なぜ人は「陰謀論」にハマり、なぜ問題となるのか? 最新研究から考える
記事:作品社
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SNSなどを利用していれば、悪魔崇拝者による秘密結社が世界を裏で支配しているという主張や、新型コロナは存在しないとの主張を目にしたことは一度や二度はあるだろう。これらの主張はネット上の主張だけにとどまらず、実際にアメリカでは国会議事堂を占拠し、また日本ではワクチン接種会場で接種の妨害を行う団体が現れるなど現実世界に影響を及ぼし、また過激化している。
これらは陰謀論と呼ばれ、最近ではネット上で頻繁に目にするようになった。
はたしてこれらの陰謀論をどのように受け止めればよいのか? そもそも陰謀論をすべて否定すべきものなのか? そして陰謀論を信じ、主張する人々とはどのような思考をもっているのだろうか?
今年春に刊行された、ジョゼフ・E・ユージンスキ『陰謀論入門 誰が、なぜ信じるのか?』(北村京子訳/作品社)は、昨今目立ち始め、また身近に感じつつある陰謀論を解体し、学術的資料を元に様々な角度から分析、陰謀論の全体像を解説している。
本書によると、陰謀論が現在もたらしている問題はふたつあるという。
ひとつは陰謀論を信じる者はその信じるところに従い、時には極めて有害な意図を持って行動すること。もうひとつは、陰謀論への強い嫌悪が、権力者がそうした感情を持っている場合には言論、報道の自由、そしてインターネットでの自由な意見交換までを脅かすこと。しかし陰謀論のほとんどは無害であり、なかには役に立つもの、正しいものもあり、それらを権力者が一様に陰謀論と定義し禁じることを懸念している。
このように、本書は決して陰謀論自体を悪としてはいない。陰謀論に関心を持つことで、現実の陰謀を阻止し白日の下に差し出し、その責任を追求することは必要であると述べている。
本稿を書き始めた時期はちょうど参院選の真っ最中であったが、白昼で元総理大臣が銃によって殺害されるというとてもショッキングな事件が起こった。
と同時に、インターネット、とくにTwitterなどのSNSでは、犯行の背景への憶測がそのまま陰謀論的な推測に変わっていく様を見ることができた。本書で分析している事象がそのままリアルタイムで目の前に現れたのである。
そのようなタイミングの中で注目したいのは、陰謀論には権力を持つ人々の意図や行動が関わっているため、本質的に政治的なものだということである。
なかでも、党派的陰謀論についての議論は、アメリカの事例ながら日本での現状を考える上でも興味深い。
特定の態度や行動をとりがちな傾向のことを「先有傾向」といい、とりわけアメリカの政治学者によって最も多く研究されているのが党派性による先有傾向だという。
党派性、党派主義は、党派への愛着をもった人々の政治的世界観に影響を与え、ものの見方を大きく左右している。
人々は、競合する政党に政府が支配されている時には不信感を抱くが、自分たちが支持する政党に支配権が移ると今度は政府を信頼するようになるという。自身の愛着ある党派の世界観で物事をみるために、対立する党派は間違った方向に進んでいるとみなしてしまい、党派主義者の感情は陰謀論となって表出することがすくなくない。党派性によって異なる先有傾向をもつ二者は同じ情報に触れているにもかかわらず、大きく異なる結論に達してしまうのだ。
また彼らは「immovable mover(不動の動者)」と考えられ、彼らの固まった政治的意見はニュースや広告といった外部からの刺激にはほとんど影響を受けないという。同意できない情報は無視し、同意できる情報のみを集め、検討することで自分がいかに正しいかということが強化され、態度の極化が起こる。いわゆる確証バイアスである。
ご存知の通り、SNSでは同意できる意見やニュースのみ取得していくことが容易なため、この確証バイアスによって党派性が強化されていくことは想像に難くない。
今やSNSを覗けばこのような事例が数多く見られるものだ。
ほかにも心理学的、社会学的視点から、陰謀論を信じてしまう人々の分析もしている。
「意図性バイアス」は、結果から出発して動機と行動を辿っていき、誰かが意図的にそれを起こしたに違いないと考える思考である。この意図性バイアスの影響が強いと陰謀論を信じてしまう傾向にあるという。また、複雑で不確実なものへの不寛容から、単純な答えと状況に対する確実な説明は陰謀論者にとっては魅力的に映る。
そして陰謀論を信じてしまう性格的特性として、自分は特別であると感じたいという「独自性欲求」が挙げられている。陰謀論は、特別な存在である人だけが得られる特別な知識として提示されることが多いため、独自性欲求が高い人は、陰謀論に傾倒する可能性も高い。
選挙後の現在、日本ではショッキングな事件によってより頻繁に見られるようになった陰謀論的思考と主張は、すべて本書の分析を引用して説明ができてしまう。そして旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と政治との深い関係が明るみになり始めていることは、それまで陰謀論として片付けられていた事が真実を含んでおり、「陰謀論者によって真の陰謀が表面化されることがある」とする著者の主張が証明されたとも考えることができるだろう(無論、現時点でこの件について、全容が明らかになったわけではないが)。
荒唐無稽な説や根拠薄弱な憶測に囚われず適度な疑いを持つバランスを持つことで、陰謀論との上手な付き合いかたを身につけられる本書は、今の世を正視しようとするならば必読の書なのである。