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ミニシアター「ユーロスペース」代表・堀越謙三――80年代以降の映画状況に風穴をあけた人物  西嶋憲生 

記事:筑摩書房

「ユーロスペース」が入るビル=東京都渋谷区円山町(朝日新聞社)
「ユーロスペース」が入るビル=東京都渋谷区円山町(朝日新聞社)

 「ちくま」で愉しみに読んでいた連載が『インディペンデントの栄光・ユーロスペースから世界へ』として単行本になった。ユーロスペースの創設者・代表の堀越謙三氏に編集者・映画評論家の高崎俊夫が聞き書きした連載をベースに、生い立ちから映画上映に携わるまでの三章を大幅に増補、連載後の製作作品や追悼、映画教育をめぐる話など7章や膨大なユーロスペース劇場公開作品一覧が追加され350ページ超の大部になった。

 本書は業界の異端児にして「日本インディペンデント映画のゴッドファーザー」とも呼ばれた堀越謙三氏の華麗にして稀有な足跡を辿ったメモワール。1980年代以降の日本の映画文化に風穴を開けたミニシアターという名の時代精神、時代のカルチャーの貴重な証言集でもある。それを丹念に聞き出した高崎俊夫のアプローチは、作家主義的な監督インタビューのプロデューサー版とでもいえるものだ。

『インディペンデントの栄光――ユーロスペースから世界へ』(筑摩書房)書影
『インディペンデントの栄光――ユーロスペースから世界へ』(筑摩書房)書影

 ミニシアターブームの旗頭となったユーロスペースは単なる小さな映画館ではなく、上映作品を自社で買付ける配給会社でもあった。社員には映画館運営と配給宣伝のスタッフがいて、ユーロスペースの最大の特徴はそこにあった。それまでそんな独立系映画館も配給会社もなかったからである。

 1982年5月に最初の配給作品『ある道化師』の試写を新橋のTCC試写室に見に行った時のことは今も覚えている。受付の長身の男性はスーツ姿で他社のラフな格好とは雰囲気が異なり、それが堀越氏だった。渡された和文タイプの資料は簡素なもので、ハンナ・シグラが出演していた。撮影は『蜜の味』『長距離ランナーの孤独』『その男ゾルバ』等のウォルター・ラサリー(ドイツ生まれ)、監督はチェコ・ヌーヴェルヴァーグのヴォイテック(ヴォイチェフ)・ヤスニー(1925-2019)で、プラハの春の後、亡命者として国外で映画を撮っていた人だった。

 劇場オープンには地味な作品だったが、本書で語られる通り、渋谷桜丘の坂の途中にオープンした映画館は保健所等の横槍ですぐに休館を余儀なくされた。だが再開後は、80年代の映画的活況や新たな観客・批評家の台頭も相まってミニシアター文化を先導するシンボリックな存在となっていったのだった。

 映画館が2スクリーンになるとプログラムは多様化し、ヨーロッパ映画の配給・上映にとどまらず、監督やキャメラマン、作曲家の回顧特集など先鋭的な企画上映やカルト的なレイトショーなど企画力・発信力を発揮し、やがて配給のみならず国内外の映画製作にも乗り出した。

 本書で語られるアキ・カウリスマキ、バフティヤル・フドイナザーロフ、アッバス・キアロスタミ、そしてたびたび社運を賭けて製作・配給したレオス・カラックスといったワールドシネマの最前線と「作家主義」のネットワークでつながるプロデューサー、映画館となっていくのである。

 ユーロスペースや堀越氏個人が果たした文化的役割は本書がよく伝える通りだが、映画ファンとしては何よりユーロスペースがなければ出会えなかった新旧さまざまの個性的な映画が思い出される。『ZOO』『アメリカ』『ジャン・コクトー、知られざる男の自画像』『音のない世界で』『風の物語』そして長年本国でもプリントが焼かれなかったのでニュープリントに高額を要求された『ママと娼婦』……リストは延々と続く。それらの公開が実現したのは、堀越氏のみならずその時々のスタッフのビジネスを越えた「情熱」の賜物にほかならなかった。その恩恵を受けた映画関係者は少なくないはずだ。

 そして、レオス・カラックスの全作品、フランソワ・オゾンの初期作品、アート・ドキュメンタリー映画祭など自分が評価する作家・作品の宣伝や企画の一端に関わることができたのは、批評家としての私の喜びでありささやかな誇りでもある。(「ちくま」8月号より転載)

 

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