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収集家としての私Aと、表現者としての私Bが生み出した「稀書探訪」

記事:平凡社

『稀書探訪』P58-59より。ANA連載時と同様、鹿島直氏撮影による古書コレクションの写真がすべてカラーで総覧できるのも本書の魅力。(画像提供/東京印書館)
『稀書探訪』P58-59より。ANA連載時と同様、鹿島直氏撮影による古書コレクションの写真がすべてカラーで総覧できるのも本書の魅力。(画像提供/東京印書館)

鹿島茂『稀書探訪』(平凡社、2022/5/25刊、B5判、332ページ)
鹿島茂『稀書探訪』(平凡社、2022/5/25刊、B5判、332ページ)

 フランスの古書に憑かれてから、早いもので、もう40年もたってしまった。

 この間、『子供より古書が大事と思いたい』(青土社)や『それでも古書を買いました』(白水社)に書いたように自己破産寸前までいき、消費者金融ビルのすべての業者から限度額一杯まで借りていたこともある。

 なぜそこまでして古書収集を続けたのかといえば、収集という名のデーモンに心身を乗っ取られていたからと答えるほかはない。つまりいつのまにか私の中に入りこんだ収集デーモンが私の意思とは関係なく働いて、昔風の言葉でいえば私を使嗾しそうし、さまざまなジャンルのフランス古書を収集せしめたということである。

 今にして思うと、私は私A(収集家)と私B(表現者)に完全に分裂しており、収集デーモンに乗っ取られた私Aはそのすべての時間を使ってコレクションを完成させようとつとめていたのに対し、デーモンに乗っ取られていない方の私Bはといえば、私Aがコレクションに費やす金を稼ぐためにありとあらゆる媒体に書いて書いて書きまくっていたと思える。

 この分裂状態がじつに長いあいだ続いたのである。もちろん、私Aと私Bは完全に没交渉というわけではなく、ときに情報交換し、ときに相談することもあったが、基本的には相互不干渉のルールに基づいて思索し、行動していたのである。

 ところが、今日、この私Aと私Bが、考え、選択し、修正し、再修正するといった試行錯誤の末に辿りついたその二つの結果を並べて眺めてみると、なんとしたことか、それらは、さながら合わせ鏡のように、同一の布置を呈しているのである。

 つまり、私Aが収集という言語で表現したものと、私Bが言葉という言語で表現したものとは、多少とも異なった軌跡を描きながらも、最終的には同じ布置へとたどりついていたということなのだ。

 話が抽象的になり過ぎた。具体的に語ろう。

 最初に動き始めたのは私A(収集家)の方である。1982年だったと記憶している。

 いっぽう、私B(表現者)の方はかなり出遅れた。というのも、私Bは翻訳ばかりしていて、自己表現ということを1986年までほとんどしなかったからだ。私Bが最初の著作である『「レ・ミゼラブル」百六景』(文藝春秋)を出すのは1987年になってからだ。

 では、私Aはどのような動きを始めたのか?

『稀書探訪』P291「ユーグ版『レ・ミゼラブル』と『「レ・ミゼラブル」百六景』」より。
『稀書探訪』P291「ユーグ版『レ・ミゼラブル』と『「レ・ミゼラブル」百六景』」より。

 1979年に最初に訪れたパリに魅入られて、十九世紀パリについてのありとあらゆる資料を集めようと行動を開始していたのであるが、収集を続けるうちに、自分の中にある一つの法則性が表れてくることに気づいた。

 それは類似性と差異性という二つの原理に基づいた収集のオートマティズムである。

 私が収集を決意した十九世紀パリに関する資料についていえば、地誌や建造物の来歴、その図像など、ようするにパリのハードウェアに関するカテゴリーと、カフェ、レストラン、ファッションなどにまつわる都市風俗などのパリのソフトウェアについてのカテゴリーとは、それぞれの類似性に基づいてオートマティックにカテゴリー分化していたのである。ところが、ここで類似性と差異性の戯れが生まれる。

 たとえば、都市風俗もののカテゴリーの中には、最初、グランヴィルが挿絵を描いたルイ・レイボーの『ジェローム・パチュロ社会的地位を求めて』が入っていた。これは、プチ・ブル出身の青年が文学や思想に目覚め、稼業のメリヤス屋になることを嫌ってロマン派文学者やサン・シモン主義者に憧れて党派に参加するが、結局、なに一つうまくいかず、最後はメリヤス屋に戻るという変種のビルドゥングス・ロマンである。問題はグランヴィルの描く挿絵である。私は当初、挿絵には多くの都市風俗情報が含まれているのでこのカテゴリーに含まれる一冊として集めたのだが、そのうちグランヴィルの他の挿絵本にも目が行くようになり、それも集め始めると、どうもグランヴィルだけで別カテゴリーを立てたほうがいいように思えてきたのである。

