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本好きが暮らす「街の本屋」で届ける、“引っかかる本”との出会い:書楽 阿佐ヶ谷店

記事:じんぶん堂企画室

「書楽 阿佐ケ谷店」の石田充店長
「書楽 阿佐ケ谷店」の石田充店長

JR中央線、阿佐ヶ谷駅前の“街の本屋”

 阿佐ヶ谷駅の南口に降り立つとすぐ右手に「書楽 阿佐ヶ谷店」が目に入ってくる。いつしか近隣の書店は閉店し、いまや単身者やファミリー、シニアまで幅広い世代を受け入れる、唯一の“街の本屋”になった。

 店頭には、阿佐ヶ谷を舞台にした真造圭伍さんの漫画『ひらやすみ』の大判ポスター。入り口の両サイドには様々なジャンルの雑誌が並べられ、気軽な立ち読みへと誘ってくれる。

「入口は狭いが、中は広い!」と謳うように、雑誌コーナーの奥には、新刊・話題の書、さらに人文書の棚へと続いていく。さらに進むと、じっくり選べる歴史書のほか文庫や新書のコーナーが広がる。入り口から左側には生活実用書が並び、学参コーナーを過ぎると、最奥にはコミックの売り場がある。

「書楽 阿佐ヶ谷店」の営業時間は、朝9時から夜12時(日・祝は夜11時)まで。シングルからシニアまで多様なライフスタイルに寄り添う。

 筆者が阿佐ヶ谷に住んでいた頃は、仕事の帰りや飲み会の後、よく書楽に立ち寄ったものだ。休日や夜遅い時間に、一人でふらっと立ち寄って、まとまった時間を過ごせる貴重な“居場所”でもあった。

ベストセラーの隣には、“きっかけ”になる作品を

 石田充店長は、約20年にわたり「書楽 阿佐ヶ谷店」の売り場に立つ。長年コミック売り場を手がけ、1年前から新書コーナーも担当しているという。

 そんな石田さんが、棚づくりで大切にしているのは「“引っかかり”を生み出す」ことだ。著名な作品やベストセラーの横に、古典的名著や新しい書き手の作品を並べ、書店に来たお客さんに新たなきっかけを届けていく。

石田さんは、真造圭伍さんの最初の単行本『森山中教習所』を数ページ読んだときから「これはすごい」と引っかかりを感じ、大きく展開していたという。
石田さんは、真造圭伍さんの最初の単行本『森山中教習所』を数ページ読んだときから「これはすごい」と引っかかりを感じ、大きく展開していたという。

「きっかけは、すごく意識しています。読者向けに作ると、どうしても売れている本が多くなっちゃうんですが、それだけだと面白くない。例えば、漫画の『ワンピース』を買いにきて、その横でまた違った面白さの本が提案できたら。必要なものだけ買えばいいではなくて、その先に踏み込んでもらえたらありがたいなと」

 そんな本屋のイメージを、石田さんは「書店員が好きそうな書店」と表現した。

「書店員が好きな売り場なら、いい売り場が作れるんじゃないかと。実際はなかなか難しくて、抽象的な言い方でしかないんですけどね。売れ線とマイナーのバランスが命だと思っているので、そのバランスをどう取るかを考えています。それはセレクトしきった棚よりも、はるかに面白いんじゃないかな」

コミックコーナーには、阿佐ヶ谷を舞台にした近藤聡乃さんの『A子さんの恋人』(ビームコミック)で書楽が描かれた回の複製原画が飾られていた。
コミックコーナーには、阿佐ヶ谷を舞台にした近藤聡乃さんの『A子さんの恋人』(ビームコミック)で書楽が描かれた回の複製原画が飾られていた。

10年、20年読まれる新書の棚づくり

 石田さんは、約1年前から新書の棚も手がける。コミックで培った棚づくりのノウハウは当てはまらず「新書は難しい」と話すが、その真摯な姿勢に、講談社現代新書の編集長が訪れて話を聞き、「現代ビジネス」で記事にしたほどだ。

3月はちくまプリマー新書の新生活フェアを展開
3月はちくまプリマー新書の新生活フェアを展開

「新書は、やっぱり普遍的なテーマやお客さんのニーズ、時代に合わせたものを作っていかなきゃいけない。書店としては流行った本もありがたいですけど、普遍的に読まれる続けるものが必要なんだろうなと。10年20年と読まれる本をしっかり置いてある店にしたいですね。新書は手軽に買えるし読みやすいので、最初のきっかけになる本が並べられたらいいですね」

街の本屋を支える、知的好奇心なシニア女性の存在

 駅前にある「書楽 阿佐ヶ谷店」の客層は幅広い。中央線らしく出版社の編集や漫画家、クリエイターも足繁く通ってくれるそうだが、何より教養のあるシニア女性が多いのが大きな特徴だという。

