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「メディアリテラシー」はデマに対抗できるか――『メディアは社会を変えるのか』から考える

記事:世界思想社

『メディアは社会を変えるのか』(世界思想社)
『メディアは社会を変えるのか』(世界思想社)

日本学術会議をめぐるデマの蔓延

 2020年10月初旬に共産党機関紙『赤旗』の報道により発覚した、日本学術会議任命拒否問題。本稿の執筆時もその影響は尾を引いているが、今回の騒動で筆者がもっとも驚かされたのは、問題発覚以降、日本学術会議に関するデマが次々とネット上を駆け巡るという事態だった。

 学術会議のメンバーの待遇に関するデマから、中国の軍事研究への協力に関するデマなど、毎日のように新たなデマがツイッターのタイムラインを流れていった。デマの発生源となったのはテレビのコメンテーターや国会議員のブログなどであるが、一様に日本学術会議を攻撃するものであり、それらを流通させる人びとには任命拒否というもともとの問題から争点を逸らしたいという意向があるようにも感じられた。

 ここで注目したいのは、今回の騒動が発生してから新たに生み出されたものであれ、騒動に乗じて改めて提起されたものであれ、それらのデマが既存の物事の認識枠組みに合致しているということだ。つまりそれらは「反既得権益」「反中国」「反左翼」「反アカデミズム」といった以前から存在する認識枠組みに合致するような内容になっている。だからこそ、多くの人びとは直観的にその内容を理解し、納得することができるのだ。

 比較のために、2016年の米国大統領選挙にさいして発生した「ピザゲート事件」をとりあげてみよう。これはワシントンのあるピザレストランが民主党幹部による児童買春や人身売買の拠点になっているというデマがネット上で流れ、同店に対する銃撃までもが発生したという事件だ。米国においてこうしたデマがある程度の信ぴょう性をもったのは、同国や欧州で著名人や宗教関係者などによる児童への性的虐待がたびたび問題化してきたという背景があったからだと言ってよいだろう。

 この例からも明らかなように、社会の内部に存在する認識枠組みに合致するデマであれば、外部からはいくら荒唐無稽にみえたとしても、人口に膾炙する可能性はある。逆に言えば、仮に日本学術会議が児童買春や人身売買の温床になっているというようなデマを流そうとしても、それらが重大な社会問題だとは認知されていない日本社会でそれに説得力をもたせるのは困難だろう。

デマに対抗するためのリテラシー

 話を戻せば、次々とデマを目にすると、意図的にそれらが流されているのではないかという解釈がどうしても頭をもたげてくる。虚偽、または信ぴょう性の薄い情報だと知りつつも、任命拒否という問題から人びとの目を逸らすために、あるいは政府の意向に従わない(偉そうな)学者連中を叩くために、または単にアクセス数を稼ぐために、デマを流通させているのではないかと考えたくなる。

 しかし、仮にそうしたシニカルな人びとが一部には存在するとしても、筆者はそれが多数派だとは考えない。たとえ自己の価値観や信条に合致する情報であったとしても、それがデマなのであれば流通させるべきではないと大多数の人びとは政治的党派に関係なく考えているだろうし、今回のデマの発信源や拡散役となった人びとの多くについてもそうであると信じたい。

 だとすれば、ここで問われるべきは、いかにすれば意図せずしてデマの発信や流通に手を貸してしまうのを防げるのかということだ。一つの方向性としては、人びとの「メディアリテラシー」を高めるということが考えられる。情報が流れてきたとしても、それを鵜呑みにするのではなく、複数の発信元からの情報を比較することでその真偽を見極める。

 もちろん、そうした態度が好ましいことは否定しない。しかし、あらゆる出来事に対してそうしたリテラシーを発揮することは不可能だ。結局は自分が信頼する人物や機関にその真偽の判定を委ねざるをえないが、それらの人物や機関が間違っている可能性も当然にある。筆者は拙著『メディアは社会を変えるのか』において、この問題について次のように論じた。

メディアリテラシーの最初の、もっとも困難だという意味では最後のステップは、「自分がなにを信じたがっているか」を知ることではないでしょうか。信じたい情報を無批判に受け入れ、信じたくない情報を是が非でも認めないような状況に陥らないためには、自分の認識枠組みに合致する情報が流れてきたときにはそれを一歩引いて眺めるような態度が必要になるように思います。(p.218)

 「自分が信じたい情報にこそ警戒が必要だ。」こんな文章を偉そうに書いている筆者自身にとっても、これは非常に難しい課題である。

 本書の出版からすでに4年以上が経ち、その間にもメディアをとりまく状況は大きく変化した。しかし、上記のものを含め、本書で提起したメディアに関する様々な問題は、現在においてなお検討に値するのではないかと筆者は考えている。

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