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浄土真宗とはなにか――鈴木大拙『真宗入門』

記事:春秋社

Amida, the Buddha of Infinite Light (Amitabha) メトロポリタン美術館収蔵
Amida, the Buddha of Infinite Light (Amitabha) メトロポリタン美術館収蔵

 浄土を説く流派は中国に始まったのですが、それは浄土真宗において完全な発展をなしとげました。真宗は浄土系思想の頂点であり、日本に興ったものです。日本人は世界の思想や文化に提起し得る独創的な理念をあまり持たないかもしれませんが、しかし真宗の中には日本人が外の世界に対してなし得る偉大な貢献の可能性が見出せます。日本で発達した仏教宗派としてはこのほかに日蓮宗があります。しかしその他の宗派はすべて起源も形式も多かれ少なかれ中国やインドに由来しています。真宗と日蓮宗は日本で始まったのです。日蓮宗にはいくぶん日本の民族主義的精神に通ずるものがあって、しばしば民族主義と混同されます。しかし真宗はそういう連関から完全に離脱しているのです。その点真宗は注目に値します。

 真宗の開祖・親鸞(一一七三~一二六二)は、およそ七百年前日本は京都に住んでいました。一般的には貴族だとされていますが、それはフィクションだろうと思います。通常の人だったはずはなく、多少とも学識のある家柄の出ではありましたが、貴族ではなかったでしょう。日本の貴族と何らかのつながりは持っていたかもしれません。

 しかし、彼の修行というか、その本当の宗教的発展は、当時日本文化の中心であった首都からはほど遠い田舎に配流されていた時期に実現したのです。

 親鸞は日本の浄土教の開祖・法然の弟子でした。そのころ法然の影響力は非常に大きかった。古い宗派に属する僧侶たちはそれをあまり喜ばず、あれやこれや画策して法然を田舎へ追放してしまったのです。

 法然の弟子であった親鸞もまた、日本の北部へ流罪に処せられました。親鸞の実地の宗教経験は、田舎で庶民と生活している間に実現したのです。

 親鸞は民衆が何を欲しているかをよく理解していました。当時の仏教はやや貴族的でありました。仏教を学ぶのは、たいがいは学問のある人々に限られており、そういう人々は多かれ少なかれ学間に溺れていたのです。しかし親鸞は学間が宗教経験を達成する道でないことを知っていました。もっと直接的な道、学問や儀式主義のような媒介のまったく要らない宗教経験がなければならない。そういうものはすべて、宗教経験を得るためには、宗教的意識の完全な覚醒を得るためには、放棄しなければなりません。そういう媒介は、この宗教的生活の最終目的をわれわれが直接的に達成するのを、決して妨げてはならないのです。親鸞は自らこれを経験し、ついにこの宗教経験への最も直接的な道を発見したのです。

 私の英文の小著に『真宗要録』A Miscellany on the Shin Teaching of Buddhismというのがあります。これは日本で出版されたものです。どちらかと言うと、真宗教義の断片的な説明を内容としているのですが、それでもなお、それは真宗ないし浄土教を概観するための一助となるかもしれません。

 それから引用してみましょう。

「大乗仏教が極東でなし遂げたあらゆる発展の中でも最も注目すべきは、浄土真宗の教えである。これが刮目すべきものであるということの主な理由としては、地理的にその発生地が日本であるということ、そして歴史的には浄土系大乗の最後の展開であり、したがってそれの到達し得た最高峰であるということなどが挙げられる。浄土の思想はまずインドで生長した。この宗派の用いる経典類はインドで編纂されたのであり、諸概念もそこで発展したにちがいない。もっぱら浄土の説明に努めているこの経典類は、おそらく仏滅後三百年ごろ、つまり紀元前二世紀ごろに編纂された。浄土の名を持つ宗派は四世紀の終わりにかけて中国で始まり、四〇二年には白蓮社が慧遠(三三四~四一六)とその友人たちによって結成された。仏陀が統制する仏国土という観念は仏教と共に始まったのであるが、仏教的生活の最終目的を達成するために、そういう国土に生まれたいという願望にもとづいているこの宗派が、完全に具体化したのは、仏教が中国において実際的宗教として開花し始めてからである。それがさらに真宗の教えにまで成熟するには、十三世紀のあの日本の天才を待たねばならなかった。大乗教がいかにして純粋信の教えにまで発展したのか訝(いぶか)る人もいるだろう。この教えは、一見したところ、自己信頼と智慧(プラジュニャー)のさとりという仏陀本来の教えと思われているものとまったく対照的である。」

 より伝統的な浄土教の説明を聞き慣れている人々は、私の講義をいちじるしく異なったものであり、おそらくは異流のものだろうと思うかもしれません。私はそういう批判を受けるのをいといません。

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