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日本人はなぜレイシズム(人種差別主義)に向き合えないのか?――『ホワイト・フラジリティ』の射程

記事:明石書店

ロビン・ディアンジェロ著、貴堂嘉之監訳、上田勢子訳『ホワイト・フラジリティ 私たちはなぜレイシズムに向き合えないのか?』(明石書店)
ロビン・ディアンジェロ著、貴堂嘉之監訳、上田勢子訳『ホワイト・フラジリティ 私たちはなぜレイシズムに向き合えないのか?』(明石書店)

White Fragility(白人の心の脆さ)とは何か

 2020年5月、ミネソタ州ミネアポリスでジョージ・フロイドさんが白人警官により殺害された事件が引き金となって、米国ではブラック・ライブズ・マター(BLM、黒人の命は大切)運動に再び火がついた。黒人だけでなくアジア系、ヒスパニック、そして白人の若者らが加わり、BLM運動は、地域や人種、世代を超えた大規模な反人種差別運動へと発展した。この運動の興隆と同時期に、レイシズムへの処方箋を示す指南役として一躍、時の人となったのが著者のディアンジェロであった。全米で怒りの抗議活動が展開される中、本書は大ベストセラーとなり、著者はメディアで引っ張りだこになった。また、彼女のもとには、多くの企業から講演の依頼が殺到した。マイクロソフトやグーグル、アマゾン、ナイキ、アンダーアーマー、ゴールドマン・サックス、フェイスブック、CVS、アメリカン・エキスプレス、ネットフリックスなど名だたる大企業が、BLM運動への連帯を表明し、人種差別を糾弾する声明を発表した。

 ニューヨーク・タイムズの記事(2020年7月15日)からは、ディアンジェロの講演会の様子をうかがい知ることができる。ジョージ・フロイド事件の10日後、民主党指導部の呼びかけで184名の連邦議員を集め、講演会が開かれた。ナンシー・ペロシ下院議長の挨拶のあと、ディアンジェロは次のように聴衆に語りかける。「今、この講演を聴いている白人の(議員の)皆さんは、私があなたがたのことについて話しているのではないと思っていることでしょう。1960年代に(公民権運動の)デモ行進に参加していたから、多様性のある選挙区を地盤としているから、大学時代に黒人のルームメートがいたから、と。様々な理由をつけて自分を見つめ直すことから逃げているのではないですか?」。白人であることが米国社会においてどのような意味を持つのか、「白人の特権」について根本から考え直さない限り、レイシズムの問題は一向に解決しないと直言する。白人の議員にとっては、なかなかに居心地の悪い講演である。

 タイトルにあるWhite Fragility(白人の心の脆さ)とは、白人たちが人種問題に向き合えないその脆さを表現する言葉として、2011年に著者が作り出した造語である。日頃、自らの人種(白人性)について考えることが苦手な白人は、人種をめぐる小さなストレスを受けただけで耐えられなくなる。例えば、ベージュのクレヨンを「肌色」と呼ぶのは不適切ではないか、といった些細な指摘にも、白人は動揺する。そして、白人は様々な自己防衛的な行動――早口で抗弁する、沈黙する、話題から逃げる、泣くなど――をとり、人種ヒエラルキーの優位にたつ白人として心の平穏さを取り戻そうとする。その人種問題への向き合い難さを、この言葉は表している(第Ⅺ章「白人女性の涙」は典型)。

「回避的レイシズム」という共通性

 日本語版刊行の最大の理由は、本書が問いとして投げかけた白人のレイシズムへの向き合い難さと関係している。監訳者は日本人もまた、レイシズムに向き合えない「心の脆さ」を抱えていると考えており、その克服の指南書としての役割を本書が果たすことを期待している。邦題のサブタイトルを「私たちはなぜレイシズムと向き合えないのか」としたのは、日本の読者にも米国白人のケースに学び、自分の中のレイシズムに向き合ってもらいたかったからに他ならない。

 2020年5月のフロイドさんの事件以来、アメリカ史の研究者仲間が日本の各種メディアで米国の人種問題を解説する役割を担うことが多くなった。日本のメディアが米国のレイシズムの報道の仕方に不慣れであったことは明らかだった。NHKの番組「これでわかった! 世界のいま」の2020年6月7日放送「拡大する抗議デモ アメリカでいま何が」では、黒人の置かれた厳しい状況を説明するCGアニメが、駐日米国臨時代理大使に「侮辱的で無神経」と批判されるなどして、NHKは「差別を助長するもの」として動画掲載を取りやめ、番組責任者が謝罪に追い込まれる事態となった。

 私たち研究者が問題視したのは、黒人を「怖い存在」「脅威」「過度なセクシュアリティを体現する」男性という典型的なステレオタイプで描き、番組が警察暴力を容認しているような印象を与えたことであった。黒人の男性性を攻撃性や怒りがコントロールできない感情的な性格と結びつける背景説明をするのみで、制度的人種差別を語らないメディアの姿がそこにはあった。以来、アメリカ史研究者はメディア向けに、米国では刑事司法の場でいかに黒人が不公平に扱われてきたのか、BLM運動がなぜ制度的レイシズムの終結を求めているのか、機会があるごとに解説を加えるようにして今に至っている。

 私はこの制度的レイシズムを解説する際に、米国の状況を対岸の火事とせず、日本社会にも存在する制度的レイシズムを見直す機会とすべきだと発言してきた。すると、SNS上ではきまって「日本には人種差別はない」とのコメントが多く寄せられた。これこそが、日本人の人種問題への向き合えなさ、心の脆さの典型的な反応ではなかろうか。ディアンジェロであれば、「回避的レイシズム」と呼ぶだろう。

 近代日本は、西洋化を追求し日露戦争後に「一等国」の地位を獲得したものの、米国では同胞の移民たちが排斥運動のターゲットとなり有色人種としての人種経験を重ねた。戦後の日本はといえば、冷戦下で対米依存の度合いを強め、米国の大衆文化の影響を受けつつ、米国白人と同様、「白さ」を至高とする白人至上主義的な文化に馴化してしまったかのようだ。名誉白人的な人種意識を日本人が持っているからこそ、自分は人種問題とは無縁であり、差別的であることを指摘されると自己防衛的な行動をとるのではないだろうか。

 白人の読者向けに書かれた本書は、それゆえに、日本人の読者に対しても見えないレイシズムを可視化する役割を期待できるのではないか。日本社会にある民族差別/人種差別をないものとして振る舞い続けるのか、沈黙を破るのか。BLM運動で掲げられた「沈黙は暴力 Silence is Violence」(黙っているだけでは暴力に加担しているのと同じ)の意味を、いまこそ日本社会が真剣に考えるべきではないか。日本の読者にとって、本書がレイシズムに向き合うための最初の一歩を踏み出す書となることを願っている。

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