「2人の魔術師」による電気×自動車の都市計画 アメリカの「巨大廃墟」をゆく[後篇]
記事:白水社
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これは偉大なるエレクトリック・シティの興亡の物語だ。この都市構想は「狂騒の1920年代」きってのマスコミの話題の的となり、議会では10年間にわたって激論が交わされ、138本もの法案を生み、クロンダイクのゴールドラッシュ〔19世紀末にカナダ北西部のこの町で金鉱が発見されて人や資金が殺到した〕以来というほどの投資熱を誘発し、世界の都市計画のあり方を変え、そしてもう一歩でヘンリー・フォードがアメリカ大統領に選出されていたかもしれない、そんなムーブメントまで巻き起こした。
一方でこれは、熱のこもった長年の努力が水泡に帰した一大構想の物語でもある。フォードの構想に反対し、その実現を阻んだのはジョージ・ノリスという上院議員。今ではほとんど忘れ去られているが、アメリカ現代史上の重要人物で、これは彼の物語でもあるのだ。
そして最後に、この物語はアメリカのユートピアを築こうとしたフォードのアイディアの残骸から、何がもたらされたのかを語る。今日、アラバマ州フローレンスとその周辺地域は緑豊かに繁栄し、全米における経済的地位も大幅に向上し、住民の暮らしぶりは大きく様変わりした。なぜそんなことができたのか、本書[『エレクトリック・シティ フォードとエジソンが夢見たユートピア』]の最後にその歩みを描きたいと思う。
この物語は詰まるところ、アメリカならではの楽観主義と変革の精神を浮き彫りにする──新しいことに挑戦し、新たなシステムを生み出し、新しいビジネスのやり方を試し、そして新たな暮らし方を身につけていく、そんなアメリカ特有の熱意だ。本書には、一般にはほとんど知られていないが個性豊かな人物たちも登場する。夢想家に、詐欺師まがいの商売人、政治家、それにビジネス界の巨人たちが、アメリカ南部のちょっとした王国ほどの地域の未来を手中にすべく、鍔迫合いを演じたのだ。テネシー川の支配権をめぐる彼らの闘争は、私たちが抱える多くの諸問題の先駆けでもあった。つまり自らの野心の実現と他人への利他心、産業開発と環境保全、最先端のライフスタイルと古き良き暮らし、それらのバランスをいかに見出すべきかという問題である。
本書が扱うのは、ほとんどが1920年代の出来事だ。第一次世界大戦で連合国の勝利に貢献したおかげで、アメリカが世界で新たな役割を演じ始めた、歴史の転換期だ。それまでのアメリカは、基本的には田園地帯の農業を中心とする国家で、独立心旺盛で自由な思想を持った農民たちによる、あの愛すべき、神話的とさえ言うべきアメリカン・デモクラシーの時代が、つまり建国の父の1人トーマス・ジェファーソン〔1743─1826年。独立宣言起草者で、のち第3代大統領。農業主体の民主主義的共和国を理想とした〕のアメリカがまだ生きていた。それがこの時期に、より都会的で、産業化され、工場労働者や大量移民、企業連合がひしめき、莫大なマネーが動く世界的大国へと変貌していったのである。
フォードとエジソンは、彼らが理想とするアメリカのあるべき姿をアメリカの人びとに提供したいと願っていた。それをとてつもない規模の生きた実例で示すのだ。2人は古きアメリカの最良の部分を取り戻し、未来の技術がもたらす利点でそれに新たな活力を与えようと考えた。つまり独立心と個人主義で自由に生きた建国当初の農民たちの、自然とともにある牧歌的な暮らしぶりを、よりクリーンな産業、より高速な輸送網、そして労力を節約できるさまざまな装置などを活用して復興するのだ。その結果、新しい形の都市、新しい物づくりの方法、労働と余暇の新たなあり方が生まれ、あらゆる人びとの生活が向上するというのだった。
2人の提案はウォール街でも議会でも嵐のような反響を巻き起こした。そして、その論争の余波は現在までも続いているのだ。当時と変わらず、今日でも、アメリカの政治的論争は一見とてもシンプルな問いかけに収斂すると言えるだろう──私たちの政治的判断は、経済を活性化させるために民間企業が主導すべきか、あるいは公益のために政府当局者が主導権を握るべきか? そして常に繰り返されるシンプルな答えは──「その両方」だ。おかげで何をどう優先すべきかをめぐって延々と賛否が議論されることになる。企業の利害と広い意味での「人民」のどちらを尊重すべきかという、おなじみの議論だ。これはあらゆる社会的な問題をめぐり、そして選挙のたびに、論議の的となる。ただし、この両者の間に緊張関係があるのはよいことでもある。誰の意見が最も賢明で、国民にとって何がベストなのか。その論争はアメリカ人の大胆で荒っぽい歴史を前に推し進め、エネルギーを与えてくれる。多くの意味で、政治的議論が刻むリズムこそが、アメリカという国の鼓動そのものだとも言えるだろう。そしてアラバマ州に金ぴかの新都市を築こうというフォードとエジソンの構想によって、こうしたことのすべてがかつてない形で浮き彫りにされたのである。
