レーモン・クノー×アレクサンドル・コジェーヴ 「知恵の小説」3部作を読む
記事:白水社
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古典落語に「火焰太鼓」という噺があります。売れるかどうかなどてんで考えもせず、自分の趣味に走った仕入れをしてきては、おかみさんに手ひどく叱られる古道具屋のおやじにまつわる逸話です。古今亭志ん朝の口演では、売れそうもないガラクタを並べて平然としている道具屋のマクラから、「昔はよくこんな、品物が売れたって売れなくたって構わないというように、世の中ついでに生きているというような、ごくのんきな人がおりましたものですが」と小気味よく本題に入っていきます。この「世の中ついでに生きている」というのが、いいフレーズだなあと思って昔から気に入っていました。ついでで渡りきれるほど世の中甘くないのは百も承知だけれど、だからこそ、気分だけでもそうありたいものだと。
一方、我が若かりし頃の偏見で、文学などというものは、どうにかこうにか暮らせているのに、わざわざ「人生いかに生きるべきか」なんて問題を考えたりして、神経を病む人が描かれるものなんだろうと思っていましたから、落語ではないフランスの現代小説に、まさしく「世の中ついでに生きている」というほかないのんきな青年が描かれているのを発見したときには、驚くと同時にたまらなく嬉しくなりました。レーモン・クノー(1903─76)の小説『人生の日曜日』(1952)の主人公ヴァランタン・ブリュは、押しかけ姉さん女房の尻に敷かれたまま、手芸品店だの額縁屋だの、流行らない商売を任されているのですが、本気で商品を売るつもりにはとうてい見えません。きれいなボタンを顧客のご婦人にさんざん見せびらかした挙げ句、これらは自分のコレクション用だから売りたくない、などと言い放つ。商売替えして額縁屋を始めても、暇にあかして爪や耳の垢掃除に熱中し始めるわ、靴下を脱いで足のタコの治療を始めるわと、商売をほったらかしにするうちに、客を逃してしまう始末。この 御仁 、そもそも結婚当初から普通ではありません。商売のかき入れ時だから1人で新婚旅行に行って 頂戴 、などと新妻から無茶な提案をされてもなぜかあっさり受け入れてしまいます。単身ベルギーのブリュージュに旅立ったものの、乗り継ぎ駅のパリに荷物を預けたまま先に進んでしまい、旅先では12日間同じ下着を着続けるはめになる。ドジとか軽率といった言葉では片付けられないような、途方もないズレっぷりなのですが、この男、ヴァランタンからは、笑わせようとか何かに抗おうとかいう意図や力みは一切感じられず、まともでない行為が飄々と「ついで」のように繰り出される様がなんとも可笑しいのです。
実は、クノーが生み出した登場人物のなかで、「ついでに生きている」風情の人間はヴァランタンに限りません。『人生の日曜日』から遡ること10年、『わが友ピエロ』(1942)の主人公ピエロも失敗ばかりやらかすダメ人間なのですが、愛される人柄ゆえに他人の助力を得てどうにかこうにか日々を生きのびています。ひとから知的だと言われたことなど1度もなく、頓馬なことばかりする奴だのぼんやりした人間だのと言われつけてきたのに、それを苦にする様子もなく、きれいな景色やらおいしいお酒やらで簡単に幸福感に満たされてしまう。20代後半といういい年をしながら、カフェのピンボールがべらぼうに上手く、ピエロが遊び始めると機械のまわりに人だかりができるほど。街をぶらぶら歩きまわるのが大好きで、貼り紙の広告だの、工場の機械の動きだのをのんびり眺めて喜んでいる。ヴァランタンとは違って、仕事には一応きちんと取り組んでいるようなのですが、サーカスのために動物を運ぶアルバイトをしながら、積み荷の猿と猪を何食わぬ顔でトラックの助手席に乗せて旅する様子からは、どこまで真面目にやってるのかつかみがたく、いかにも「ついでに生きている」気分が醸しだされています。
