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政治家の言葉:特別対談 保阪正康さん、斎藤美奈子さん

 自民党の政治家による暴言・失言が相次いでいる。安倍晋三首相自身の言葉の軽さを指摘する声もあり、内閣支持率も落ちてきた。「政治家の言葉」の重みはどこへ……。本紙書評委員の保阪正康さんと斎藤美奈子さんが政治家の本を引きながら語り合った。

 ――稲田朋美防衛相の東京都議選応援演説での「自衛隊もお願い」発言と釈明会見での「誤解」の連発。東日本大震災をめぐる今村雅弘前復興相の「東北でよかった」もありました。秘書への暴言など次々出てきます。

 保阪 稲田さんは、国家の、そして国民の自衛隊を、まるで自民党の持ち物のように言う。一般社会の常識も基本的な政治の知識も欠けている。
 斎藤 暴言や失言をする政治家には三つの特徴があると思います。(1)過去への敬意を欠いている。歴史を知らないし、先人に学ぶ気もない(2)現在、すなわち国民に対する誠意を欠いている。適当にごまかそうとする(3)未来に対する責任を欠いている。『政治家失言・放言大全 問題発言の戦後史』に約500件が掲載されています。
 保阪 本を読まない人の特徴とも重なる。(1)形容詞が多い(2)結論しかいえない(3)耳学問だから話がもたない。

 ――安倍首相は自らの国会対応を「反省」し「説明責任を果たす」という一方、都議選の応援演説では「こんな人たちに負けるわけにはいかない」とも。

 保阪 「反省する」と言うが、行動を伴ってこその反省。言いっ放しでは国民を愚弄(ぐろう)していることになる。プロセスの説明なしに結論がいきなり出てくることも気になる。安全保障法制も共謀罪もそう。
 斎藤 安倍首相は『新しい国へ 美しい国へ 完全版』で「戦後レジームからの脱却」と言い、自らを「闘う政治家」と規定していますが、要は戦後民主主義を捨てたい?
 保阪 祖父の岸信介さんの背中を追いかけ、正当化することに重きを置いているのでしょう。歴史を権力者のものと思っている。国民の総意が動かしていると分かっていない。

小選挙区で劣化

 ――言葉の劣化はいつごろから顕著になりましたか。

 保阪 1996年の衆議院選から小選挙区制が導入された。中選挙区時代は、自民党内から複数立候補するから批判し合いチェックも利いた。小選挙区制では、党の指導者が決定権を持ち、お気に入りばかりが公認される。それが議員の質の劣化を招く大きな要因の一つだと思いますね。
 斎藤 与党が大勝すると、小選挙区で負けても比例で復活する人がいる。裏口入学みたい。
 保阪 受かるはずのない人が受かってくるのだから、失言の多発もむべなるかな。「ワンフレーズ政治」は、小選挙区制で強化されていく。小泉政権しかり、安倍政権しかり。

 ――小選挙区制の前に、93年に55年体制が崩れ細川政権が誕生、政界再編が続きました。

 斎藤 94年に「自社さ」政権ができるのですが、すりあわせができずにあっさり崩壊した細川政権と比べて、議論が活発だったようですね。『聞き書(がき) 野中広務回顧録』には、閣僚懇談会を延々とやっていたとあります。『村山富市回顧録』も読むと、この政権は、稀有(けう)な中道リベラル政権だったような気がしてくる。村山・野中世代の政治家の厚みを感じます。
 保阪 その2人は戦争に徹底して反対の立場。戦争にかり出された側の視点と体験から身につけたバランス感覚があった。しかし今の自民党議員は、かなりの人たちが歴史修正主義に取り込まれている。

「戦間期」の思想

 斎藤 読者にお薦めしたいのは保阪さんの著書『安倍首相の「歴史観」を問う』。安倍政権の言葉がなぜ軽いのか、歴史と比較してよく分かる。保阪さんは「戦間期の思想」はだめだとおっしゃっていますね。
 保阪 第1次世界大戦から第2次世界大戦の間が「戦間期」。「領地を失ったけれど、次は取り返してやる」というのが「戦間期の思想」。我々の国は45年から、戦間期の思想を持たないという壮大な実験をやっているんですよ。だからずっと「戦後」なんです。安倍さんが危ないのは、戦間期の思想を持っているんじゃないかと外国から疑われかねないことですね。

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 前週に続いて、本紙書評委員の保阪正康さんと斎藤美奈子さんが、先人の本を手がかりに政治家について語りあいます。

