ここにも「音楽がすべて」の青春があった——ラトヴィアのベストセラー小説『メタル’94』
記事:作品社
記事:作品社
舞台は1990年代半ばのラトヴィア。旧ソ連を抜け出して体制転換という過渡期の中で、同時期に隆盛したメタル音楽に熱狂する少年たちの青春が描かれる。
1994年、アメリカでニルヴァーナのリーダー、カート・コバーンが自分の頭を撃ち抜いた。その一撃は、ラトヴィアの地方都市イェルガワに住む14歳のヤーニスの耳をも確かにつんざいた。ヤーニスはこれを機にダサい優等生であることをやめて、メタルのポエムに浸る型破りの少年達の仲間入りをする。タバコを吸い酒を飲み、自分だけの音楽を追い求めて、いつしかバンドを結成するを夢を見ながら、夜の町を練り歩く。
それからおよそ15年後、ヤーニスは大学を卒業して仕事につき、メタルへの関心もすっかり失っていた。ところがひょんなことからラトヴィアきってのフォークメタルバンド、スカイフォージャーのペーテリスと再会してメタル熱に疼かされ、あの頃の自分を回想し始める——主人公に著者自身を想起させる半自伝的な物語だ。
一般に馴染みの薄いラトヴィアについて語るとき、またしても「百万本のバラ」を引き合いに出すとしよう。ラトヴィア生まれのこの歌は、旧ソ連圏で売れ筋の歌謡曲を数多く作曲したことで、当地で広く名の知られたライモンズ・パウルスという、今なお現役のジャズピアニストによる曲だ。オリジナルのラトヴィア語の歌詞は詩人レオンス・ブリエディスによるもので、子どもから大人、そして母となる女性の姿が慈愛を込めて歌われている。
ラトヴィア出身の著名人には、ロシアのウクライナ侵攻を機にTrueRussia.orgを立ち上げて、プーチン大統領宛に公開書簡を送りつけたバレエ界の重鎮ミハイル・バリシニコフがいる。クラシック音楽界のギドン・クレーメル、ミッシャ・マイスキー、オペラ歌手のエリーナ・ガランチャらはみな、首都リガで音楽の基礎を身につけた。近代の抽象絵画で絶対的な存在を誇るマーク・ロスコは地方都市ダウガウピルスの出身だ。
歴史的に見れば、数世紀に亘ってドイツやスウェーデンなどの周辺各国の支配下にありながら、1918年に帝政ロシアから独立したのは、ラトヴィア語を基軸とするラトヴィア人という民族意識の目覚め故だった。共和国として繁栄した独立期も束の間、第二次世界大戦の勃発と共にソ連とナチスドイツに入れ替わり侵攻を受けて、ソ連に併合された。それから50年を経た1989年にバルト三国の人々が手をつないだアクション「歌う革命」を契機として、1991年に独立を奪還した。現在ウクライナで起きているロシアの脅威はまさしく悪夢の再来なのだ。
こうした経緯でラトヴィアには特異な民族構成がある。総人口約188万人(岡山県とほぼ同じ)のうち、ラトヴィア人が約63%、ロシア人が24%、ベラルーシ人、ウクライナ人、ポーランド人らが数パーセント程度ずつ共生している。公用語はラトヴィア語に規定されてはいるが、日常的にはロシア語もよく使われている。
リガ市の中心地ではアールヌーボー建築群が目を惹き、5年に一度開催される「歌と踊りの祭典」に世界中から人々が集うなど、いくつものユネスコ世界文化遺産を冠して、ラトヴィアはEU加盟国の中でも「歌う民の国」としてアピールしてきた。近年では豊かなミトン手袋を独自の伝統文化として発信し、ソ連時代に軍用地などであったお陰か、手つかずに残された自然を糧にエコツーリズムを奨励している。
ラトヴィアの国土は北海道よりひとまわり小さい。山国の日本から見れば地勢はおしなべて平坦で、なだらかな丘陵はあるものの、国内最高地点は古ぼけたテレビ塔の312メートルでしかない。EU加盟後の整備でみちがえるように立派な自動車道が、牧草地や森林を抜けて地方に伸びている。
ずっとペーパードライバーだった私は、リガで中古車を買った。当初は双方向の道路にまだ中央線がなかったし、路面にぼこぼこと穴が開いていた(冬期の滑り止めに巻く砂の弊害だと聞いた)りで、血眼になってマツダ・ファミリアのハンドルを握っていたが、いつしかバルト三国内ならどこでも気ままにドライヴするようになった。中でもリガからイェルガワまでの自動車道は滑走路並みの直線で、鼠捕りに会うかどうかの緊張感をもちながら爽快に突っ走る。当時の大統領の息子が隣人であった縁で結婚式に招かれたときには、イェルガワの先のド田舎までラトヴィア民俗音楽界の重鎮カップルを同乗させた。(当地の粋な結婚式のスタイルでは、自然の野草にまみれるような手作りのインティミットな空間に、ゆったりと身を委ねて丸二日間を過ごすのだ。)深夜の帰路に外灯などついていたはずもなく、あのときは真っ暗闇に目を凝らした。
イェルガワはバロック様式の瀟洒な赤い宮殿を見所とする歴史の要衝で、宮殿の地下にある侯爵たちの霊廟からは幽霊が出ると語り継がれている。小ぶりな貴族の館もあって、川沿いに広がる庭園では、のどかに草を食む羊を横目にピクニックをしたものだ。この町は人気のバンド、プラータ・ヴェートラ(Brain Storm)の出身地でもある。その程度の知識の私に、ある日メールが舞い込んできた。「自分を売り込むのは苦手なんだけど、ぼくの小説を翻訳しない?」
『メタル’94』はEU文学賞を取って、ラトヴィアですごいベストセラーだ。「この小説ってどうよ?」かつて日本語を教えた生徒で、いまは良き友人となったエリーゼに聞くと、隣からトム(その夫)が声をあげた——「トイレの壁が倒れたあの夜、俺もあのクラブにいた! 全部本当のことなんだよ!」。トムの友人は小説に登場する女の子の一人と結婚したとのこと。いろいろ書いてある(しかもあるがまんまに!)から、その夫婦にとってはこの小説は禁書扱いだとか。国語センター勤務の知人も、「ヴィズマ・ベルシェヴィツァ(長らくノーベル文学賞候補であった作家)以来、やっと読むに値するラトヴィア文学が出た!」と絶賛。
1994年から2009年頃までの物語は、偶然にも私の滞在時期とぴったり重なっている。うんうん、キオスクで生ビールを量り売りしてたし、トラムやバスに乗るのに切符を買うなんて野暮だった。そもそもいつ来るかわからないバスを待つより、手っ取り早くヒッチハイクをした。白タクに乗りこんでから、スキンヘッドの強面の運転手にビクビクしたこともあったっけ。あの頃、いつもどこかでジャカジャカ鳴っていた、思えばあれがニルヴァーナだった。初めてケータイをもったときには、世界が広がったような気がした。2004年のEU加盟後は、身近なところからもアイルランドや英国にひと稼ぎに出たまま、いまだ帰らずの友だちがいる。
これまでスカイフォージャーを意識して聴いたことはなかった。あの頃、こんな陶酔の熱い空間が間近にあったとは。イェルガワから始まる物語『メタル’94』は、90年代へのノスタルジーと、誰しも覚えがありそうな自分探しの一時期への愛着に満ちている。
ラトヴィアを引き揚げるとき、メタリックグリーンの愛車は手放した。擦り傷だらけの15年物にして4000ユーロ。そりゃまるで詐欺だと、電話口で父が呆れていたっけ。