北欧の教育の何がおもしろいのか? ――住んでみるとより深まる市民社会のつくり方
記事:明石書店
記事:明石書店
北欧教育に関心が寄せられて20年ほどになるだろうか。25年前の卒業研究で北欧諸国をフィールドにしたり、留学したりする人は、ほとんどいなかった。当時、欧米からアジアへフィールド研究の関心が移りつつあり、第2外国語の選択者数もその傾向にあった。今振り返ると、英独仏語に代わってスペイン語、イタリア語などに加えて独学で北欧の言語を学び、留学する学生が出始めていたのだろう。本書の執筆者が40歳前後の人が多いのも、そうした時代背景にあると考える。相対的にヨーロッパ地域研究者に西ヨーロッパ以外が加わるようになったのは、ここ20年の出来事であるが、とても頼もしく、歓迎したい。なかでも教育思想史や制度史については、日本では、スウェーデンやデンマークについては、一部耳にすることがあるものの、フィンランド、ノルウェーはこの間、国際学力調査によって比較対象国として注目することになった国である。北欧各国においても相違があり、厳密な比較が重要と考え、本書は、その入門書として貴重な情報提供をしてくれる一冊である。まず率直に読みやすいのが本書の特長である。読者が惹かれる現代的なトピックスの選択のセンスが感じられる。これは、ひとえに執筆者の若さとフィールドワークによるもので評価したい。
本書の特長のもうひとつは、北欧教育研究会編であることだろう。研究会で数年かけて議論してきた点、疑問が熟された点、複数の視点が交差した点が評価できる。これらは外国研究を日本の一般読者に分かりやすく伝えるために、原語の統一を含め、読みやすくする工夫するうえで役立っている。本書は、その点が工夫されていて統一感がある。新しい世代の多様性に寛容な研究会と編集者の努力によるものである。
全体としてスウェーデンの内容が多いのだが、意図的かどうかはさておき、スウェーデンの革新的で、挑戦的な国民性がうかがい知れる。キャッシュレスな社会、おむつ論争、アントレ(起業家精神)教育、余暇活動、ソスペッド(社会教育)、エル・システマ、レッジョ・インスペレーション、手工芸教育、体育、個別発達プラン、評価基準、給食、教育犬、お便り帳、若者の家(ユースセンター)、英語、思考力、高校中退のセーフティーネット、生徒保健チーム(ヘルスケア)、プリスクール、宿題、自立学校、学校と家具メーカー、などテーマに事欠かないスウェーデンである。フィンランドやノルウェー、デンマークとは似たようでいて異なるマインドが本書から感じられる。いずれも、科学的な根拠がある程度意識されてはいるものの、スウェーデン社会のこの20年間にみる学校の裁量権の大きさ、地方自治体の権限および新自由主義の浸透による社会背景を感じる。その意味では、スウェーデンの学校の実態がもっともよく理解できた。
デンマークで印象に残ったのは、やはりホイスコーレ、人を貸し出す図書館(ヒューマンライブラリー)やメーカーとコラボしてスペースを用意する図書館の話である。ノルウェーでは、先住民族サーメの教育である。そしてフィンランドは、「競争のない教育」の別の顔として描かれた高校の序列化および都市部の伝統校にある「特別コース」や「エリート校」の存在である。
国の違いをもっとも感じさせたテーマは、給食の話であった。ノルウェーとスウェーデンの学校および食文化の違いがよく描かれていた。あるいは先進性を感じさせたのはICTを使ったデンマーク、ノルウェー、スウェーデンの特別支援教育である。
これ以外に、以下2つのトピックスに注目してみたい。
欧州では、ながらく深刻な教員不足がある。北欧では、フィンランドの質の高い教員がよく知られているが、実は北欧でも人気は高くない職業であり、退職率も問題となる。本書でも、スウェーデンの教員資格(2011年)の導入について論じられているように、無資格教員の存在および、資格導入によってかえって資格取得者が確保できない課題となっている。フィンランドとの対比で、なぜ他の北欧諸国と違って、フィンランドにおける質の高い教員の確保および社会評価が得られたのか、知りたいところである。就学前教育まで義務化したがチャイルドマインダーの存在と資格教員不足が起きていることや、後期中等教育を含め就学期間が長くなる一方、教育職のなり手不足そして定年前の退職率の上昇は、昨今のコロナ禍におけるエッセンシャルワーカーとして再評価されるなか、欧州全域で緊急事態として政治問題化している。またスウェーデンでは、校長職不足とその多忙さ、あるいはモンスターペアレント、ヘリコプターペアレントなど我が国に近い様相がうかがい知れるだけに心配である。本書にあるファースト(スーパー)ティーチャーという教職の地位における序列の導入はあまり、成功しているとは感じられないだけに、今後、質の高い教員を確保することや、養成の在り方について北欧諸国のなかの異同点が気になるところである。