「年配の方は多いですが、とくに女性がすごいですね。シニアの女性のお客さんは、例えば古典を、それこそ源氏物語を原書で買っていく人も多い。個人的に研究しているんです。70代の女性からの本の問い合わせが、一番勉強になる。僕は阿佐ヶ谷でしか働いたことはないですが、最初の印象はそれでしたね」

 人文書を担当する川合千聡(ちさと)さんが、「これは素晴らしい本だと思って並べたら、すぐに売れました」と語ったのは、中国・河南省の猿まわしで生きる最後の世代を20年にわたって追い、中国で社会的反響を呼んだノンフィクション『最後の猿まわし』(みすず書房)だ。

 本体価格3800円、この読み応えのある分厚いノンフィクションが打てばすぐに響く。知的好奇心に満ちた人が住んでいる街であることがよく伝わるエピソードだ。

「こういうお客さんがいるんだなと。その期待に応えたいと思って、棚を作っていますね」

 川合さんは、前店長の病気で人文書の担当になった。選書のノウハウなどは引き継いでいないと話すが、お客さんやTwitterの声に耳を傾けながら棚を作っているという。

「ある本を新刊コーナーに並べたとき、『これが新刊台、さすが書楽』と写真付きでコメントをもらったことがあって、求められることを学びながらやっています。みすず書房や白水社の本や、ジェンダーやケアの本も届いていますね。これが売れるの? と思うような高価な本も売れて回転していくので、自分がどうではなく、お客さんに棚を作ってもらっています」

人文書を担当する川合さん。
人文書を担当する川合さん。

漫画や雑誌に親しみ、ゲームのCGデザイナーを経て書店員へ

 ここで石田店長に、これまでの歩みをうかがった。実はゲーム業界でフリーランスとのCGデザイナーとして働いた後、書店員にキャリアチェンジした過去を持つのだという。

 小さい頃から、漫画やアニメは大好きだった。長野県出身で、街にある三つの本屋は遊び場だったそうだ。当時から、競合の雑誌も読み込んで、自分の好きな雑誌はこれだと決めて一誌を愛読していたという。

「子どもの頃からこだわりが強くて。例えばテレビ雑誌なら、最初の頃は付録で選ぶんだけど、そのうち『テレビマガジンの方が絶対面白い』と思って買うように。子ども向けの百科事典も勁文社が出していた『ケイブンシャ大百科』が自分にはしっくりきて選ぶように。アニメ雑誌だったら、自分は『アニメージュ』とか。今から考えると書店向きだったのかな(笑)」

「小さい頃は、普通に『コロコロコミック』とか『週刊少年ジャンプ』は好きだったし、漫画『風の谷のナウシカ』も読んでいましたが、宮崎駿監督のアニメは好きでした。中学2年生のときに『戦闘メカ ザブングル』というアニメを見て面白いと思って、プラモデルを買って作ってみたり、洋画を観始めたり。サブカルチャー的な音楽や映画にハマるようになって、90年代に東京に出てからはライブを観にいくようになって。そういう流れでゲームも好きでやってたんです」

書店員になる前、イーストプレスが刊行していた江口寿史責任編集の漫画誌「COMIC CUE(コミックキュー)」は、「本当にどれも面白かった」と話す。
書店員になる前、イーストプレスが刊行していた江口寿史責任編集の漫画誌「COMIC CUE(コミックキュー)」は、「本当にどれも面白かった」と話す。

 80、90年代のサブカルチャーに親しみ、黎明期のゲーム業界へ。石田さんはアルバイトから実績を作ってゲーム会社の正社員となり、のちに独立してフリーランスのCGデザイナーとして働いた。

 当時はまだゲーム業界の労働環境は整っておらず、長時間労働のうえ収入も安定しなかった。石田さんは、家族を養うために転職することを決めた。

 そんなときに見つけたのが、書楽の求人広告だった。和光店への応募だったが、当時の家から近いという理由で、阿佐ヶ谷店で働くことに。それから約20年、店頭に立ってきた。

書店員の原点、漫画家・荒木飛呂彦先生のデビュー作

 そんな石田店長に、人生を変えた一冊を聞いてみると、漫画家・荒木飛呂彦さんデビュー作『魔少年ビーティー』(集英社コミックス)を挙げた。中学3年生のときに、友だちの家にあった「週刊少年ジャンプ」で出会って、衝撃を受けたという。

「パラパラと読んでいたら、『魔少年ビーティー』がすごく引っかかったんですよ。まず、絵がヘタだった。当時の連載は『Dr.スランプ』とか『すすめ!!パイレーツ』とか絵がうまかったので、なんでこの絵が載っているんだろうと。もうひとつ、何の漫画かわからない。『少年ジャンプ』は少年誌なので、ギャグ漫画とかバトルものとか、絶対にどんなジャンルの漫画かわかるんです」