マッスル・ショールズの近くにでも住んでいない限り、本書が語るストーリーにはおそらくなじみがないだろう。私自身、数年前にある肥料の調査団体の招きで講演をしに行くまで、まったく知らなかった(私は以前、肥料がいかに世界の歴史を変えたかについて本を書いたことがあり、おかげで講演を依頼されたのだ)。訪れるまで、どんなところか想像もつかなかった。アメリカ西海岸のオレゴン州で育った私にとって、アメリカ南部にはぼんやりしたイメージしか持っていなかった。それは南北戦争の歴史について本で読んだことや、人種差別主義者のアラバマ州知事ジョージ・ウォレス〔1960─70年代に州知事を3期務めた〕とキング牧師らの公民権運動との対立について聞いたことなどにほぼ基づいていた。テネシー川流域自体についての知識は、ジェイムズ・エイジー〔1909─55年。作家、詩人、映画批評家〕の『名高き人々をいま讃えん(Let Us Now Praise Famous Men)』を読んで知ったことに限られていた。これは大恐慌時代の小作人らの掘っ立て小屋と貧困と飢えをドラマチックに描いたノンフィクション作品だ。
行ってみると、嬉しい驚きの連続だった。まず、大きなしゃれた新築のホテルに部屋を取ってもらったのは、アラバマ州フローレンスという初めて名を聞く町。テネシー川を見下ろす断崖に位置する、歴史のあるかわいらしい町だ。起伏に富んだ緑豊かな地域で、近代的なハイウェイが走り、技術系企業や小規模工場があり、かつての綿花農園の跡地に住宅街が開発されている。公園の隣には、きちんと予算をつけて維持していることがわかる本当にすばらしい公共図書館がある。その公園には南北戦争の英雄を称える像があるかと思いきや、地元出身の黒人ミュージシャンで、ブルースの父と言われるW・C・ハンディ〔1873─1958年〕の銅像があった。そして地元の人たちは誰もが親切で、愛想がよく、おしゃべり好きだった。
その地域で私が知っていた唯一の地名はマッスル・ショールズだ。おそらくアメリカの音楽史、とくにソウル、カントリー、そしてロックに関心がある人ならばおなじみだろう。1960─70年代、アレサ・フランクリン、ウィリー・ネルソン、ボブ・ディラン、それにローリングストーンズらがマッスル・ショールズの録音スタジオにやってきて、ここで次々とヒット曲を生んだ。地元では、テネシー川が不思議なメロディアスな魔法をかけるから、すばらしい音楽ができるのだと言う人もいる。ネイティブ・アメリカンらはかつてこの川を「歌う川」と呼んだ。私はスタジオの壁に展示してあるゴールド・ディスクのレコードや、町の食堂でバーベキューを楽しむキース・リチャーズの写真を眺め、何カ所かで史跡を示す飾り板の文言を読み、町外れの一方では大きなダムを見学し、反対の端では美しい鋼鉄製の古い鉄橋を見た。そしてすっかりこの地域を気に入っている自分に驚いた。
肥料に関する講演を終えた後、帰りの飛行機に乗るまで少し空き時間があった。すると空港まで車で送ってくれる男性が、ハイウェイを外れて数キロばかり寄り道をして、おもしろいものを見せてやると言う。連れて行ってくれたのは、古びた肥料工場の廃墟だった。一部は朽ち果て、一部はほかの用途に転用されていたが、元のまま残っていた部分は実に印象深かった。荒凉とした姿で空を背景に屹立し、周囲のすべてを圧する桁違いのスケールだ。かつてはとてつもなく巨大な設備だったことがひと目でわかる。それが今や、まさに兵どもが夢の跡だ。続いてもう少し遠くへ案内された。車は老朽化した道路を進み、荒れ放題の黄ばんだ草っ原のような一帯に入った。そしてその間を走っていて初めて草の間に何かが埋もれているのに気づいた。交差する道路のひび割れた路面や、雑草が生い茂る歩道、それにアンティークものとでも呼べそうな消火栓もいくつかあった。これはかつて計画的に区画され、建設が始まったが未完に終わった1920年代の町の残骸で、今やゆっくりと自然に返りつつあった。この町は「フォード・シティ」と名づけられるはずだったと、男性は言った。歩道からウズラを撃つのにうってつけだから、地元ではよく知られた場所だそうだ。
西海岸に戻った私の頭に疑問が浮かんだ。巨大な廃墟と化した、失われた都市だって? 図らずもアラバマの野原の真ん中で、古代文明の遺跡にでも遭遇したような気分だった。私はさっそく情報を求めて資料にあたり始めた。1つの発見が次の発見につながり、あらゆる事実や逸話が結びつき、やがて私が初めに想像していたよりも大きなものが形を成してきた。すっかり虜とりこになった私は、ふたたびアラバマ行きの飛行機に飛び乗り、1週間かけて古い記録に目を通し、地元の歴史家たちと話をした。続いてミシガン州のフォード資料館で1週間かけて何千点もの資料を調査。さらに首都ワシントンの国立公文書館でも1週間かけて議会やホワイトハウス関係の文書を精査した。それから何カ月もの間、新聞や雑誌記事の古い切り抜きや、いくつもの伝記、歴史書、技術的な文書、手紙、1世紀も前のパンフレットや広告などに手当たり次第に目を通した。
こうしてでき上がったのが、ここにお届けする本書である。
【トーマス・ヘイガー『エレクトリック・シティ フォードとエジソンが夢見たユートピア』所収「プロローグ」より】