1. じんぶん堂TOP
  2. 歴史・社会
  3. 〈憲法改正〉は、“統一教会”と“岸信介―安倍晋三”の二人三脚で押し進められてきた。佐高信が、その核心に迫る!

〈憲法改正〉は、“統一教会”と“岸信介―安倍晋三”の二人三脚で押し進められてきた。佐高信が、その核心に迫る!

記事:作品社

佐高信『統一教会と改憲・自民党』(作品社)
佐高信『統一教会と改憲・自民党』(作品社)

“統一教会”問題は、“改憲”問題なのである

 安倍晋三元首相が撃たれたのは、統一教会が原因の悲劇だが、統一教会問題は真っすぐに“改憲”ならぬ“壊憲”とつながっている。改憲論者は、例外なくと言っていいほど統一教会と関わりがあり、家父長制を求める統一教会の考えと、自民党の改憲案は重なっているからである。

 特に、憲法の14条の「法の下の平等」や24条「家族における個人の尊厳と両性の平等」は、ウクライナゆかりの米国人女性ベアテ・シロタ・ゴードンが、GHQ憲法草案制定会議のメンバーとして、日本の女性の不幸な現実を改めるために草案を書いたのに、それをブチ壊そうとする。私が“改憲”ではなく“壊憲”だと言うゆえんである。

著者・佐高信
著者・佐高信

岸信介が主導した“安倍晋三の悲劇”と“日本の悲劇”

 私が一番驚いたのは、1984年に、アメリカで脱税で捕まった統一教会の開祖・文鮮明の釈放を求める手紙を、安倍晋三の祖父・岸信介が、当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンに出していることだった。
「親愛なる大統領閣下」と書き出された手紙は、「今日は、貴殿にお願いがございます。貴殿もお知り合いの可能性があると思われる人物、文鮮明尊師に関するものです」と続く。

 その年の春に、懲役1年6ヶ月の実刑判決を受けて連邦刑務所に収監されている文鮮明を「尊師」と呼ぶのさえおかしいが、以下、こんな人を首相としてしまった私たちが恥ずかしいと思うほどの内容である。

 「文尊師は、現在、不当にも拘禁されています。貴殿のご協力を得て、私は是が非でも、出来る限り早く、彼が不当な拘禁から解放されるよう、お願いしたいと思います」

 「文尊師は、誠実な男であり、自由の理念の促進と共産主義の誤りを正すことに生涯をかけて取り組んでいると私は理解しております」

 渋谷の南平台の岸の自宅の隣に、統一教会の施設があったことは知られているが、それにしても、すでに霊感商法等は問題になっていたのだから、この懇願は非常識きわまりないだろう。

 「彼の存在は、現在、そして将来にわたって、希少かつ貴重なものであり、自由と民主主義の維持にとって不可欠なものであります。私は適切な措置がとられるよう、貴殿に良き決断を行っていただけますよう、謹んでお願いいたします」

岸信介と安倍晋三(パブリック・ドメイン/内閣広報室)
岸信介と安倍晋三(パブリック・ドメイン/内閣広報室)

統一教会と自民党に共棲する“反共ウイルス”

 一度は自民党から出て新自由クラブを結成し、再び自民党に戻り国会議員となった“政界の牛若丸(もしくは珍念)”山口敏夫は、こう断定している。

 「旧統一教会と自民党は『複合汚染』なんだよ。頭の先からケツの穴までお互いに絡み合い、繫がっているということだ。当初は国際勝共連合と名乗り、反共を唱えてうまく取り入って人脈を作った。そこから統一教会、世界平和統一家庭連合と時代ごとに名前を変えながら、カメレオンの如く生き延びてきた。バカなのは自民党結党時の指導部だ。文鮮明なんて本当は反日主義者なのに、反共という言葉にごまかされて、正体を見抜くことができなかったんだから」。