『稀書探訪』P106「『ジェローム・パチュロ』で始まったグランヴィル挿絵本の収集」より。
『稀書探訪』P106「『ジェローム・パチュロ』で始まったグランヴィル挿絵本の収集」より。

 かくて、グランヴィルという類似性に基づくカテゴリー形成が行われ、パリ風俗ものからのスピンアウトが行われたのである。

 と、このように収集という行為には、その本質からして、類似性と差異性という二つの原理に基づいたオートマティックな動因が働いており、その相互作用によって、カテゴリーが新たに生まれ、育ち、また分裂が行われていくものと思われる。では、類似性によるカテゴリー成立と差異性によるカテゴリー分化は無限に行われて、コレクションは限りなく増殖してゆくのかという、決してそうではない。増殖のベクトルを抑制する収斂のベクトルというものも存在しているのだ。

 では、収斂のベクトルの動因とはなんだろう?

 ずばり、コレクションの資金の問題である。

 個人であれば、いや法人であっても、コレクションの資金は無限ではなく有限だ。この有限性がコレクションの無限増殖を抑制し、収斂へと向かわせるのである。

 私の場合も例外ではなく、私Aが無限に収集を続けようとしているのに対し、私Bが執筆によって稼ぎ出す金額は有限だから、支出に収入が追いつかなくなってしまった。かくて、破産寸前のところで、コレクションの無限増殖にはストップがかけられ、コレクションのベクトルは収斂に向かった。

 2000年前後のことだった。それからしばらくは平穏な日々が続いた。おかげで借金はだいぶ減り、自己破産はなんとか免れた。

 ところが、2007年の正月明けだっただろうか、全日空の機内誌『翼の王国』の編集を担当されているOさんが私の事務所に見えられ、『翼の王国』で古書エッセイを連載してみないかと打診された。私としては古書収集にまつわるエピソードは『子供より古書が大事と思いたい!』と『それでも古書を買いました』ですでに書き、また所有している古書の内容紹介については『愛書狂』(角川春樹事務所)という本で行っているので、あまり書くことはなかったのだが、Oさんがまだ紹介されていない本についてなら書けるのではないか、そして、もし可能なら、その古書の収集にまつわるエピソードも盛り込んで一回とするのはどうかと提案されたので、それならなんとか出来そうだと連載を承諾したのである。

記念すべき連載第1回。『稀書探訪』P90「パリ、ボン・マルシェ・デパートのアジャンダ」より
記念すべき連載第1回。『稀書探訪』P90「パリ、ボン・マルシェ・デパートのアジャンダ」より

 そのときの予定では連載は2年くらいということだったので気軽に始めたのだが、結局のところ、連載は好評で12年も続き、連載回数は144回に及んだのである。

 で、その結果はどうなったかというと、私A(収集家)がふたたび活動を開始してしまったのである。これは私B(表現者)が予想だにしていないことだった。私Bの方は、連載を引き受けたとき、すでに所有して手元にある本をネタにしてエッセイを書いていけばいいので、かつての投資を回収できるという心づもりでいたのだが、私Aの方はそうは考えなかった。というのも連載が進むにつれ、類似性の原理で形成されたカテゴリーが完璧なものではないということが明らかになり、欠けているアイテムを補わなければならないという思いが次第に強くなったからである。また、コレクションを一つ一つ点検してみると、類似性よりも差異性の要素が強くなり、これは新しいカテゴリーを開いたほうがいいのではないかと感じることも多くなった。ひとことでいうと、連載を続けるうちに、例の収集のオートマティズムが機能し始めてしまったのだ。

 だから、連載が続けば続くほど支出は多くなり、その分、私Bは収入を増やすために連載を多く抱え、単行本をたくさん出さなければならなくなったのだ。

 では、私Bはこの連載によって、ひたすら苦しみ、忍従のつらさのみを味わっていたのかといえば、そうではなかったのである。

 連載を多く抱え、単行本をたくさん出すうちに、私Bのうちにも私Aと同じようなオートマティズムが働き出し、「書いたもの」の内部で類似性と差異性を軸にしたカテゴリー分化が進んでいったからである。

