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城は世界とつながっていた! 安土城から五稜郭まで300年の歴史を読む

記事:平凡社

壮麗な姿が人々を魅了する姫路城(著者撮影)
壮麗な姿が人々を魅了する姫路城(著者撮影)

2023年2月15日刊、平凡社新書『教養としての日本の城 どのように進化し、消えていったか』(香原斗志著)
2023年2月15日刊、平凡社新書『教養としての日本の城 どのように進化し、消えていったか』(香原斗志著)

 日本の城と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、水を豊かに湛えた堀に囲まれ、石垣が高く積まれ、高層の天守がそびえる光景ではないだろうか。

 たしかに、こうした壮麗な城を前にしたら、敵は怖気づくだろう。事実、城とは元来、敵の侵攻を防ぐための構築物である。だが、そうした軍事的な施設がもっとも必要とされた戦国時代には、いま記したイメージにくらべると、城ははるかに貧弱なつくりだった。堀は空堀で、それを掘った土を盛り固めた土塁がめぐらされ、石垣はほとんどない。あっても簡易的な石垣で、石を積む技術も未熟。もちろん天守のような高層建築はなく、ほかにも豪奢な建造物はみられなかった。

 むろん、防御の工夫を凝らした土の城には、別種の価値があるが、十六世紀後半になると、石垣を多用した城が急増し、天守とよばれる高層建築も出現する。(中略)

 その流れをつくったのが織田信長だった。それもにわかに、かつ決定的に。割拠する群雄のなかから抜け出て、自身に権力を集中させた信長は、城をたんなる軍事的な拠点にとどめず、みずからの権力と権威を世に知らしめるためのシンボリックな装置に発展させた。信長が天正四年(一五七六)から琵琶湖の東岸に築いた安土城は、日本の城としてはじめて総石垣で築かれ、煌びやかに飾られた五重の高層建築である天主がそびえ、要所の瓦には金箔が押された。

 冒頭に記した日本の城のイメージは、この安土城にはじまっているが、そこで疑問が生じてくる。それまでの城とあまりにも姿を異にするこの権力の拠点は、信長というカリスマ性のある武将の独創性から生み出されたものなのか。あるいは、日本人の創意工夫の賜物だろうか。(中略)

 信長が安土城を築いた当時、習俗に影響をあたえていたものになにがあったか。挙げられるひとつにキリスト教やヨーロッパ趣味がある。武将たちがヨーロッパから取り入れたのは鉄砲だけではない。洗礼を受けた武将も多く、西洋の甲冑が輸入され、それに似せた和洋折衷の南蛮具足が武将たちのあいだで大流行した。(中略)

 本能寺に斃れるまでに、信長は宣教師と何十回も面会し、宣教師たちによれば、彼らからさまざまなことを聞きだし、自分の治世や築いた城について、遠く離れたインドやヨーロッパにどう伝わるか、神経質なほど気にしていた。そんな信長が、類例のない城を築いたのである。信長の独創だと判断する前に、ヨーロッパの人からの影響もあったと考えてみてもいいのではないだろうか。

城は日本の歴史や文化を理解するための鏡

 そうである以上、だれもが思い描く城、すなわち石垣上に天守がそびえる城のルーツに、ヨーロッパ趣味の影響を想定しても、不自然ではないだろう。事実、十六世紀半ば以降のおよそ八十年間は、明治以前の日本の歴史において、日本が海外に向けてもっとも開かれていた時代だった。

 秀吉の死後も、豊臣氏が滅亡した大坂夏の陣まで築城ラッシュが続き、城を築くための技術は短いあいだに飛躍的に進んだ。キリスト教への弾圧ははじまっていたが、日本人の目はまだ外にも向けられていた。海外まで包含する広い視野をもち、役立つものや魅力あるものは積極的に導入するという進取の気性なくして、日本の城はこれほど急に進化を遂げただろうか。

 その証拠に、徳川幕府が鎖国を徹底してからは、城の進化はぴたりと止まった。土木や建築の技術は革新されず、建築スタイルも更新されなくなった。武家諸法度であらたな築城が原則として禁じられた影響も大きかったが、例外として新規の築城が許された場合も、失われた建築を再建する場合も、過去の様式を繰り返しもちいるだけで、創造性はみじんも見られなくなってしまった。

江戸時代後期の高知城天守。様式の後退が見てとれる(著者撮影)
江戸時代後期の高知城天守。様式の後退が見てとれる(著者撮影)

 日本の城は、日本人の目が世界に開かれているときにこそ輝き、開かれた窓が閉められた途端に色あせていったのである。

『教養としての日本の城 どのように進化し、消えていったか』目次

第1章 安土城
第2章 大坂城
第3章 小田原城
第4章 熊本城
第5章 姫路城
第6章 二条城
第7章 彦根城
第8章 名古屋城
第9章 江戸城
第10章 島原城と原城
第11章 丸亀城、宇和島城、高知城、松山城
第12章 松前城と五稜郭

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