 自民党結党時の指導者、たとえば岸信介が文鮮明の正体を知らなかったかどうかについては疑問があるが、統一教会と自民党の「複合汚染」、つまりズブズブぶりは、やはり、自民党を経て新党さきがけを結成した田中秀征が、統一教会からの激しいバッシング体験を次のように語っている。

 保守系の候補ながら、選挙ゴロ的人間を排除できるからと、参加費を取って演説会をやる田中は、統一教会の手伝いを断わった。すると、即座に選挙区の全戸に「田中は容共だ」という攻撃のビラをまかれた。そして、その後も田中はリベラル派として統一教会系の『世界日報』などで徹底的に糾弾されたという。田中は、1年生議員のとき、自民党綱領から改憲事項をはずすようにがんばった。そのため、全面的にバッシングされたのである。

 そんな田中が、自民党の支持母体の説明をしたのがわかりやすかった。極端なほど強力なものが6つあり、それは、農協、商工団体、ゼネコンの業界団体、郵政、三師会、そして遺族会である。三師会とは日本医師会、日本歯科医師会、日本薬剤師会で、田中はこの6つと、まったく無縁だった。後で聞いたら、田中が推薦依頼をしなかったからだという。

 田中はさらに選挙を台車にたとえて語る。上に乗って運ばれるのが候補者で、実際に動いているのが台車であり、現在の自民党ではその台車が公明党、つまり創価学会である。

 動員をかけたり、選挙事務所で宛名書きをしたり、電話作戦をするような実動部隊がいないと選挙は戦えないが、そこを連立政権を組んでいる公明党の学会員が担当している。公明党が小選挙区で自民党の「台車」となる前、そこに入り込んでいたのが統一教会だった。つまり、個々の議員が関係があるかどうかではなく、自民党が構造的に統一教会に食い込まれている。構造汚職ではなく構造癒着だ。田中が続ける。

 「信者ひとりひとりが持つ票自体は大したことはない。しかし、選挙の台車としての力はすごいよ。組織の末端がよく動くんだ。そして、身を粉にして働くような人を2、3人も入れたら、選挙事務所は動いてしまう。人によっては選挙に欠かせないものになっていると思う。選挙の実動部隊に収まって、有権者とも知り合いになる。すると、次の選挙でも当然のようにまた頼むことになる」

旧統一教会の創始者、文鮮明氏と握手する岸信介氏(右)=教団関係の資料から(朝日新聞社)
旧統一教会の創始者、文鮮明氏と握手する岸信介氏(右)=教団関係の資料から(朝日新聞社)

統一教会の反共=改憲ウイルスは、財界や労働組合にも

 統一教会は、想像以上に各方面に刺さっている。先日、亡くなった京セラの稲盛和夫と並ぶオカルト経営の船井総研の船井幸雄には、そごうの水島廣雄や丸井の青井忠雄、さらにはプロ野球選手の長嶋茂雄などの“信者”がいるが、1933年生まれで2014年に亡くなった船井を、統一教会が持ち上げ、船井は、「統一教会は、私にシンパシーを感じてるみたいなんだ」と自慢していたという。

 統一教会の反共ウイルスは、労働組合の連合にも侵入している。1901年生まれで、85歳で亡くなった松下正寿という人物がいた。立教大学の総長などをやったが、あの極東軍事裁判では東条英機の弁護人を務めている。

 1967年の東京都知事選挙で、革新統一候補の美濃部亮吉に敗れた松下は、自民党と民社党の推薦だった。その後、松下は民社党の参議院議員となり、文鮮明に会って心酔して世界平和教授アカデミーの初代会長に就任する。

 そして民社・同盟系の富士社会教育センターの2代目理事長となる。同センターの教育部門である富士政治大学で連合現会長の芳野友子は、反共思想を学んだ。自民党は連合を取り込もうとして芳野に接近しているが、反共思想とは、つまり統一教会ウイルスなのである。

ページトップに戻る

じんぶん堂は、「人文書」の魅力を伝える
出版社と朝日新聞社の共同プロジェクトです。
「じんぶん堂」とは 加盟社一覧へ