東大生にいま、人気の本とは? 「新たなスタンダード」が続々:東大生協 駒場書籍部
記事:じんぶん堂企画室
記事:じんぶん堂企画室
最寄りの駒場東大前駅は、渋谷駅から京王井の頭線で二駅。そんな都心近くでありながら、駅を出るとすぐのキャンパスは、格式ある校舎がいちょう並木などの自然に囲まれて、どこかゆるやかな時間が流れている。
東大生協 駒場書籍部は、教養学部前期課程の学生などが学ぶ駒場キャンパスの、図書館や部活動やサークル活動を行う建物が集まったエリアにある。
大学生協としては、規模が比較的大きく、書籍数は6万冊ほど。講義や研究のための教科書や専門書に加えて、雑誌、文庫、新書、コミックなども取りそろえる。店の奥の専門書のコーナーはさすがに充実していて、特にそのなかで数が多いのは人文書で1万冊を超えるという。
いま、東大生に人気の本とは? 足立さんにずばり聞くと、一番売れているのは、音楽評論家の鮎川ぱてさん『東京大学「ボーカロイド音楽論」講義』 だという。最新の東大生協 駒場書籍部の売り上げ・年間ランキング(2021年8月~2022年7月)で1位となった。
そのタイトルの通り、2016年から鮎川さんが講師を務めている教養学部の人気講義「ボーカロイド音楽論」を書籍化したもの。ハチ(米津玄師)、wowaka、DECO*27などのボカロの楽曲を、フーコー、ソシュールなど現代思想の理論で読み解いていく。
「授業自体すごく受講者数が多いこともあります。先生ご自身もみんなに読んでほしいということで、Twitterや授業などいろいろなところで宣伝してくださいました。ぜひたくさん売ってほしいと。事前の宣伝予約をしたり、関連書のコーナーやサイン色紙を置いたフェアを実施したりしています」
やはり大学生協ということで、東大にかかわる先生が執筆した本はよく売れるそうだが、そのなかでも近年の傾向について次のように考察する。
「ここ数年は、最近出版された参考書の売れる比率が高まっています。もちろん昔からの定番の名著の参考書も売れているんですが、理学書でも人文書でも、新たなスタンダードと呼ばれそうな本が、そこにどんどん食い込んでいます」
人文書の棚を見ると、表紙を向けた面で並んでいるのはたとえば、英文学者・北村紗衣さんのジェンダー・フェミニスト批評集『お嬢さんと嘘と男たちのデス・ロード』(文藝春秋)、言語学者・川添愛さんが日常の言葉を考察したエッセイ集『言語学バーリ・トゥード』(東京大学出版会)、言語哲学者・三木那由他さんがコミュニケーションのありようなど論じたエッセイ集『言葉の展望台』(講談社)など。まさに「新たなスタンダード」と呼べるような書籍を見つけることができる。
そしてそうしたなかでも、上位にランクインしているのは、特に哲学関連の書籍だ。駒場書籍部の年間ランキングで『東京大学「ボーカロイド音楽論」講義』に次ぐ2位は、千葉雅也さんがドゥルーズやデリダなどの思想を解説した新書『現代思想入門』(講談社)、3位は國分功一郎さんが「暇と退屈」の問題点を先哲の教えを元に論じた『暇と退屈の倫理学』文庫版(新潮社)となっている。
「東大生はいろいろなことを思考して、みんなで議論することが好きで身についていると思うんですよね。そのために東大にかかわる先生方の本を読んで、思考の仕方を学んでいく。ちゃんと自分のお金を出して買って読もうという意志が表れているのだと思います」
一方でそうした入門書を入り口としながらも、各ジャンルの古典を置くことは心がけているという。
「古典としてきちんと置くべきものは置いています。たとえ回転率がそこまで高くなくても、それがあることによって、まず専門書の棚としての土台ができるんです。その上に、実際に売れている本や最近刊行された本をどんどん積み重ねていくようなイメージです」
また、いまの大学生はインターネットやスマホに子どもの頃からなじみがある世代だ。本を売る現場でも以前との違いを感じることがあるという。
「雑誌の購入数は大きく減っています。学生はネットやスマホがあれば、情報収集には困りませんし、マンガも読めるので、雑誌を買う意義が薄いのだと思います。一方で、ネット上での評判や学生間の口コミが広がりやすくなっており、思いもかけない専門書が急に売れることが増えてきたように思います。多少後手に回ってでも、追加で仕入れて『お、あの本あるじゃないか』と思ってもらうことが大事だと考えています」
足立さんは新卒で大学生協に就職し、書籍部で10年以上勤務している。母校の名古屋大学、そして東大本郷を経て、5年前に駒場に来たとのこと。
