本や映画をより楽しむための批評のやり方を一から解説! 北村紗衣『批評の教室』より
記事:筑摩書房
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俺はチョウのように舞い、ハチのように刺す。
(I’m gonna float like a butterfly, and sting like a bee.)
これはボクシングチャンピオンだったモハメド・アリの有名な決まり文句です。モハメド・アリは強いボクサーである一方、アフリカ系アメリカ人として人種差別反対運動にも取り組み、気の利いた鋭い台詞でファンを喜ばせる機知に富んだ人物でした。この文句はアリのトレーナーだったドルー・バンディーニ・ブラウンが考案したもので、一九六四年にまだカシアス・クレイという名前で知られていたアリがソニー・リストンと対戦した時に初めて披露されました。それ以降、アリの軽やかで鋭いスタイルを一言で示す台詞として広く知られるようになりました。
なぜ批評に関する本がボクシング史に残る名台詞の引用から始まるのかというと、この一節は芸術作品に触れる時の心構えとしてもけっこう当てはまるのではないか……と私はいつも思っているからです。
「チョウのように舞う」というのは羽が生えたように軽いフットワークを意味しています。批評というと、ひとつのテクストに根が生えたように沈み込み、真面目に取り組んで……というイメージを持っている人がいるかもしれませんが、少なくとも私のイメージでは批評というのはそういうものではありません。ちゃんとした批評をするにはある程度フットワークの軽さが必要です。ある作品に触れたら、その作品に関連するいろんなものに飛び移って背景を調べたり、比較をしたりすることにより、作品自体について深く知ることができるようになります。
私はこのプロローグを書く時、「このモハメド・アリの決め台詞、誰でも知ってる有名な文句だけど、最初に使われたのはいつなんだろう?」と思ってインターネットの新聞記事検索などを使って調べました。ある作品や発言についてきちんと背景を理解しながら楽しむには、こういう疑問に思ったことをすぐ調べ、情報から情報へ移動するフットワークが重要です。とりあえず、背中に羽を生やしましょう。
「ハチのように刺す」のほうですが、軽いフットワークで作品の背景を理解したら、次は鋭く突っ込まないといけません。後の章で詳しくお話ししますが、作品を批評しながら楽しむ時は何か一箇所、突っ込むポイントを決めてそこを刺すのがやりやすい方法です。羽を生やした後には針を身につける必要があります。
実はこの台詞には続きがあります。アリは生前、この台詞をいろいろアレンジして口にしていたのですが、この後に「お前の目で見えてないものはお前の手で打てっこない」(Your hands can’t hit what your eyes can’t see.)という一節を続けることがありました(「お前」のところが対戦相手の名前になったりもします)。これは文字通りには、自分は目にもとまらぬ速さで動くので対戦相手は打撃もできっこないという自慢です……が、私はこれを、批評する時の自戒の言葉に読み替えています。優れた作品というのはモハメド・アリのようなボクサーの動きと同じように、展開が速すぎたり、巧妙な作戦を隠していたりして、我々ひとりひとりの目ではその全貌をうまくとらえられないことがあります。作品と対戦する批評家は、それでもとりあえず何かを見てそこに針で突っ込む打撃をいれなければなりません。見えないものは打てませんが、なんとか全体像が見えるようにするために批評があります。作品をモハメド・アリだと思いましょう。相手は常に動いているし、何か隠しているかもしれません。
こういうわけで本書の副題は「チョウのように読み、ハチのように書く」になったわけですが、実は私はここまで、批評の心得みたいなものの話をする陰に隠れて、こっそりモハメド・アリのこの有名なキャッチフレーズについて「批評」を書いていました。批評というと長い小説とか映画とかについてやるものだと思っている人も多いと思いますが、こういう短いテクストでも批評の対象になります。私はこの短い文章について最初にそのテクストが作られた背景をふまえ、本来の意味を押さえた後、自分はこのテクストをどう考えているのか、自分はこのテクストとどういう関係を結んでいるのかを説明しました。ここまでやってきた批評はちょっと変わった形式のものですが、それでも一応は批評の一種です。批評というのは何でも対象にできますし、いろいろなことを書けるものです。
この本は批評方法の入門書です。作品について楽しく掘り下げたい、作品について他の人と考えを共有したいけれどもやり方がよくわからない、という人は多いと思います。そういう時に自分の分析を明確に文章にするような批評ができるようになると、作品を他の人と楽しくシェアできるようになります。この本はそうした読者や視聴者に向けて、楽しむための方法としての批評のやり方を一から解説するものです。批評というのは映画やアニメのような「芸術作品」としてイメージしやすいものから、ゲームやスポーツ、広告やファッションのようなものまで、何でも対象にできます。私は大学でシェイクスピアを研究しており、専門分野は演劇のフェミニスト批評ですが、映画や小説の批評も教えているので、主に舞台芸術、映画、小説を各章で例としてとりあげつつ、批評というのはどういうもので、何をするのかを見ていきたいと思います。
(中略)
それでは、本書の見取り図を説明しましょう。批評をしたいと思う場合、ざっくり分けて三つくらいステップを踏む必要があります。
第一段階は「精読」です。これは第一章で扱いますが、漠然と読むのではなく、いろいろなテクニックを使い、さまざまな細かいところに注意して読めるようになるにはどうしたらよいかについて学びます。
精読で細かいところまで注意して読めるようになったら、そこで気付いたことからテーマを決めて、一貫性のある解釈を提示していく必要があります。これは精読の延長ですが、便宜的に第二段階、「分析」としましょう。第二章ではテーマを決めて作品を掘り下げるやり方について説明します。
第三段階は「アウトプット」、つまり批評を書いたり口頭で話したりすることです。これは第三章で扱います。最初は書くのに自信がない人も多いかと思うので、やりたくなければもちろん書いてみる必要はありません。しかしながら、批評はコミュニケーションを生み出し、作品の周りに共同体を作る道具でもあります。批評をシェアし、他の人の批評に賛同したり反論したり発展させたりすることで、さまざまな人々が作品を通してつながり、作品の周りに小さなコミュニティができます。批評を書いて人に見せたり、話したりすることはコミュニティ創造につながり、そのコミュニティが大きく盛んになれば、あなたのお気に入りの作品は影響力のある芸術として永遠の命を得るかもしれません。
第四章はこうしたコミュニケーションの重要性をふまえ、実践編として実際にメインの著者である私(北村紗衣)と、批評クラスの学生だった飯島弘規さんが実際に同じ作品を見て批評を書き、お互いにコメントしあうプロセスを紹介します。
それでは、さっそく批評について学んでいくことにしましょう。チョウのように読む準備をしてください。