チームで支えるヘルスケア(分業体制による働き方)、宿題ポリシー(教員の働き方)、シェアドリーダーシップ(フィンランド)、研究と実習重視の教員養成(フィンランド)などは、示唆的である。あるいは、スウェーデンの教員の授業システムの考え方や、教科書の在り方についての記述は、日本の教員にも参考となる点が多々あるだろう。
もうひとつの北欧の特長がみられたトピックスは、子ども・若者会議、選挙など民主主義を体感できる学校にある。日常的に思考力を育む教育がなされることは欧州に広く共通しているところであるが、選挙が子どもや若者にこれほど身近に存在するのは欧州のなかでも顕著なように感じた。一自治体で実施されていても、全国的に広く、日常化されている国は少ないというのが読書後の感想である。スウェーデンの選挙における若者の投票率にも現れているが、学校で実施される模擬投票、候補者の討論会など、民主主義の主権者教育が大切にされていることを示している。これらは、本書にもあるように、保育時から「自分で選ぶ」、「考えを表明する」といったことの積み重ねがあるからでもある。並びに、デンマークの事例であるが、子ども議会・若者会議といった政治への参加経験が大きい。この取り組みが興味を引いたのは、選挙で選ばれた議会メンバー以外も参加できる活動グループをおくことにある。若者の居場所としての役割に注目したい。一人でも多くの若者が意思決定に参加する・できる場所や機会を豊富にすることが市民形成につながることを示唆している。デンマークの生徒会の全国組織が教育政策に提言をしたり、教員組合と協働して生徒会顧問教員の研修を促したりするなど、子ども・若者会議と併せて市民形成や主権者教育が定着している様子を感じさせる。日本の生徒会、保護者会、教員組合も、オンラインのネットワークを形成し全国的な討論になるよう大いにヒントにしてほしいところである。
本書の副題「市民社会をつくる子育てと学び」について最後に考えてみたい。北欧に共通してみられるのは、学校の社会的位置づけが明確であることと、批判的市民形成である。子どもの権利条約への理解が、大人である親、そして教員に浸透していると感じた。将来の市民を育てる考えが就学前から、学校外の図書館、ユースセンター、余暇活動をはじめ、社会全体に浸透している様子が本書全体を通じて感じられる。子どもを自律させる仕組みや意識が、それぞれのトピックスから読み取れる。しっかり考えさせ、選ばせ、意見を表明させること、さらに意見交換をさせ、結論を導こうとする批判精神と調整力を大事にしている。
国連の世界幸福度ランキングやユニセフの子どもの幸福度調査で毎年北欧諸国が上位を占める理由は何か、少し理解できたように思う。経済格差が比較的小さい北欧と高税負担による高福祉という社会設計に対して、社会民主主義の諸価値を大人と子どもが一緒に考える仕組みに秘訣があるのではないだろうか。
先述した子ども・若者会議は、他の欧州にも実践されているし、教育政策に生徒会や保護者会が意見表明できる仕組みも存在する。欧州の学校においては、子どもの意見表明権は日常的にみられ、今日何を学ぶか、子どもの興味関心を最大限に引き出すのは、程度の違いである。しかし北欧ほど幸福度(学校好き)は高くないのが実態である。子どもたちの将来展望に希望が持てる社会であることは、本来の教育の究極目標であり、もっと意識されるべきである。模擬選挙、政治教育をはじめ、政治がより身近である北欧の場合、政治家が子どもや若者の考えをより自然に意識する点に違いがあるように感じた。本書は、北欧の政治教育や選挙に関する書籍と併せて親子で一緒に読んでほしい一冊である。