なぜわれわれは魯迅を読んでいないのか――『魯迅を読もう』の読者に寄せて(1)
記事:春秋社
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多くの日本の読者にとって、中国近代文学の第一人者である魯迅(1881-1936)は、親しくもあり、また疎い存在でもある。魯迅の著したいくつかの小説(例えば『故郷』)はいまでも日本の中学校や高校の国語教科書に収録されている点からして、誰もが比較的に早い段階からこの文豪に接しているはずだ。しかし他方で、魯迅が人々に――とくに若者に読まれているかというと、おそらく「否」である。魯迅という「他者」は、いったん国語の授業で現れ、また忘れ去られてしまう、そうした存在である。話を「世界文学」のレベルにまで拡げてみても、魯迅を含む中国近代文学が、同時代のフランス文学やドイツ文学を凌ぐ若い読者を獲得しているかというと、やはりそうとはいえない。これはまず、認めなければならない事実である。
もちろん、戦中・戦後において竹内好や丸山昇などの知識人が築き上げた中国近代文学研究の伝統は、一部の研究者によって引き継がれているし、国内の各大学で魯迅をめぐって開かれている研究会もけっして少なくはない。にもかかわらず、研究者でない一般の若者があまり魯迅に目を向けていないという残念な事実がある。
では、現代中国の場合はどうか。たしかに、中国近代の人気作家で魯迅の右に出るものはいないように見える。魯迅に関する学術論文が毎年量産されているだけでなく、若年層の読者もまた、魯迅を愛読している。しかし興味深いことに、魯迅研究者が様々なアーカイブを駆使して歴史の細部を追究している傍らで、数多くの若者はSNSで魯迅の言葉を脱文脈的に引用し、自分の論点(ほとんどの場合は現実社会に対する批判)を支持する権威として、魯迅を都合よく「使って」いる。そして、この両者の間には、接点がほぼないといってもよい。
だが思うに、前者のアーカイブを中心とした研究も、後者の脱文脈的な利用も、いずれも結局のところ魯迅のテクストを読まないでいるといえる。両者の差異は、ある一点に集約できる。それは、どちらも魯迅のテクストを充分に把握できたと判断したうえで、歴史的なコンテクストに戻ろうとするのか、あるいは魯迅の論じたことを現在の社会に重ね合わることで現実を批判しようとするのか、という違いである。ゆえにどちらの場合においても、文学作品は単なる記述の束、または論点の集合にすぎないものとして扱われることにしかなっていないのである(ただもちろん、社会への発信力の有無にかかわらず、アーカイブ研究それ自体にも意義がある、とわたしは一人の研究者として付け加えておかなければならない)。
話題を日本の読者に戻そう。奇妙に聞こえるかもしれないが、魯迅が日本においてあまり読まれていない主な理由は、魯迅が中国において熱心に読まれていることにも通じていると思われる。実のところ、この二つの社会は「魯迅のテクストが中国社会や民族性(または彼のいう「劣根性」)を描いている」という大前提を無意識に共有しているのである。たしかに当時の中国社会や中国人を対象としている魯迅文学は、二十世紀初頭の中国社会を理解する上での一助となる。それゆえ日本社会では、戦後から中国に対する関心が全体的に減っていったのにつれて、魯迅をはじめとする近代中国文学に対する人々の興味も同様に失われていったというのは、ある意味で当然の現象である。
しかし、映画鑑賞の醍醐味を「ファースト映画」に還元できないのと同じように、魯迅文学の面白さについては、実際のところ「内容レベル」ではわからないのである。なぜなら、文学に異常な鋭さを持つ魯迅において、一貫して重要なのは「何を書くか」というより、「どう書くか」ということであり、その点をふまえた上で初めて魯迅文学の醍醐味を味わうことができるからである。
では、そもそも魯迅は文学にコミットすることで何をやろうとしたのか。魯迅において文学はいかなる営みなのだろうか。魯迅の各時期の言説から文学の性質に直接に触れるものを少し拾ってみよう。例えば、このようなものがある――
「私の生命、少なくとも一部分の生命は、すでに、これら無聊の文を綴ることに費やされてしまった。そして私が得たものといえば、私自身の魂の、荒涼とかすり傷だけだ。しかし私は、それらをはばかりもしないし、かくそうとも思わない。」(『華蓋集・題記』)
「私には、泉のように湧く思想はなく、雄大な文章も華麗な文章もない。宣伝したい主義もないし、何より運動を起こす気にもなれない。」(『「墓」の後に記す』)
「沈黙しているとき、私は充実を覚える。私は口を開こうとする、そしてたちまち空虚を感じる。」(『野草・題辞』)
一読すればわかるように、文を書くことに対する魯迅の態度は、けっしてポジティブとはいえない。極端にいえば、魯迅は文学を通じてなにも表象しようとしなかった。にもかかわらず、彼は書くことを止めなかった。それは何を意味しているのだろうか。魯迅の文学認識についての詳しい分析は『魯迅を読もう』に譲るため、ここでは重要なポイントを一点のみおさえておきたい。エクリチュールが言葉を通じて何かを表象・表現するというごく自然(であるかのよう)なことを、魯迅は実践しながら疑っていたのである。
魯迅は生涯をかけて文学の可能性については懐疑的であった。しかも、「実践することで懐疑」していた。というのも、文学の営みというものは、結局文学がなにかを表象・表現しようとしても必ず失敗すること、すなわち文学の有限性を示しているにすぎないからである。そして、現実もまたつねにエクリチュールでは把握しえない「他者」として書き手に迫ってくる。――「墨で書かれた虚言は、血で書かれた事実を隠すことができない」という魯迅の言葉を忘れてはならない。
従って、魯迅のテクストに例えば当時の中国社会のまともな表象を見出そうとする読解は、ある意味で的外れといわざるをえない。むしろ、巨大な「他者」として目の前に横たわっている現実社会に、魯迅がいかにしてその不十分さを誰よりも分かった上で、あえて筆をもって向き合っていたかをわれわれは仔細に考えなければならない。換言すれば、それは言葉(の不穏さ)に凝結されている格闘の痕跡を読み取ることにほかならない。
現代社会において言葉の劣化と経験の劣化に日々直面せざるをえないわれわれにとっては、これこそが魯迅を読む醍醐味なのかもしれない。