ジャンプを貸してくれた友だちに「これ何? 超能力もの?」と尋ねると、「いや全然説明できないけど、面白いから読んでみな」と返してくれたとそうだ。
ジャンプを貸してくれた友だちに「これ何? 超能力もの?」と尋ねると、「いや全然説明できないけど、面白いから読んでみな」と返してくれたとそうだ。

「今考えてみると、絵がヘタで、何の漫画かわかんないところに引っかかった。だからこそ出会えた。本を選ぶときに追加して平積みしようってときに、自分の引っかかりを具体的に説明するのは難しいんですけど、最初にそういう自分の引っかかりが重要なんだよって教えてくれたのが『魔少年ビーティー』だったのかな。そういう意味で、書店員としてはいろいろな視座を与えてくれた本です」

 なお、石田少年は『魔少年ビーティー』が掲載された「週刊少年ジャンプ」を友だちに声をかけて譲ってもらった。そして、いよいよ最新号を買ってみると「最終回」の文字――。

「10話目でした。自分がこれだけ面白いと思っていても、人気がないと漫画は終わるんだと。本当にいろんな意味で、中学3年生にとっては衝撃でしたね」と石田さんは笑う。

 心待ちにしていた単行本の発売は、高校1年生のとき。隣の松本市の書店を探し回り、商店でようやく1冊手に入れた。待ち焦がれた次の連載『バオー来訪者』のときは、もちろん『少年ジャンプ』本誌を2冊買った。その後、始まったのが『ジョジョの奇妙な冒険』の連載だった。

「今は押しも押されもせぬ作品ですけど、連載当初はイギリスの田舎町が舞台で派手なことが起きない。だからとにかく心配で、連載の掲載が後ろに行くほど、とにかく大変なことが起きてくれと(笑)。やっと『波紋法』が出てきて、バトルが始まって、何年かして『スタンド』が出てきてからはもう死ぬほど面白いのに、掲載は後ろの方だったりすると、その度にドキドキしましたね」

 荒木飛呂彦先生という推しに出会い、見守り、応援する石田さんの少年時代。自分の引っかかりを大事にして売り場を作る、書店員としての原点はここにあったのだ。

分断しつつある時代、歴史を学ぶために読みたい本

 石田さんに、いま読むべき人文書についても聞いた。すると石田さんは美術史家エルンスト・H・ゴンブリッチの『美術の物語』を挙げた。

 全世界800万部超の大ベストセラー美術書のミニ版で、洞窟壁画から現代美術まで美術の流れがわかる入門書の決定版。後半のカラー図版を見ながら、やさしい文章で美術の歴史を学ぶことができる。

ファイドン株式会社より刊行された『美術の物語』。同社の日本撤退にともない、現在は河出書房新社から新装版が刊行されている。
ファイドン株式会社より刊行された『美術の物語』。同社の日本撤退にともない、現在は河出書房新社から新装版が刊行されている。

 石田さんは、「いまこそ正しい歴史に向き合わなければいけない時代」とその理由を語る。

「例えば、ヘイトやLGBTQに対する理解とか、日本が分断しつつあるように思います。陰謀論的なものがはびこっていて、何が欠落しているのかなと思うと、やっぱり歴史的な共有なんじゃないかと。偏った歴史に触れてしまったがゆえに頑なに考え方を崩せなくなったりする。正しい歴史と向き合うことが僕は必要だと思うんですよ」

「じゃあ、最初に何を読めばいいのか。いきなり歴史書を読んでも興味がなければ続かない。僕は美術鑑賞が好きなのでこの本ですが、好きなものの歴史から学んでほしいなと。数学が苦手な人は、数学の歴史から勉強してみたらいい。漫画やロックの歴史もいい。広がっていくと、その時代の他の歴史も勉強したくなる。そうやって広げてちゃんと歴史を学んで、知識をもとに自分で考えることが必要なんじゃないかな」

街の本屋は、「なんか寂しい」ときの居場所

 開店当初から、夜12時まで営業してきた「書楽 阿佐ヶ谷店」。これまでには営業時間を短くする話もあったという。それでも、街の本屋として変わらず人々の居場所であり続ける。

「なんか寂しいな、することないなってときに、本を探しに来てくれるのは、僕としてはすごくありがたい。おこがましいですけど、そういう場所になれていたらいいのかな。目的があって来るんじゃなくて、面白い本があったらいいなって気持ちで入ってきて、本屋で何か見つけてもらえばいいのかなと思います」

 石田さんは、今夜も偶然の出会いを届けていく。自分自身の引っかかりを大切にしながら。

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