休みし、南米大陸にやってきた。その夜は世界最南端の町アルゼンチンのウシュアイアにいた。
白夜を覆う嵐に、19歳のときに旅したアイルランドのアラン島の夜を想い出した。初めての一人旅であり、初めての海外旅行であり、そしてバブル経済に世間が湧く時代に家族旅行もできない母子家庭で育った私にとっては初めて飛行機に乗ったときでもあった。
ユーラシア大陸の西の果ての島国アイルランドの、さらに西の小さな離島。あの荒涼とした風景は、まさに世界の果てのようだった。風の吹き荒ぶなか、石造りの小さな家の庭に洗濯物がたなびいていた。夜になると嵐がやってきて一層不気味なのだが、確かにここにも人の暮らしがある。そこに魅せられた。
それから、いつも気づけば辺境を旅してきた。友人に言わせれば「端っこ好き」。辺境に生きる人たちの暮らしに想いを寄せて旅を続けてきた。
連れ合いからアメリカに駐在となると聞いた時、正直それほど楽しみなものではなかった。「端っこ好き」の私にとっては、アメリカは世界の中心のようであり、王道の行き先だった。一度も旅をしようと考えたことがなかった。
十分な渡航準備期間をもらい移住の支度をしていた頃、アメリカでは大統領選挙が行われ、ドナルド・トランプが当選した。そして、アメリカに無事にたどり着いて程なく、シャーロッツビルであの悲劇が起こった。
この国はどんな国なのだろう?
旅をするうちに、アメリカという国そのものが、居場所を失った人々が自由を求めて世界中からやってくる、世界の辺境のように思えてきた。あまりに多様な人々が生きるこの巨大な辺境は、人の営みのあらゆるものが世界中から持ち込まれ、それゆえに必然的に生まれる人々の対立と克服は、まるで世界の縮図のようであり、壮大な社会実験のようですらある。
いかに人は共に生きることができるのか?
気づけばアメリカ中を旅していた。辺境の中のさらに辺境へ。この国の多彩な風景と、そこにある人々の暮らし、歩んできた道のりを追って走ってきた。
ひきこもりの若者と共に過ごすフリースペースから、困難を抱える子どもたちの多く通う高校内の居場所カフェから、困窮者支援の相談室から、あるいは出張相談に訪れた風俗店の待機部屋から……。私は日本で周縁から社会を見てきた。アメリカの辺境性は、私が見てきたそんな日本の風景とどこか地続きのようだった。
この本を通じて描いてきた人々やアメリカの直面している状況は、全く同じではないけれど、日本のどこにでも潜んでいる。多くの人が気にも留めずに通り過ぎていく街中のホームレスの人たち、食べるものにも困る子どもたちの貧困、衰退する地方の経済、トランプ政権顔負けの残酷な入国管理、増え続ける移民たちが抱える暮らしの苦難、外国人や先住民への差別など、日本の抱える課題の多くが、本書で出てくるアメリカの風景と重なるのではないだろうか。その規模や表出の鮮明さ、態様に違いはあれど、読者の皆さんが、苦悩するアメリカの人たちだけではなく、ここ日本で周縁に追いやられている人たちにも、本書を通じて想いを馳せていただけることを願っている。
私たちは、幸運にも2020年2月末に、最後のミシシッピ州に到達し、アメリカ本土48州の旅を終えることができた。その後、周知の通りアメリカは新型コロナウイルス感染拡大によるロックダウン、ブラック・ライブズ・マター運動、歴史に残る大統領選挙と年明けの国会議事堂侵入事件と、息つく暇もない激動であった。今もワクチン接種などをめぐる分断と再度の感染拡大を繰り返しながら国は揺れて続けている。それでも、きっとこれまで同様、アメリカは一歩ずつ、この苦難を乗り越えながら、一つの国として歩んでいくのだと信じている。
(本書あとがきより抜粋、一部修正)