同時期のもうひとつの小説『ルイユから遠くはなれて』(1944)にも、愛すべき「ついで」の男が描かれています。この小説の主人公ジャックは、ヴァランタンやピエロとは違って、訳なく幸福になる資質には恵まれていないようで、仕事も愛情生活も思うにまかせません。その代償なのでしょうか、ままならない人生から逃避を図るかのように、ジャックは何かというと妄想の世界に没入してしまうのです。もっとも、映画スターやスポーツ選手になる妄想なら現実逃避とも言えるでしょうが、ジャックの場合はアパートの管理人に同一化してその冴えない人生を追体験してみたり、白昼夢の中でさらに白昼夢を見ては、幽霊になったり泥棒になったりしていて、多少ともましな人生に逃避しているようにも思えません。にもかかわらず、ちょっとしたきっかけをとらえては妄想に没入する様子からは、ジャックにとって妄想こそが真の人生であって、憂き世の生活は「ついで」に送っているのだとすら感じさせられます。
深刻ぶったり難解ぶったりするのが大好きなフランス現代小説において、落語まがいの主人公が登場することだけでもただごとではありませんが、これらの小説が書かれた時代背景を考慮するならなおさらその特異性が際立ちます。1942年から1952年まで、つまり、大戦中の対独レジスタンスや戦後の実存主義の流行と同時代にもかかわらず、『わが友ピエロ』、『ルイユから遠くはなれて』、『人生の日曜日』の3冊は、いかにものんきな主人公たちの他愛ない日常を描いていて、この時代には誰しも向き合わずにはいられなかったであろう深刻な問題、人間の実存や自由といった問題はいささかも考慮されているようには見えません。国の行く末から個人の生き方に至るまで、人びとが文学に考えるよすがを求めたであろう時代に、学問どころか思考にすら縁遠いような人物が立て続けに描かれたこと、そのこと自体が大きな謎と言えるでしょう。フランスの知的風土にそぐわない反時代的な作家、レーモン・クノーとはいったい何者なのでしょうか。
クノーの自伝的〈韻文小説〉『樫と犬』(1937)はこんなふうに始まっています。
ぼくは1903年2月21日に
ル・アーヴルで生まれた。
母は小間物屋、父も小間物屋。
2人とも小躍りして喜んだ。
ここには両親に望まれた生誕が屈託なく描かれていて、出生を不幸と見なす発想やら両親との葛藤の起源やら、ネガティヴな要素はみじんも見られません。もちろん、クノーとて成長してゆく過程では、親との軋轢も抱えただろうし、生まれたことを手放しで喜ぶ気持ちになれないこともあったでしょう。しかし、ともかくクノーが自らをこんなふうにあっけらかんとした屈託のない存在として押し出していることは間違いなさそうです。そしてまた、地方出身かつ庶民階級の出という属性も、クノーの文学世界を考えるうえで重要な要素となっています。パリ大学で哲学と数学を学んだ後、1925年頃からシュルレアリスム運動に参加しますが、29年には運動のリーダー、アンドレ・ブルトンと決裂し脱退。指針を見失いしばらく迷走するものの、1933年には処女小説『はまむぎ』を発表します。この小説は、話し言葉や俗語の多用、発音通りの綴り字、緻密な算術的構成など、後にクノーのトレードマークと見なされるようになる形式的特徴をすでに備えているのですが、それだけに留まらず、ものの「見かけと真実」をめぐる考察、世界に隠された秘密など、哲学的な思考のきっかけも含んでおり、何度読み返しても興味が尽きず、すべてが分かったとは思えないような豊かな小説です。
その後、先に紹介した3冊を含む小説や詩集をコンスタントに発表し、ユーモアとペーソスをもって庶民の生を描いた小説家として、また、俗語から科学用語までを駆使する言葉の軽業師として、クノーは知る人ぞ知る存在となっていきますが、大衆的な知名度を獲得するまでには、少女の繰り出す過激な俗語や卑語で話題となった『地下鉄のザジ』(1959)の成功を待たねばなりませんでした。主人公のザジは田舎からパリのおじさんのもとに1日を過ごしにやって来た少女。彼女が楽しみにしていたのは地下鉄に乗ることでした。ところが、あいにく地下鉄はストの真っ最中で、ザジは風変わりな大人たちとともに地上のパリの冒険へと乗り出してゆきます。蚤の市を探索し、商店街を駆け回り、エッフェル塔に上ったあと、夜はホモ・キャバレーでショーを鑑賞する。明け方近くには、レストランで発生した大乱闘に加わるといったぐあいで、ドタバタが休みなしに展開してゆきます。
