友だちの哲学 苫野一徳 ― 菅野仁『友だち幻想』書評
記事:筑摩書房
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この本は、人間関係を生きやすくするための、ちょっとしたヒント集……なんてものではまったくありません。中学生でも読めるくらいやさしい言葉で書かれながらも、19〜20世紀ドイツの社会学者ジンメルや、その同時代の哲学者フッサールの現象学をはじめとする、菅野さんの深い学問的教養と人間洞察力がすべてのページに染み渡る、すぐれた“哲学書”とさえ呼ぶべきものです。
友だち、それは時に大きな「脅威」になる存在です。一見仲良しグループに見える友だち同士も、その内実は、いつか自分が仲間外れにされるんじゃないかとビクビクし合っている関係だったりすることがある。友情という名のもとに、「私たちは同じだよね」と、過剰な同質性を迫ってくる存在でもある。
その一方で、友だちは「生の味わいの源泉」にもなりうる存在です。自分を認めてくれたり、支えてくれたり、何かに共に熱中できたりする、そんな「生の味わいの源泉」としての友だち。
特に若い人たちは、この友だち関係の“二重性”に、いつも多かれ少なかれ振り回されながら生きています。
じゃあ、私たちはどうすれば、「脅威」としての友だち関係ではなく、「生の味わいの源泉」としての友だち関係を築いていくことができるのだろう?
これが、本書のすぐれた問いです。
この問いに対する菅野さんの“答え”もまた、やっぱりとてもすぐれたものです。
「同質性」から「並存性」へ。
気の合わない人と無理に友だちでいようとすると、やっぱり息がつまります。でも、学校やクラスなんかでは、「みんなで仲良く」とか言われてしまう。その結果、子どもたちはむしろますます追いつめられてしまう。
「みんなで仲良く」というのは、同じ価値観や感受性、感情を共有する関係、つまり「フィーリング共有関係」を迫る言葉だと菅野さんは言います。でも私たちは、いつでも本当に「フィーリング」を共有する必要なんてあるんでしょうか? それって結局、私たちをますます息苦しくする関係なんじゃないでしょうか?
菅野さんが提案するのは、「ルール関係」を底に敷いた友だちづきあいです。それはつまり、「同じであること」を求め合うのではなく、どんなに合わない人も、とりあえず存在だけは認めた上で、お互いに上手に調整し合う関係です。
「フィーリング」を共有できる友だちは、いたらいたでもちろんとてもいいものです。でも、誰もがそんな友だちになれるわけじゃない。そんな時は、無理にフィーリングを合わせようとするのではなく、最低限のルールを共有することで、お互いの心地よさを尊重し合う必要がある。そう菅野さんは言うのです。
「あの子ちょっと苦手なんだよね」と言う子どもに、親や先生は、「そんなこと言わずに仲良くしなさい」なんて言ってしまいがちです。でも、むしろ大人には、「どうしても気が合わないんだったら、ちょっと距離を取ってみたら?」と言えるセンスが必要だと菅野さんは言います。お互いを過度に苦しめる関係なら、ちょっと離れてみる。これもまた、「ルール関係」としての友だちづきあいの一つの大事なあり方なのです。
この本が“哲学書”としてすぐれているのは、上に見たような、「並存性」や「生の味わいの源泉」といったさまざまな「言葉」を、私たちにふんだんに提供してくれるところです。菅野さん自身、こんなことを言っています。
言葉というのは、自分が関わっていく世界に対していわば網をかけて、その世界から自分たちなりの「意味」をすくいとることによって、自分たちの情緒や論理を築き上げていく知的ツールなのです。(p. 143)
この本で語られる、「同質性から並存性へ」といった多くの言葉を手に入れることで、読者はきっと、より豊かな友だち関係を模索していくことができるはずです。
私事ですが、菅野さんと私は、哲学の研究会で何年もご一緒してきた“友だち”でした(大先輩ですが、あえてそう言いたいと思います)。
密かに感じていたのは、菅野さんはとても繊細な方だということ。若い頃は、やさしくて、細やかな気遣いができるからこそ、かえって人間関係にも苦しんだことがあったんじゃないかなぁ。そんなふうに思っていました。
そんな菅野さんのやさしさに、私自身何度も救われたことがありました。仕事の関係で、お互いにずいぶん住む場所が離れてしまってからも、私のちょっとした変化に敏感に気がついて、「一徳君、もしかして、今ちょっと精神的にきつい状況なんじゃない? ちゃんと休んでね」なんて声をかけてきてくれる方でした。
ガンとの戦いは、とてもつらいものだったと思います。でも、そんな闘病中も、周囲にそれを気づかせないくらい、菅野さんはいつも飄々と笑っていた——。
菅野さんが亡くなってから、ご家族と、親しい学問仲間たちでお別れ会を開きました。
集った仲間たちは、みんな間違いなく、菅野さんにとっての「生の味わいの源泉」としての友だちでした。
菅野さん、こんな素晴らしい本を残してくれて、本当にありがとうございました。この本は、これからもずっと、多くの若者の心に届き続けるに違いありません。