1. じんぶん堂TOP
  2. 歴史・社会
  3. 北の国から民主主義を考える――アイスランドの市民政治とラディカル・デモクラシー(山本圭さん)

北の国から民主主義を考える――アイスランドの市民政治とラディカル・デモクラシー(山本圭さん)

記事:明石書店

塩田潤『危機の時代の市民と政党――アイスランドのラディカル・デモクラシー』明石書店、2023年
塩田潤『危機の時代の市民と政党――アイスランドのラディカル・デモクラシー』明石書店、2023年

北欧の島国アイスランド

 アイスランドと聞いて何を連想するだろう。「氷河やオーロラなど、自然が豊かで涼しそうなところ」「そういえばビョークもアイスランド出身だった」「晩酌のおとものシシャモの産地」――おおむねそんなところだろう。アイルランドとごっちゃになっている人もいるかもしれない。政治学の分野でも、北欧政治は福祉国家モデルで有名だが、ほとんどの場合、そこで取り上げられるのはスウェーデンやデンマークである。多くの日本人にとって、この国はそれほど馴染みのあるものではない。

 本書『危機の時代の市民と政党――アイスランドのラディカル・デモクラシー』(明石書店)が舞台に据えるのは、そんなアイスランドの政治である。なぜよりによってアイスランドなのか。そもそもどうして著者はアイスランドに留学しようと思ったのか(「あとがき」によれば、著者は留学を希望したさいに大学事務から「なにもわからない」と言われたそうだ)。どうやらこの凍えた島国のど真ん中から、民主主義の新しいマグマが凝縮されたかたちで噴火しているらしいのだ。

ポスト金融危機において高まる市民運動

 何が起こったのか? 評者は地域研究の専門家ではないので、アイスランド政治についての細かな話は本書に導かれるままとりあえず鵜呑みにする。それによると、もともと新自由主義的な政治が広まっていたなかで、2008年の金融危機によりアイスランド経済は深刻なダメージを被り、市民による大規模な抗議運動が起きた(「鍋とフライパン革命」)。

 着目すべきは、この運動のさなかに新しい憲法を制定しようとする動きが現れたことである。憲法を改正しようとするこの運動は市民参加と活発な熟議の場となり、新憲法草案が作成された。しかし、草案は国民投票で賛成多数を得たものの、議会の不承認によって実現されることはなかった。これが本書の背景となる顛末である。なぜ、市民が主体となった成果である憲法案は実現されなかったのか?

 金融危機と新憲法をめぐる一連の市民運動は、それが既存の代議制民主主義を批判し、市民による政治を目指した点で、まちがいなくラディカル・デモクラシーと呼ぶにふさわしいものであった。しかしその運動は、新憲法が承認されなかったことで最終的に敗北した(何をもって「敗北」とするかは様々であろうが、とりあえずそう言っておく)。そこから本書が引き出す教訓は、ラディカル・デモクラシーを非制度的な次元でのみ捉えるならば、それはいずれ限界に突き当たるということだ。つまり、ラディカル・デモクラシーを制度的な次元、具体的には政党組織と結びつける必要がある(このポイントは、近年評者が関心を持っているアゴニズムの制度化論にとっても示唆的であった。詳細は山崎望編『民主主義に未来はあるのか?』〔法政大学出版局、2022年〕を参照)。

民主主義における政党と市民

 

アイスランド海賊党のロゴ
アイスランド海賊党のロゴ

 民主主義にとって政党が主要なアクターであることは言うまでもない。しかし本書が依拠するラディカル・デモクラシー論にとって、これは巨大な盲点ではなかっただろうか。もとよりラディカル・デモクラシーとは、選挙民主主義や代表制民主主義を批判し、市民ベースで民主主義を捉え返そうとした理論潮流のことである。そのためこの理論は、エリート組織である政党を警戒する傾向にある。政党組織は、水平的な運動を重視する市民運動にトップダウンで非民主的な関係を持ち込むものと警戒されてきたわけだ(たとえば、そうした組織化の必要を唱えたものとしてJodi Dean, Crowds and Party〔Verso Books, 2016〕が挙げられる)。そうした研究動向に対し、政党政治研究とラディカル・デモクラシー研究の接続を訴える点に本書の創見がある。

 そのさいに鍵となるのが「運動政党」の存在である。「運動政党」とは何か? それは「社会運動とのあいだに強固な組織的、アイデンティティ的つながりを持つ、ハイブリッドな政党」(50頁)と定義される。本書は、アイスランドの海賊党に運動政党の一つのモデルを見た。アイスランド海賊党は憲法改正運動の挫折から生まれ、社会運動内での市民熟議の成果を広く取り入れた。また、デジタル技術を活用して水平的な組織構造を目指す点でも特徴的である。付言しておけば、政治理論家エレーヌ・ランデモアが“Open Democracy”のモデルとしたのも、このアイスランド海賊党である。

 だが著者は、海賊党の採用した戦略がポピュリズム的であったことに注意をむける。ポピュリズムといえば、カリスマ的な指導者が巧みな言説を用いて大衆の支持を獲得するように考えがちだが、本書によれば海賊党のそれは若干異なるようだ。むしろそれは「下からのポピュリズム」と呼ぶにふさわしく、「エリートによる支配的な言説枠組みに抗して、市民がつくり上げる言説枠組みを用いたポピュリズム」(234頁)であるという。海賊党は、まさに市民運動と政党政治が結びつき、ポピュリズム的な手法によって多くの支持を集めることに成功した運動政党であったわけだ。

 さらに、民主的なポピュリズムの担い手として本書が提示するのが「市民的有権者」という主体モデルである。それは次のように描写される。

想定されるべきはより動的で、より複雑で、より多彩な技法を駆使する有権者=市民の姿である。ある日は投票し、ある日は抗議し、ある日は政党組織に対して意見・提起しながら政党活動に従事する。今日、先進民主主義諸国の政党政治を揺り動かしているのは、そのような人びとである。(239頁)

 「市民的有権者」は政党政治と社会運動を結びつける存在であり、両者を行き来しながら政党政治に影響を与えようとする。それはいわばグラムシの言う「有機的知識人」のような存在だろう。こうして本書は「政党民主主義は根源化されなければならないし、また根源化できる」(261頁)として、「政党民主主義の根源化」を主張するのだ。

アイスランドから民主主義を再考する

 以上が本書のあらましである。政党民主主義論の展開や運動政党への注目など、本書の貢献は疑いなく大きい。アイスランド海賊党の詳細な分析も、とりわけ日本では関連研究が不足するなかできわめて貴重なものだろう。もちろん一読すると疑問も浮かんでくる。たとえば市民熟議とポピュリズム戦略の相性の悪さ、組織の規模が拡大するにつれて少数者の支配に陥る「寡頭制の鉄則」(ロベルト・ミヘルス)という問題、そして何より日本社会への応用可能性など。だがじつは、これらは本書の問題というよりも、いずれも現代民主主義一般が抱える最重要課題にちがいない。未知なる探求の末に自らの真実(たとえば隠された出生の秘密など)を再発見するSF小説のように、私たちも、アイスランド政治という慣れない旅に導かれながら、自らの問題に出会いなおす。本書は、アイスランド地域研究、社会運動論、そして民主主義論の交差点から、現代政治の動向と問題点をダイナミックに捉えた稀有な一冊と言えるだろう。

ページトップに戻る

じんぶん堂は、「人文書」の魅力を伝える
出版社と朝日新聞社の共同プロジェクトです。
「じんぶん堂」とは 加盟社一覧へ