 つまり、多く集めることと同様、多く書くことにおいても、同じ構造の布置が出来上がっていったのだ。

 こうしたオートマティズムと布置の関係を私は次のように表現している。

 「アルものを集めて、ナイものをつくり出す」

 私Aが集めたものはすべてアルものである。だが、その収集の結果出来上がったコレクションは、これまでにナイものだった。似たような収集を行ったコレクターは私以前にもいただろうが、私Aの集めたアルものの集合体は私以前にはナイものだった。少なくとも、私にはそう見えたのである。

 同じことが私Bの書いたものについてもいえる。

 私Bは無から有をつくり出したわけではなく、私以前にだれかが書いたもの(アルもの)を自分の基準において選択して自分の中に取り込み、これに自分なりのアレンジを加えて分離し、再融合させ、そのあとで再表出したものである。私のオリジナリティーといえるのは、選択、アレンジ(分離・再融合)、再表出の部分だけである。だが、その過程で類似性と差異性に基づくオートマティズムが働くため、再表出という最終段階では、「ナイもの」が出現してきているのである。このメカニズムについてパスカルはこんなことを言っている。

「あいつは新しいことは何一つ言っていない、などと非難しないでほしいと思う。というのも、わたしの場合、新しいのは内容の配置の仕方だからだ。(中略)わたしとしては、あいつは昔から使われている言葉を使っていると言ってくれるほうがうれしいと思う。同じ言葉でも異なった並べ方をすると別種の思想が生まれるのと同様に、同じ思想であっても、それが異なった並べ方をされると、別の論旨がかたちづくられるものだからだ」(『パスカルパンセ抄』拙訳 飛鳥新社)

 さて、ことほどさように、収集家としての私Aと表現者としての私Bは、分裂し、あきらかに利害の反するような行動をしながらも、最終的には、多く集め、多く書くというその行為において類似性と差異性というオートマティズムが働いたため、最終的には、「アルものを集めて、ナイものをつくり出す」という同じ構造、同じ布置に落ち着いたのである。だが、こう書くと、それならその証拠を見せろという声が聞こえてくるだろう。

 当然のことである。しかし、現実として、私Aが集めた本を「すべて」展示することはできない。同じように、私が書いたものを「すべて」まとめることも不可能だ。つまり、私のような矮小な人間であろうとも、その収集と著作をマクロコスモスでお見せすることは現実的ではないのである。

 そこで、一計を案じ、二巡目のオートマティズムが働いた結果である『翼の王国』連載の「稀書探訪」というミクロコスモスに頼ることにした。すなわち、この連載で取り上げた144冊の本を一堂に展示する展覧会を千代田区立日比谷図書文化館で催すと同時に、連載144回分を一冊にまとめた同名の本を平凡社から出すことにしたのである。

 とはいえ、連載の時間順に配置しても、そこにオートマティズムが働いていることを、他の人が見抜くのは容易ではない。手間も暇もかかる。

 ならば、オートマティズムが働いた「場」であるところの私Aと私Bが、カテゴリー分けというアレンジャーの最後の役割を一緒に担うことにするのはどうだろう。つまり、私Aが集め、私Bがこれにコメントを施した連載144回分の「アルもの」を、両者協議の上で、いくかのカテゴリーに分け、再編集したものを展示すると同時に単行本の章分けしてはどうかと考えたのである。

 その結果、果たして「ナイものを創り出す」ことが出来たのかどうか、その判断は、日比谷図書文化館の来訪者と本書の読者に委ねたいと思う。

 私Aも私Bも、同じように、いま、その判定を、期待と不安が入り交じった気持ちで待っているのである。

(鹿島茂著『稀書探訪』「はじめに」より引用)

【稀書探訪目次】

第1章 パリの景観図
第2章 パリ風俗観察集
第3章 グランヴィルと同時代のイラストレーターたち
第4章 絵入り風刺新聞とカリカチュール・アルバム
第5章 19世紀のモード新聞とファッションアルバム
第6章 アール・ヌーヴォー、アール・デコ期の挿絵本、同時代のグラフィック資料
第7章 絵本・児童書
第8章 絵入り風刺新聞・雑誌以外のグラフィック新聞・雑誌
第9章 挿絵入り小説と図版入り博物学書

★『稀書探訪』で紹介する鹿島茂氏のコレクションの実物が展示された特別展、「鹿島茂コレクション2『稀書探訪』の旅」は2022年5月20日(金)~7月17日(日)まで東京・千代田区立日比谷図書文化館で開催。詳細は以下リンク先より確認できます。

千代田区立日比谷図書文化館開催「特別展 鹿島茂コレクション2『稀書探訪』の旅」

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