保守は経験重視

 ――失言や暴言ではなく、名言も聞きたいものです。

 保阪 佐藤栄作内閣で法務大臣を務め、衆院議長にもなった前尾繁三郎(1905~81)が『政の心』(毎日新聞社、品切れ)で語っています。「保守主義は目的を達するためには手段もまた正当でなければならない」「政治的モラルを堅持しなければならない」。保守が一番苦しいのだ、自制や禁欲が必要なのだと解釈しました。
 斎藤 保守は本来、経験知を重視する。革新は理想や「正しさ」を基準にして先を急ぐけど、保守は「あのときはこうだった」という経験則に基づく。

 ――後藤田正晴氏(1914~2005)も法務大臣を務め、順法精神を掲げて筋を通した保守という印象があります。

 保阪 『情と理』を読むと、プロセスを大事にしたと分かります。87年のイラン・イラク戦争の時、交戦海域への自衛隊派遣は参戦と同じだと、閣議での署名を拒否すると中曽根康弘首相に告げています。本人から直接話を聞いた時、〈戦争をやった世代がわびればいい、我々はわびる必要がない〉といった後輩議員に対し、「日本人とは何なのだという視点がない。恥ずかしい」と批判したのも印象深かった。
 斎藤 重しのような人。自民党の議員は先輩政治家の本を読んだ方がいいですね。本物の保守とは何か、考えてほしい。

 ――実際の戦争体験が重みにつながるのでしょうか。

 保阪 福田赳夫元首相(1905~95)が死の4カ月前に出した『回顧九十年』には驚いた。現役時代はタカ派で通ったが、晩年は軍縮問題、環境問題に関心を深め、発言も地球規模に広がっている。在任中に著すべきだったと思いましたね。
 斎藤 77年の日航機ハイジャック事件では「人命は地球より重い」と発言した。批判も浴びたけど。一方、安倍晋三首相は、ISに日本人の人質が殺されても「テロには屈しません」で通しました。ところで、角福戦争の相手だった田中角栄(1918~93)の秘書・早坂茂三(1930~2004)の『田中角栄回想録』も面白いですね。私は角栄と同じ新潟出身で、農村共同体に軸足を置いた列島改造論には批判的だったんです。でも、新幹線も高速道路も、地方創生ですよね。
 保阪 上から目線ではなく、暮らしをよくすると言って、教職員らの給与も引き上げた。私は角栄を「無作為の社会主義者」と呼んでいます。パイの分け方が偉かった。誰が現実の社会を動かしているか、誰を手厚く遇しなければならないかを熟知していました。

「護憲」への伝統

 斎藤 『海部俊樹回想録』も意外でした。90年のイラクのクウェート侵攻で、米国から軍事制裁への協力を求められた時、海部首相(1931~)は「憲法の制約があるので多国籍軍への参加はできない」と断った。しかも、「憲法を日本と一緒になってつくったのは米国なんです」とまで言っている。90年代の初めはそれがまだ常識で、米国にも物を言ってたんですね。

 ――忘れてはいけない政治家はいますか。

 保阪 36(昭和11)年の衆院本会議での粛軍演説で有名な斎藤隆夫(1870~1949)は記憶しておくべきです。『回顧七十年』に詳しい。「国民の忍耐力には限りがある」といって聖戦を唱える軍を真っ向から批判した。4年後の「反軍演説」では除名動議が出され、7人が反対、296人は賛成、144人が棄権欠席。この144人が人間の弱さを示していると思う。僕らは勇気ある7人にシンパシーを持たなくてはいけない。
 斎藤 武田泰淳が『政治家の文章』で昭和初期に首相を務めた浜口雄幸(1870~1931)の文章を紹介しています。「今日の議会に於(お)ける防禦(ぼうぎょ)軍、即(すなわ)ち政府方の人々は、多くは都合の好(よ)い所ばかりを選んで敵の攻撃に答へ、都合の悪い所はことさらに之(これ)を省略せんとする風がある」。今、現在のことのよう。
 保阪 安倍政権を支持した人たちも、経済政策も含めて「違うぞ」と気がついてきた。様子見していた政治家もメディアも批判するようになった。
 斎藤 政治家に限らず暴言や差別発言などは、誰かが問題点に気づいて追及しないと、簡単にスルーされてしまう。受け取る側にセンサーがなければならない。聞く側の我々も問われていると思います。(聞き手・吉村千彰読書編集長、構成・西秀治、板垣麻衣子)=朝日新聞2017年7月23日、30日掲載
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 ほさか・まさやす 39年生まれ。ノンフィクション作家。『田中角栄と安倍晋三』『あの戦争は何だったのか』など
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 さいとう・みなこ 56年生まれ。文芸評論家。『学校が教えないほんとうの政治の話』『文章読本さん江』=共に浅野哲司撮影