【映画『地下鉄のザジ』(ルイ・マル監督)予告編:Zazie dans le métro (1960) - Bande annonce 2021 HD】
ところで、愚直に訳せば「地下鉄の中のザジ」となる題名にもかかわらず、結局ザジは地下鉄に乗ることはできません(小説の末尾で乗った時には眠っている)。少女によってあれほど熱烈に望まれながら1度も姿を現さない「地下鉄」。これはひょっとすると何かのメタファーなのではないかと考えてみることもできそうです。地下と対比されるべき地上の世界では、登場人物たちがパリの建築を指しては、「パンテオンだ、いやアンヴァリッドだ」と、それぞれ違うことを言い合っている場面がしばしば出てきます。ところが、それらが実際には何だったのかということは小説内で決して明示されません。その意味で、『地下鉄のザジ』の地上世界は、徹頭徹尾、攪乱された不確実な世界なのであり、「真実」は明かされないまま、読者の期待や欲求は宙づりにされたままになるのです。「地下鉄に乗る」というザジの欲望が決して満たされないように、読者の期待も裏切られ続け、建物や人物のアイデンティティに関する謎は最後まで解決されないまま、「真実」が得られないまま小説は終わってしまいます。「深遠なる真実」とか「隠された真実」などと言われるように「真実」がしばしば「深さ」と結びつくことを考えると、地下鉄によって体現されていた「禁じられた深み」は、「真理の不在」というかたちで、小説空間全体に行き渡っているとみることもできるでしょう。このように、クノーにおいてはドタバタ劇も「真実」をめぐる世界観の表出となっているようなのです。
年代が前後してしまいますが、『地下鉄のザジ』と並んで、クノーのもっとも知られた作品である『文体練習』(1947)についても触れておきましょう。この本はひとつの主題を99通りの文体で書き分けた断章によって構成されています。99の断章はどれもみな同じ内容、同じ出来事を扱っています。出来事といってもたいしたことはなく、バスのなかで起こったつまらない喧嘩の顚末と、その張本人を語り手が後でたまたま目撃した、という報告に過ぎないのですが、このありふれた逸話をめぐって、ありとあらゆる文体上のヴァリエーションが生み出されていくのです。一見、他愛ないお遊びのようですが、こうした試みによって、語られる内容とそれを語る言葉は一致しているとの素朴な思い込みが揺さぶられ、言葉自体に潜んでいるいかがわしさが浮き彫りになる、そう言えなくもありません。唯一の現実すなわち「真実」が確固として存在しており、ただその認識のされ方によって報告文のスタイルが変わるというわけではなく、文体、書き方、言葉の選択によって、報告される出来事そのものが変わってしまう。そういう言語のあり方を私たちに気づかせてくれるとともに、やはりこの作品からも、誰にとっても同じただ1つの「真実」など存在しないという世界観が透けて見えるのではないでしょうか。
一般にはユーモア作家のイメージが強いクノーですが、このように、その作品には常に表面的なストーリーとは別の次元が用意されているようなのです。こうした一筋縄でいかない作品を書き続けた作家は、また、鋭い批評眼と博覧強記で鳴らし、百科事典の編集責任者を務める教養人でもありました。数学から博物学まで、古典文学から大衆文化に至るまで、クノーの知識と関心は知のあらゆる領域に及んでいます。しかも、クノーが興味を抱いていたのは、いわゆる正統的な知だけではありませんでした。権威あるガリマール社の事業『プレイヤード百科事典』の監修責任者を務めつつ、オーソドックスな知の対蹠点に位置するような逸脱学説にも関心を寄せ、若き日には『不正確科学百科事典』なるトンデモ言説集成を企画したことさえあったのです。フランス数学会の会員として数列に関する専門論文を発表する一方で、コレージュ・ド・パタフィジックなるおふざけ学会の重鎮として「想像力による解決の科学」を支持したりもしている。こうした活動と、『地下鉄のザジ』や『文体練習』が喚起する真実の揺らぎを考えあわせると、知に対するクノーの態度にはどこか他の知識人とは異なるところがあって、この作家は真実そのものに必ずしも価値を置いていなかったのではないか、とすら思われてくるのです。