小学生の頃からミステリー小説をはじめさまざまな本を読むのが好きで、学生時代には一般書店でもアルバイトをしていた。そんな足立さんがいま、仕事のやりがいを感じる瞬間は、本の仕入れを的確に判断できたときだという。
「仕入れをしているときに『これは多分、買う人は一人だよな、一冊にしておこう』と思うことがあります。そうしたら、実際に売れる。その後は仕入れないという判断をすると、実際にそれ以上は誰も買わないということがあって。そういうときですね。
たくさん売れるだろうと思ってたくさん仕入れるのは、普通にできなきゃいけないことなんです。でも一人しか買わないだろう本を一冊仕入れるというのは難しい。それができたと感じると、自分の感覚が累積してきたんだな、届くべき人に届けられたんだなと、うれしくなります」
そんな足立さんに、学生に向けてぜひ読んでほしい推薦書を紹介してもらった。『解答のない参考書』( i.school press)。制作したi.schoolは、東京大学のプロジェクトとして始まり現在は独立したプログラムで、イノベーションを生み出す人材を育成することを目的としている。その修了生12人のインタビュー集で、進路やキャリア、そして人生について語られている。
「東大生がかかわった本は、巷にたくさんありますが、この本が特殊なのは、取材、執筆、編集、デザイン、装丁まで含めて、全部自分たちでやっているんです。その上で自費出版して、流通させたんですね。売っているのも、基本的にこの店だけです」
解答のない、とはどういうことなのだろうか。
「あくまで自分の生き方や大学生活の過ごし方に答えはないし、こちらから押し付ける気もないと。でもいろんな先輩の話を聞くことで、考えるための参考にしてほしいということですね。
たとえば、(「i.lab」共同創業者・代表取締役の)横田幸信さんの『大人も真っ当なことを言いながら、心の底では悩み続けている』という言葉。そんな赤裸々なことを語ってくださるなんて(笑)。とても思いつかないような、大学生活の過ごし方やキャリアの重ね方をされている人が多いので、単純に読み物としても面白いなと思いました。ぜひ大学生には読んでほしいと思います」
そして、足立さんの人生を変えた本を尋ねると、仕事で一番心に残った本だとして、『科学の危機』(金森修、集英社新書)を取り出してくれた。科学史と思想史を手がかりに、科学の暴走に歯止めをかけるために必要な感覚について論じている。
「著者は、東大の教授を務めた金森修先生です。2016年にお亡くなりになられたのですが、ちょうどその前に書かれました。実は本郷にいた時に、金森先生の公費の(研究に必要な書籍の)ご注文を2年ほど担当していました。その注文の仕方がかなり独特だったんです。1、2カ月に一度、メール本文に数十冊のタイトルが送られてきて、見積もりをお願いしますというんですね。SF小説から科学の歴史まで幅広いジャンルでした」
通常は一度に数冊程度の注文があるそうで、そんなに大量の本の注文が一度に来るとは、「東大の先生はこういうものか」と驚いたという。
「最初は確かに大変だなと思ったんですが、こっちもやってやろうじゃないかと思って。とにかく手が空いてるときはすぐに見積もりを出して返事をするようにしていたんです。80冊ぐらいの見積もりを30分で返信したら、すごく早くて驚きましたとリアクションが返ってきたこともありました」
そうしたやりとりを続けていたものの、2016年の春に納品を待つ間にあるメールをもらった。
「先生のメールには、実は私はこの2年ほどがんと闘ってきて、寿命はあと2、3カ月でしょうとありました。注文した本を全部読むのは無理だと思うのですが、それでも本の山に囲まれて最期を迎えたいと思っていますと。常に迅速に対応していただいて、研究生活に多大な後押しをしていただきありがとうございますと、わざわざ私にメールをくださったんです。
そんなことは初めてでした。私のしている仕事はそういうことなんだなと改めて思いました。私の人生、そして大学生協で仕事をしてきたなかで、一つの大きな転機でした。自分が納品していた本というのはこういう風に、研究書の結果として出てくるんだと思いました。この本を見るたびにそれを思い出します」
新たな研究の礎となり、学生たちへ知との出会いを提供する、東大生協 駒場書籍部。足を運んでみれば、一般書店とは一味違ったその生態系に魅力を感じられるはずだ。