第二次世界大戦前後という危機の時代に、歩く百科事典のような学知を蓄えた作家が、知や思考からいかにも縁遠く見える人物たちを主人公とする小説を書き続けていたこと、先に私はこのことを「大きな謎」だと言いました。こうした視点からクノーの小説を考える時、意表を突く見方を提示してくれるのが、哲学者アレクサンドル・コジェーヴによる評論「知恵の小説」(1952)です。コジェーヴは1930年代のフランス知識人たちに、ヘーゲル哲学を彼独自の解釈とともに紹介したことで知られています。バタイユ、ラカン、ブルトン、メルロ=ポンティといった錚々たる面々に連なりクノーもその講義に出席し、1947年には自らの編集で講義ノートを出版しています。クノーによる片思いのような情熱に応えたというわけでしょうか、その5年後、コジェーヴはかつての受講生が最新作『人生の日曜日』を出版したタイミングで、以前の2作『わが友ピエロ』、『ルイユから遠くはなれて』とあわせた3つの小説を哲学的に解釈する評論を発表したのでした。その中でコジェーヴは、「自分のことを十分に知りつつ完全に満ち足りている状態」というヘーゲル的な「知恵」の定義に基づいて、クノーの上記三小説の登場人物こそそうした知恵を備えた「賢者」に他ならないと喝破したのです。「ひとから知的だと言われたことなど1度もなかった」というピエロを始めとして、「世の中ついでに生きている」風情の登場人物たちに知恵を見出したのは、コジェーヴの慧眼と言うべきでしょう。ただ、問題の評論はほんの10ページほどに過ぎないため、直感の大枠が示されているのみで、小説の具体的な読解が提示されているわけではありません。「ついでに生きている」面々の振る舞いには、悟りきった賢者として納得するだけでは済まない含蓄が感じられるのに、このままではあまりにもったいない。
そこで本書[『レーモン・クノー 〈与太郎〉的叡智』]では、コジェーヴによって提示された直感から出発しつつ、人生における役割からも金銭からも勝ち負けからも超脱した「ついでの男たち」の生き方を、閉塞感漂う世の中で病みつつある我々の解毒剤として活用すべく……いや、止めておきましょう。今どきはこんなことでも言っておかないと、「フランス文学」などに関わる本は売れないらしいのですが、私もヴァランタンに倣って、自分が売りたいものだけを売りたい。私の願いは、クノーによる「知恵の小説」3部作を紹介しつつ、「ついでの男たち」のズレた行動をまずは笑って愉しみ、あわよくば、そのさらなる含蓄や豊かさを読者の皆さんとともに味わうことです。幸い、2013年には水声社の「レーモン・クノー・コレクション」が完結し、クノーの主要小説は日本語で読めるようになりました。本書で取り上げる3つの小説も、その見事な翻訳がこのコレクションに収録されています。さらに、評論集『棒・数字・文字』(邦訳2012年)やミシェル・レキュルールによる『レーモン・クノー伝』(邦訳2019年)の翻訳も刊行され、ユーモアや言語遊戯にとどまらない、作家の多面性に接する環境が整ってきました。クノーの世界は「お笑いだけじゃない、芸術もあるんだ」(『地下鉄のザジ』)というわけで、笑いの裏には、哀しみと、冗談に包まれた知恵が確かに見出されるのです。本書を通じて多くの方がクノーの小説と出会い、一面的イメージには収まらない、新たな魅力を発見していただけたらと願っています。そしてついでに、病んだ現代社会を生き抜くヒントを見出していただけたなら、著者には望外の喜びと言うほかありません。
【『レーモン・クノー 〈与太郎〉的叡智』所収「はじめに──クノー事始め」全文紹介】